「二十歳でメジャーをドロップして良かった」
18歳で初シングルを発表し、『天才』と謳われたシンガーソングライターの七尾旅人(ななおたびと)。不登校児からメジャーデビューを果たしましたが、たった4年でメジャーから去ってしまいます。その後は、『Rollin’ Rollin’』『サーカスナイト』などでスマッシュヒットを飛ばすほか、インディー業界から楽曲発表以外にもさまざまな試みを発信し、今や音楽業界以外からも注目を集めています。その子ども時代から、ライブパフォーマンスの見どころ、音楽を越えた活動まで、独特の魅力を探ります。
「不登校。そして「死んでも音楽をやる」という決意」
七尾旅人は、1979年、高知県高知市で生まれました。父親がジャズ・ファンで、家では毎日ジャズがかかっていました。中学に入ってからは好んでB’zなどを聞くようになりましたが、その頃から、学校に行かなくなってしまいます。不登校児で、まったく将来が見えない日が続きました。なにかを発散したい、誰かに気持ちを伝えたい……そんな思いに駆られ、手にしたのが、音楽だったのです。
「東京で音楽を」―――その願いで、上京して音楽学校に入学しました。しかし、入学3日でまた不登校に。風呂無し四畳半の部屋に籠って、曲ばかりつくる日々が始まりました。16歳の七尾旅人の胸には、「死んでもいいから音楽をやる」という思いがあったと言います。
そして1998年、様々な一流アーティストを世に送り出してきた伊藤銀次のプロデュースにより、シングル「オモヒデ オーヴァドライブ」でメジャーデビュー。囁くような高く弱々しい歌声、控えめだが切実なシャウト、ほとばしる繊細な心の叫びは、吉本ばなな、スピッツなど、一流の表現者から激励を受けました。18歳だった七尾旅人は、『天才』として脚光を浴びたのです。
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「デビューした“天才”・・・しかしインディーへ」
けれども、中身はまだ18歳の未熟で不器用な少年。デビュー当時に出演したラジオでは、『星の王子様』について語ったり、「最近、自分の心臓の音が気になって眠れないんです……」と言うような、危うげな雰囲気をまとっていました。しかも音楽業界は、これからCDの売り上げが下がり始めるという不況の始まりでした。変わりゆく環境に翻弄され、20歳の時にメジャーを離れ、インディーの世界へ活動を移すことになります。周囲の協力を得て自分のサイトを立ち上げ、日記を書き続けるうち、すこしずつファンが集ってきました。
それからは、さまざまなライブに参加。国内の主要な音楽フェスにも、次々と出演するようになります(FUJI ROCK FESTIVAL、RISING SUN ROCK FESTIVAL、ARABAKI ROCK FESTほか)。
「ほかにない独特のライブ世界に、観客がハマる」
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これまでにスマッシュヒットとなった楽曲に『Rollin’ Rollin’』『サーカスナイト』などがあります。七尾旅人の曲のなかでも、軽くてノリのよい明るい曲調で、ライブでも人気曲です。しかし実際のライブでは、暗めの曲も多くあります。また、わざと崩した歌い方をすることもあり、原曲を知っている人ならその崩し方の繊細さや、その場に漂う空気に、ライブ感を楽しめます。さらにガジェット楽器を使って音を流して空気の揺れを体感させたりと、歌を歌うだけでなく、まさに“音を楽しむ”パフォーマンスが盛りだくさんです。
その試みは自身のライブだけに限らず、さまざまな企画を立ち上げています。たとえば、即興の音楽でたくさんのミュージシャンたちと立て続けに1日中即興対決を行うイベント『百人組手』や、ビートボクサー、聖歌隊、動物や昆虫を含むヴォーカリストのみのプロジェクトなども実施。単純に“ライブ”とは呼べない、独創的なアプローチで音楽を追求しているのです。
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「音楽で社会を変える。時代を拓くアーティストへ」
七尾旅人が注目を集めた理由は、楽曲やパフォーマンスだけではありません。
2010年には、音楽配信システム『DIY STARS』の運営をスタート。アーティスト本人が作品をネットで発表して販売するサービスで、手数料以外はすべてアーティストの利益になります。このサービス立ち上げには、レーベルの力に頼らなくても誰でも音楽を発信できるように、との思いが込められていました。また、東北関東大震災の直後には義援金を募集するプロジェクトを開始するなど、“歌う”こと以外の活動にも力を入れています。
最近では、ライブ映像作品『兵士A』を発表し、全国の映画館で上演されました。ほぼ新曲だけの3時間で、ひとりの兵士の物語を描くという物語性の強い作品は、音楽業界だけでなく、各メディアから注目されました。
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音楽というジャンルを超え、わたしたちの住む世界に一石を投じている七尾旅人。優しい語り口調や、穏やかな雰囲気とはうらはらに、その行動はビビッドで、新しい試みに対してとてもフットワークが軽いアーティストです。その活動は、ただ “歌” “楽曲” と呼ぶには幅広いものです。これからも世の中に、音楽の力強い風を吹かせ続けることでしょう。
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