【J】J-POP(松田聖子をはじめ、80年代の歌謡曲における功績)
「赤道小町、ドキッ」(山下久美子)、「ハイスクール ララバイ」(イモ欽トリオ)、「紐育物語」(森進一)、「禁区」(中森明菜)、「連れてってファンタジェン」(小泉今日子)。80年代を中心に細野さんは、数多くの楽曲提供を行っています。特に「天国のキッス」「ガラスの林檎」「ピンクのモーツァルト」など、80年代の松田聖子に数々の名曲を提供したことは(作詞はもちろん松本隆)、J-POPの歴史上、特筆すべきことだと思います。
職業作曲家と自身の作品の違いについて細野さんは「音響でもビートでもなく、メロディとコードに集中した作曲が「職業作曲家」の面です。しかも音域的にも歌詞の上でも自分では歌えないものです。ソロの場合は自分の声や身体が総動員してつくります。」とコメント。つまり、(楽曲を提供する)シンガーの音域、声質を活かし、自身のメロディセンスとコードワークが存分に活かされていることが、職業作家としての細野さんの魅力と言えるでしょう。
【K】KRAFTWERK
クラシック音楽を学んでいたラルフ・ヒュッターがインダストリアル・ミュージックに興味を持ったことをきっかけに1970年に結成されたドイツのバンド、KRAFTWERKはシンセサイザーを全面的に取り入れたアルバム「アウトバーン」(1974年)によって、前衛的な音楽とポップミュージックを見事に融合、世界的な評価を得ます。コンピューターを使った制作スタイル、近未来的なムードは、“まだ知らない音”を求めていた細野さんを大いに刺激。当時の細野さんは、後にトロピカル3部作(「トロピカル・ダンディー」「泰安洋行」「はらいそ」)と呼ばれるようになるエキゾチックな音楽を追求していたのですが、その世界観とKRAFTWERKからのインスパイアが結びついたのがYMOだったという言い方もできるでしょう。
30年以上に渡って世界中の音楽ファンに比較されてきた2つの革新的なバンドは、2012年7月に開催された脱原発をテーマとした音楽イベント「NO NUKES 2012」に出演。このイベントでYMOはKRAFTWERKの「放射能/Radioactivity(1975)」をカバーし、歴史的な邂逅を果たしました。
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