音楽で伝えられることと、そうじゃないこと
――今回は『もうすぐ着くから待っててね』というタイトルに顕著なように、リスナーへの歩み寄りをすごく感じます。約半年前に小説『祐介』を発表した時には、尾崎さんは「自分のことを理解してくれないだろうという人には渡すつもりがない」と言っていました。かなり態度が変化しているように感じますが、これはどうしてでしょう?
尾崎:やっぱり音楽以外のことで表現できるようになったことが大きいですね。自分の中には、「わかってもらえなくてもいいからやりたい、追いついてこれないようなものをやりたい」という気持ちと、「わかって欲しい」という気持ちの2つがあるんです。音楽以外の場所ができたことで、音楽では「わかってもらえることを伝えたい」という気持ちになれたんですよね。わかってもらえないかもしれない衝動とかドロッとしたものは、他でも出せる。かと言って音楽でもうそれをやらないかというとそれは違いますけど、でも、少し楽になりました。
小説を書いたことによって、難しい表現は小説でやれるようになった。そのおかげで歌詞もだいぶ変わって来ました。言葉がよりシンプルになりました。昔は、音楽で伝えられないことも伝えようとして苦しんでたけど、今は音楽で伝わることがどこまでなのか、なんとなくわかるようになりました。
――やっぱり小説は尾崎さんにとってすごく大きかったんですね。
尾崎:書けて、ちゃんと出せたことは、本当に大きかったです。
――『陽』という曲は、すごくポップでハッピーですよね。「今を大好きになる」という歌詞が印象的です。これもやはり、小説を経たからこそ書けた歌詞ですか?
尾崎:そうですね。思ったことをそのまま入れてもいいなって思ったんです。どっちにしても自分がそういうことを言ったらちょっと引っかかると思うんですよね。「今までそんなこと言ってなかったからどうしたんだろう?」って。それは踏まえた上で書きました。ずーっとそういうことを歌ってた人が歌うのと、今までそういうことを歌ってなかった人が歌うのとでは感じ方が絶対違うと思うので。どっちに転んでもたぶん、ざらっとしたものは残るんじゃないかって思いました。
(東京メトロ【CM】Find my Tokyo.「中野_エンターテインメントジャングル」篇。流れている曲が『陽』。尾崎世界観も出演している)
小説『祐介』の悔しさ
――では少し小説の話をしたいと思いますが、以前、ミーティアで『祐介』のレビューをした時に、「この作品が芥川賞にノミネートされたとしても、いや、よしんば受賞したとしても、まったく不思議ではない」と書きました。それはお世辞でも何でもなく、正当な評価だと今でも思っています。でも、『祐介』は芥川賞にノミネートされなかった。そこで聞きたいんですが、まず、ぶっちゃけ、文学賞って欲しいですか?
尾崎:欲しいです。メディアではたくさん取り上げてもらいましたけど、それこそ文芸評論家にはまったく相手にされなかったし、本当に悔しいです。文芸界には見向きもされていないっていうこの現状を真摯に受け止めたいですね。でも何が足りないかわかって来たんです。恥ずかしくて、顔から火が出るような思いです。
――何が恥ずかしいんですか?
尾崎:評論家から相手にされないし、書評も載らないので。もう一回ちゃんとやりたい、勝負したいと思いました。
――ということは、また小説書きますか?
尾崎:書きたいなと思いました。『祐介』を書いても、ただ書いただけ、今はまだ小説を書いたという事実しかないので、悔しいです。
――たとえ受賞しなくても、何かの賞の候補になって欲しいと思ってました。たとえば芥川賞の候補になれば、権威も実力もある選考委員が読んでくれて、批判するなり賞賛するなりしてくれる。そうやって作品の価値が――特に文学の場合は――形成されていくと思うんですよね。芥川賞は、選考委員の選評が文藝春秋に掲載されます。あの選評って読んだりしますか?
尾崎:あれ面白いですよね。かなりひどいことを言ったりしてる(笑)。
――めっちゃ面白いですよね(笑)。個人的には、選考委員の村上龍は『祐介』を褒めるんじゃないかと思っていて。それか同族嫌悪でボロクソに言うか。いずれにせよ何かコメントすると思うんですよね。
尾崎:そうなると嬉しかったんですけどね……。そういえば、町屋良平さんっていう作家の小説、読みました?
