「90年代一夜限りの復活祭 そしてギターさんのWikiをつくるぞー アーメン ギター男さん楽しい8回忌」と銘打たれた本イベントには、あまりに豪華な出演陣が揃った。本当は出演者全員について言及したいのは大前提として、ここでそれは物理的に無理なので、どうかご理解いただきたい。
声として「(恵比寿)リキッド(ルーム)規模のハコでやってよかったのでは?」や「8回忌ってずいぶん中途半端な、、」みたいなことも聞こえてきたが、開催のタイミングが紆余曲折したそもそもの原因は、もちろん新型ウイルスにある。でも、そんな時勢の渦中だったからこそ、90年代の復活を心から望み、祝い、思い出を共有したい人間たちが集結し、ギター男さんの存在の大きさが逆説的に濃縮、増したのかもしれない。
つまり、ガス今井さんに「まさかオレたちのイベントにあの方まで」と言わしめた、この日椎名謙介さん、宙Jさんによる「ghetto blasterz Ⅱ」(マイクはM.C. BOO)に参加されたヤン富田さんの言葉を借りれば、「必然的偶然」がそこにあった。むしろその濃厚な蓄積しか、この日この場所にはなかったかもしれない。
一応付け加えると、僕自身はギター男さんを一方的に知っているだけで、面識はなかった。
自分がミロスで遊びはじめた頃、須永辰緒=当時「DJ DOC. HOLIDAY」さんのイベント「CLUB OF STEEL」にガスは来なくなっていた。ただライブのステージ上で確認するギターさんはいつも楽しそうで上杉さん、今井さん、バリK〜ンさんとはまた別の大切な任務を担っている存在というのは、一目瞭然だった。そして今回仕掛けられた一連の企画で知った新事実も、たくさんあった。
「ミロス」とは新宿花園神社地下にあった(牧野)雅己さんプロデュースのクラブで、この日DJ KAORIさんも「ミロスガレージな選曲で!」と、80年代末〜90年代初頭のヒップホップクラシックを中心に、フロアを盛り上げていた(続いて宇治田みのるさんが最初にかけた曲も、PE『FIGHT THE POWER』だった)。
ガスボーイズは辰緒さんのレーベル「RHYTHM」(ロゴデザインはKCDさん)からデビューしたグループで、「ギター男」も辰緒さんの命名だ。
上杉さんの、「当時バンドに混ざってヒップホップが入ると、現場で音が弱かった」「そもそもターンテーブルが揺れちゃって針が飛んだり」という、いかにもまだヒップホップが社会的に認知されていない時代らしい話があり、それで「ギターを入れよう」と辰緒さんに相談したのが、すべてのはじまりだったと言う。
同件について辰緒さんに聞くと、「あいつの本名は小池で、ブラックサバスが好き。『ギター男』って名前は喜んでたし、衣装は裸ってことにして」とのこと。
ちなみに、この日朝3時にジャマイカから「今日、行けない」という連絡をしてきた「BOY KEN(当初はBOYEEE KENだったとか)」さんも、命名は辰緒さん。同レーベルにはMC JOEさん、YOU(THE ROCK★)さんも在籍していて、この日はその頃DOC. HOLIDAYさんの元に集まっていた若者たちの、30年越しの同窓会という側面もあった。
YOUさんが本イベント後にSNS投稿していた詩的な言葉が素敵で、的確にこの夜の空気感を伝えるものだったので、ご本人の許可のもと全文引用させていただく。
――「未だ未だ日曜日の余韻が残ってて
色んな事を思い出してしまった
そして時間が止まった
瞬間だった気がするんだよ
あの空間に居た人達
全員プレゼントを貰ったから
ギター男さんからの
メッセージ転送ギフト
俺達はあの頃完全に
青春真っ最中だったって事を
気付かせてくれたんだよ
あの音楽
あの曲
あの当時の服や
靴にキャップ
アソコの階段に
あのクラブ
勿論ミロスやガス
インクスティック芝浦や
あの頃乗って居た
スケートの板やウィール
independentのトラックの傷
覚えたての何かや
未だ味わいが分からない酒の味や
タバコのヤニの匂いが染みた
地下室の壁に貼ってあった
イベントのフライヤー
渋谷のセンター街にある
シンコウシャで作った
チラシの裏に描き始めた歌詞や言葉
落書きに毛が
生えた程度のダサいグラフィティー
辰緒さんのかける男達の歌
リアルファイトクラブな
ほぼ部活
気合いの体育会
力一杯暴れるオレら
見守りながらも大笑いしてる
カッコイイ木村さん
ニヤつく上田ちゃん
一瞬で大男達の喧嘩を
撃沈するギューちゃん
新アイテムを常に持って来る千葉君
常にブレないケンさん
信頼の関君
周りに人集りする
明るいチエコさん
のび太にクニちゃんや
カマゲンガールズ
出逢った時から
全く変わらないパブさん
ハコネダークブラザーズの馬鹿者達
グワシの取り巻き軍団
カオリさん
ルーシーにジョー君に
ピュー&ペー
あの当時付き合ってたガールフレンド
川崎チッタや代チョコ
いつも電車賃位しか
持って無い恵比寿迄の帰り道
俺が未だペイジャーに出会って無い
10代後半の俺
バックシティーブルースで
歌ってる時の俺が俺だった時の記憶
あの頃から皆んなそれぞれ
違う道を歩いて未来に向かって行き
そして
また逢えるという
素晴らしい体験
本当に有り難く思う
そして相変わらず
俺達は俺達だった
俺達が嘗て
出逢い生きて居た
場所が
あった事に
感謝しかありません
ガスボーイズ
マジでありがとう
超お疲れ様でした
ぶっちゃけ
こんな感動体験は
なかなか無いと思います
だってさ
本家本元のビースティーボーイズだって
達成出来て無いし
デフジャム自体も未だ
ハッピーエンドを迎えては居ない訳で
この偉業の成功と達成感は
映画化して
ネトフリに権利を
さっさと買い取ってもらう程の
感動秘話であり
俺達全員の生きて来た
証だ」
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