GAS BOYS(以下、ガス)を観ることができていたのは、自分が高校1、2年の頃だった。
実は、その多くは「ガスを観に行こう」と目的にしていたわけでなく、ビースティボーイズやサイプレスヒル、ハウスオブペインなど、自分的な当時のヒーローたちの来日公演に行くと、ことごとくガスが前座を務めていたから、毎度半ば強制的にガスを観ることになった。
最初は、「なんてフザケた、そして楽しそうな人たちなんだろう」と思った。
OHNO(大野)さんがいた『Fine』ほか、雑誌で見かけると常にフザけた顔で、キレイなお姉さんたちに囲まれ、一番かっこいいスニーカーを履いていた、ガス。
それがだんだんと心掴まれ、前座のうちからモッシュしてダイブし、拳を突き上げて「ボーイズ!ボーイズ!ガスボーイズ!!」と一通り声を張り上げた後、汗だくでメインアクトを待つといったルーティンが当たり前になっていった。
後から、ガスの弟分GWASHI(以下、グワシ)とMILOS Garage(以下、ミロス)で知り合い、同い歳であることが判明。「同年代なのにすごい」とリスペクトせざるをえない気持ちで、彼らが着ていたTOKYO AIR RUNNERS(以下、TAR)が眩しく見えた。
「裏原の服を並んで買うのはダサい」と思っていたが、TARは吉祥寺の33に行くと、タイミングさえ良ければ普通に買えたので、背伸びして巡り合えた都度購入した。
この日も、フト気づくとグワシのマスクはTAR製で、つい抗えず「それどこで売ってるの?」と聞いてしまう自分に、高校生当時の感覚が戻ってきていることを認識できた。
ガスは正当な評価をされていない、その前後の文脈も切断され、国内に先人もフォロワーもいない「早過ぎたミクスチャーバンドだった」みたいなことが基本的に言われている。その理由は、自分の中には結構明確なものがある。
まず、カルチャーの進化の重要要素にある「誰でもできる」ということ。これは高木完さんと、ご著書『東京 IN THE FLESH』(イーストプレス、2021年)の中で確認できたことだ。
それまでの技術や権威をひっくり返すダダやポップアートが、美術史に根元的な変化を与えたことに言及するまでもない。ロックから技術や歌唱力が削ぎ落とされてパンクとなり、アイディア勝負なニューウェーブになったところで、そもそも楽器や歌、バンドといった形態からさえも解き放たれたヒップホップがブロンクスからマンハッタンはダウンタウンに降臨し、そこをとっかかりに約40年かけて世界を現在進行形で席巻中。
カルチャーの進化は常に、現在の礎を築いた者たちと、それを破壊し新たに築き上げようという者たちとのせめぎ合いから派生している。
そんな文脈の中で、『バカ&シロート』(日本コロムビア、1992)は、実は”クレバーなクロウト”によって練りに練られてひねり出された、それこそ”バカでシロート”な聞き手を煙に巻く、深くて強いパンチラインだったということに気がついた。しかもそれが、本当に考えていない純粋インプロビゼーションな、生活のルーティンから自然発生的に生まれてきたものだとする。であれば、そこにさらに「天性の閃き」までもが加わるわけで、フォローするにもやっかい極まりない。
つまりガスは、バカでもシロートでもなかった。ただ、ミクスチャーバンドの皮をかぶって実践していた行為が、その難易度で「誰にもできなかった」のだ。そうして今、MCの今井さんは現状を少し俯瞰しながら「30年経っても盛り上がるってのは、相当強度の強いコンテンツだったんだな」と、感慨深げに語っている。
2022年6月22日(水)、遂にSUPER DOMMUNEで『バカ&シロート』がアカデミックに語られる日がきて、「GAS BOYS」は自他ともに認める”概念”となった。
90年代中期にガスがその実体をなくしてから、数多のミクチャーとされるバンドが今日まで出現し活躍している。ここでライムスターのMC SHIRO aka 宇多丸さんの「もっと評価されるべきバンド」との言葉を引き合いに出しつつも、本質はMerzbow(メルツバウ)秋田昌美さんによる、「単なるロックとラップの融合ではない」という評の根幹に何があるか、僕たちはガスにやっと追いつき、考えられるようになったのだ。
2022年6月26日(日)、下北沢BASEMENT BAR/THREEで開催されたイベントは、そんな僕たちがガスのリアルなバンド形態を27年ぶりに目撃できる、記念碑的な一日だった。
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