――町屋良平って、『青が破れる』で文藝賞を受賞して2016年に作家デビューした人ですよね。
尾崎:すごく良かったんですよ。最近読んで、本当に衝撃を受けました。『CULTURE Bros.』の企画のために書店めぐりをしてた時に見つけて。タイトルも良いし、保坂和志さんが推してるし、文藝賞出身の李龍徳さん『報われない人間は永遠に報われない』という作品が好きだったので、ああ文藝賞かあと思って買って読んだんですけど、もう、たまらなくて……。
――その話ヤバい……。まさか尾崎さんの口から町屋良平の名前が出て来るとは……。町屋さん、友達なので、本人に確実に伝えます。町屋さんも、あんまり音楽詳しいわけじゃないけど、尾崎さんの曲好きなんですよ。
尾崎:ええっ! 本当ですか! すごく会いたいです。「この小説は本当に良い!」と思って。その時、結構落ち込んでたんですよ。なんか生きづらいなあと思ってたんですけど、これを読んで、頑張って生活していこうと思えて。受賞作の『青が破れる』も良かったし、他に収録されている短編もすごい良かった。
――『脱皮ボーイ』と『読書』ですね。
尾崎:そうそう! そういう良い小説を読んで自分の書いたものと比べると、すごく悔しい気持ちになります。情けないし、恥ずかしい。だから年末に又吉直樹さんに小説を褒めてもらえたのにはすごく救われました。一番怖いのが又吉さんなので。尊敬してる又吉さんに認めてもらえたのは救いですね。
――『火花』を評価した人はちゃんと『祐介』のことも書いてよって思いますけどね〜。
尾崎:でも本当に、小説を書いたことは良い経験でした。ずっとそうだったけど、改めて負け側として、より挑戦者として、もう一回挑めるなと思いましたね。
尾崎家のオールナイトニッポンが、始まりの始まり
――尾崎さんの作品には、「主観」と、「自分を俯瞰する視点」の2つの視点がいつもあると感じます。小説はそれがすごく顕著で、特に『祐介』のラストシーンは印象的です。そういった視点って、いつから持ち始めたんですか?
尾崎:小学生の頃からあったんですよね。小学生の頃、すごいコンプレックスがあって。どこにも行けないし、金がないから、電車に乗っても遠くには行けない、それがまず絶望でした。自分の家と公園か駄菓子屋か友達の家くらいしか行動範囲がない。それなのになんでこの人たちはこんなに楽しそうにしてるんだろう?って客観的に見てました。自分の行動に対しても「これは子供っぽい行動だ」と思ったりして。友達と遊んでる時も「こいつは今日は楽しかっただろうな」とか「今日は楽しくないんじゃないか?」とか考えてました。
――そういう視点って、何かのきっかけがあって持ち始めたんですか?
尾崎:いや、なんとなくでしたね。気づいたらそうなってました。
――その視点は、ありていに言えば「才能」だと思うんですね。小説だって、初めて書く時は自己陶酔的に、べったり書きがちだと思うんですよ。でも尾崎さんの文章にはそれがなくて、特にラストシーンでは3つの視点で自分を捉えていて、あれは『祐介』のもっとも優れたシーンだと思うんですが、なぜデビュー作でああいった書き方ができるのか不思議だし、明るい嫉妬を掻き立てられました。
尾崎:今でもそうなんですけど、子供ながらにいろんなことをキャッチしてしまったからかもしれないです。人が思ってることをなんとなく感じてしまったりする。でもそれはすごく疲れます。電波がいっぱい入って来るので。
――子供の頃に父親の世間話を聞いていたことが尾崎さんのルーツのひとつだと伺いました。今の話は、それと関係があるような気がします。難しい話を聞かされてめんどくさいっていう気持ちはなかったですか?
尾崎:全然ないですね。父親が母親に話してるのを聞くと、ラジオが始まったような感覚になりました。尾崎家のオールナイトニッポン始まったみたいな(笑)。
――お父さんとは仲が良いんですか?
尾崎:バンドを始めた時は「いつ辞めるんだ?」ってずっと言ってましたけど、ある時から急に手のひらを返して(笑)。父親は、すごく、一般的な成人男性だなと僕は思ってます。でもやっぱり、何かあったんでしょうね、表現したい気持ちとか。そういうものは代わりに晴らしてあげたいと思ってます。
――音楽をやることに関して、今は何ておっしゃいますか?
尾崎:今は応援してくれてます。すごくいろんな雑誌を見たりして、あの記事はああだとかこうだとか教えてくれます。ミーティアの記事も、『祐介』のレビューを勝(父)がすごい喜んでて、「あんなふうに書いてくれる人いないぞ、お礼言った方がいいんじゃないか?」って。
――先にお父さんが読んでたんですか(笑)。
尾崎:勝が連絡して来て「お前、あの記事読め」って(笑)。
――それ、めちゃくちゃ嬉しいです。じゃあこのインタビューも読んでくれるかなあ。
尾崎:読むと思います。
――お父さん、よろしくお願いします(切実)!!
尾崎:勝が面白いって言ってるものは響くものなんだって、指標になります。「あの人は良い」とか「あの人はつまんない」ってハッキリ言いますからね。「やっぱりあの人のインタビューは良いな」とか「あの人のインタビューは薄っぺらくてつまんない」とか。
――ヤバい、緊張して来た……。勝さんに認められるようにも頑張ります……!
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