Day1の苦しみが再び。タイムテーブル被り事案が発生
The Cureとジェイムス・ブレイクにジャンルとしての共通点はありませんが、この2組のタイムテーブル被りには頭を悩ませた人も多いのではないでしょうか。丸被りではないにしろ、どちらかのセットリストをフルで堪能することは出来ないという…。グリーンステージのThe Cureか、ホワイトステージのジェイムス・ブレイクか…。最後に誰のライブを観るのかも、フジロックでは重要だと思います。
今回はジェイムス・ブレイクを取ろう。でもギリギリまでThe Cureを見よう。そう決断しました。ステージの上手側に陣取り、スムーズにホワイトへ移動できるように体制を整えます。
強烈なバイタリティと色気を放つThe Cure。予定よりやや遅れてスタートしましたが、ステージに現れた時の独特な熱狂は忘れがたいものがあります。モクモクと焚かれたスモークの奥からメンバーが次々と登場し、最後に出てくるロバート・スミス。美しいと思いました。手首を揉みながら、何かを思案するようにステージ上を徘徊します。“Happy Sad”の元祖(詳しくは『シング・ストリート 未来へのうた』を)であるバンドのフロントマンは、まるで妖精のような雰囲気をまとっていました。
「Plainsong」で幕を開け、背徳的な美が展開されます。
危うくジェイムス・ブレイクに遅刻しそうになりました。あまりにもその所作に惹かれてしまったから。もちろん音楽も素晴らしいのですけども、それに呼応するロバート・スミスの振る舞いがとても絵画的で目をそらせませんでした。「High」ではギターを抱きしめながら歌う。ゴシックな衣装とメイクも相まって、やはり非人間的な凄みと包容力を感じました。裏がジェイムス・ブレイクでなかったから、確実に最後まで見ていたと思います。
またいつか、必ず来てください。その時は2時間でも3時間でも、ぜひ。
ラスト・オブ・ホワイトステージ 2019
タイムテーブル上、当然と言えば当然なのですが、ホワイトステージでフジロックの昼の部(深夜のレッドマーキーと区別するために便宜上“昼”とする)を終える場合が通例では大半であります。昨年はCHVRCHES、一昨年はMajor Lazer。そして記念すべき20回目の2016年はBattles。いずれもエレクトロニック・ミュージック系のアーティストですが、筆者の好みとしてドンピシャなので抗えないものがあります。最終日のトリを観るため、もはや全自動で体がホワイトへ向かうようにプログラミングされてしまった…。
とは言え、オーディエンスがジェイムス・ブレイクに求めるものは様々あると思うわけです。ダウンテンポで内省的なサウンドなのか、はたまた最新アルバム『Assume Form』に代表されるポジティブなインディーR&Bなのか。あるいは、「Voyeur」のようなダークかつアッパーなレイヴチューンなのか…。
結論から言うと、この日の彼は全部ぶっ込んできました。けれども、比較的ややアッパー。セットリストを見ても『Assume Form』からの曲が多めでしたから、彼の現在のモードとしては限りなくそこにあるのだろうなと。漏れなく「Voyeur」も披露されました。この曲だけで10分ぐらい演奏されまして、さながらUnderworldの「Born Slippy」のようでした。
踊れるし、内省もあるし、時には讃美歌のように朗らか。彼のキャリアの中でこれほど感情の起伏が激しい時代はなかったかもしれません。「The Wilhelm Scream」が終着駅のようにセットリストの最後に置かれていましたが、以前のように閉塞的なニュアンスはありませんでした。
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