【E】エレクトロニカ
細野さんが音楽を生み出し続ける源泉は、感じたことがないもの、知らないもの、つまり“よくわからない”という未知への好奇心。時代によって大きく音楽性が変化しているのも、細野さんがその時期に興味を持っているサウンドに向かって動き続けていることの証左と言えるでしょう。2000年代に入った頃から傾倒していた“エレクトロニカ”もそう。90年代のアンビエントから発展する形で登場した00年代のエレクトロニカは、楽曲の上に環境音やノイズを乗せるのではなく、それ自体を取り込みながら表現するのが特徴。個人のミュージシャンたちが世界各地から発信した新しい音楽=エレクトロニカに感応した細野さんは、「これはどうやって作っているんだろう?」といわば手探りで模索を続け、それが“細野晴臣×高橋幸宏”のユニットSKETCH SHOWの1stアルバム「AUDIO SPONGE」(2002年)に結実します。ところが細野さんは、「“このソフトを使えば、いとも簡単にできる”ということがわかって、途端につまらなくなっちゃった」とエレクトロニカへの興味を失ってしまう。ひとつの場所に居着かず、動きを止めない。このことが細野さんの音楽の新しさにつながっている——もしかしたら、飽きっぽいだけかもしれませんが。
【F】ファンク
キャラメル・ママから発展したティン・パン・アレー(細野さん、鈴木茂さん、林立夫さん、松任谷正隆さんによる音楽ユニット)として活動していた1972年頃、当時の新しい音楽に興味を持てなくなった細野さんは、鈴木茂さんといっしょにレコードショップのビンテージ・コーナーで20世紀前半の古いレコードを漁っていました。まだ20代半ばなのに、こんなに古い音楽ばっかり聴いていて大丈夫なのだろうか……と不安になった頃に出会ったのが、Sly&The Family Stoneの名盤「Fresh」(1973年)。伝統的なファンクをアップデートさせた、密室性の高いサウンドメイクに衝撃を受けた細野さんは、ファンクへの興味を深めていきます。80年代半ばに立ち上げたユニット“Friends of Earth”(F.O.E)のアルバム「SEX ENERGY&STAR」(鼻血出そうなタイトル…)ファンクのゴッドファーザー、“JB”ことジェームス・ブラウンの「SEX MACHINE」をカバー。なんとJB本人が参加したことも話題を集めました。さらに1986年のJBの来日公演ではオープニングアクトとしてF.O.Eが出演。JBの熱心なファンからヤジが飛んだという逸話も、いまや伝説(?)でしょうか。
【G】グルーヴ
細野晴臣バンドのリハーサルは楽曲を演奏するよりも、じつは基礎練習が多い。たとえば“ドラムは深めのシャッフル、僕と細野さんはスクエアで、ベースはその中間”とか、リズムの組み合わせを試しながら、それをずっと演奏して。打ち込みで作るリズムのレイヤーをバンドでやってるというか……という話を高田漣さん(G)に聞いたときは“なるほど!”と膝を打ちました。YMO時代、コンピューターによる打ち込みのリズムを追求した細野さん(もちろん、坂本龍一さん、高橋幸宏さんも)は、“グルーヴは数値化できる”ことを発見。演奏者の勘に頼っていた“ノリ”を解析し、音の間隔を変化させることで“ニューオリンズっぽい”“沖縄音楽っぽい”リズムのバリエーションを人工的に作ることに成功したのです。未知のサウンドに興味を持ちながら、冷徹な視線で分析することも、細野さんの一貫したスタンス。そのことに気づいてから筆者は、「理屈じゃないよ! 音楽はノリなんだよ!」みたいなことを言う人を……(自粛します)。
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