近年のフリースタイルラップ人気の立役者の一人、晋平太(しんぺいた)。B-BOY PARK MC BATTLE優勝、UMB二連覇など華々しい経歴を誇る彼だが、過去にはラップの世界から足を洗う寸前まで追いつめられたこともあったーー。
今やヒップホップのことをよく知らない若者にまでその名を知られるようになった“日本一のフリースタイル馬鹿”が、ヒップホップとの出会いから現在までを語り尽くした。
インタビュー・文=阿刀“DA”大志
ラッパーの“生き物”として面白そうなところが好きだった
ーーまずは晋平太さんの経歴から振り返っていきたいんですが、そもそもヒップホップに触れたのが15歳の頃だと。
そうですね。中学生の頃です。
ーーZEEBRAさんとかBUDDHA BRANDを聴いてたそうで。90年代後半のあの熱い時期ですよね。
日本語ラップの第一次ブームで、みんなメジャーデビューする一歩前、みたいな。僕の友達が日本語ラップのミックステープを作ってて、「これ、ヤバいから聴いてみ?」って渡されて、遠足のバスの中でずっと聴いてたのを覚えてますね。
ーーそれまではどんな音楽を聴いてたんですか?
兄がバンドをやってて、中学1、2年生の頃はHi-STANDARDとかGREEN DAYみたいなパンクが好きでした。ハイスタは今でもアナログ見つけたら買うようにしてます。詳しくはないけど好きでしたねぇ。
ーーパンクからヒップホップっていうもまた極端な変化ですね。
サウンドがどうこうというよりも“生き物”として面白そうなところが好きだったんですよね。僕が初めてラッパーをテレビで観たのはMTVでジブさんがカメラに向かってシャウトしてた時なんですよ。「俺が鼻息荒いシマウマ!」って。それがすごいツボっちゃって。それから友達からいろんな曲を聴かせてもらって。
ーーラッパーという“生き物”を面白がるところからスタートしたんですね。では、ぐっとのめり込むきっかけになったのは?
その友達がラップもやってたんですよ。「夕日が沈む、Bイズム!」って(笑)。それを見てすぐに韻の踏み方を教えてもらって、速攻授業中にリリック書いて、授業終わってからいきなりみんなに披露して。そこからしばらく遊びで曲作りしたいしてたんですけど、そのうちラップじゃない遊びのほうが面白くなっちゃって、しばらくヒップホップからは遠ざかるんですよ。
KREVA、般若、MSCが一堂に会したB-BOY PARK
ーーそれで、B-BOY PARK MC BATTLEに出たのが18歳の時だったんですよね?なぜ挑戦しようと?
高校を卒業した年だったんですけど、028(OJIBA)っていうラッパーと出会ったり、NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDが流行ってたこともあって、僕自身も「やっぱりラップだろ!」ってなってるときだったんですよ。それで028にMCバトルっていうものがあることを初めて聞いて。僕、元々フリースタイルはできたし、028も「俺、出る!」っていきり立ってるから「じゃあ、俺も出る!」って。そうしたらたまたま本選に進めたんですよね。
ーーそれもすごいですよね。
本選の会場はON AIR EAST (現TSUTAYA O-EAST)だったんですけど、その景色が半端じゃなくて。櫓みたいにリングが組まれててお客さんでフロアがパンパン。狭山から出てきた18歳の少年がこれまでに見たことないような光景だったんですよ。控室はみんな一緒で、狭い部屋にKREVAがいて、般若がいて、MSCがいて……すごく濃い回でしたね。あれが俺の原点です。
SHARE
Written by