苛立ちの根本にあるもの
――尾崎さんの場合、「苛立ち」や「怒り」が原動力になっていることが多いと思います。何が尾崎さんをそれほど苛立たせていて、その根本には何があるのか、興味があります。
尾崎:「気づいてしまう」ということだと思います。鈍感であればいいんですけど、神経がいつも尖ってしまっていて……。それはもう、病気だと諦めてるんですけど。
――「ああ気づいちゃったな、苛つくな」と思った最初の記憶って憶えてますか?
尾崎:何だろう、きっと子供の頃でしょうね……。でもいつも言ってることって弱い犬が吠えてるだけのことで、噛み応えがある人にしか噛み付かないんですよ。もちろん「こいつに言われたら腹立つな(舌打ち)、こんな奴に」っていうのはありますけど、そういう時は絶対に言い返さないですね。そういう奴は、噛んでも仕方ない奴、噛む場所もない奴だと思うので。噛み付くならデカいとこに噛み付いていきたい。だから小型犬みたいなものです。小型犬ってすぐ走って来て噛み付いて来るじゃないですか? そう思ってもらえたらいいですね。
――じゃあ尾崎さんの苛立ちの根本にあるのは、愛情ですね?
尾崎:そうですね、やっぱり気持ちがないと言わないので。わかってもらいたいことの裏返しで、「なんでこの人はわかってくれないんだろう」っていう悔しさが出て来る。……子供ですね、やってることは。
――自分を何かから守るというよりは、「わかってくれよ」という、愛への渇望のようなものが強いですか?
尾崎:そうです、それはすごく強いですね。
――じゃあ尾崎さんに噛み付かれるようになりたいですね。個人としても、メディアとしても。
尾崎:(笑)。
――怒りともう一つ、尾崎さんにとっては「性」が大きなテーマだと思いますが、「性」にこだわる理由は何ですか?
尾崎:それはやっぱり、そもそも構造が違いますから。女性に対する尊敬ですね。あとは甘えがあります。女の人にだったら何とかしてもらえる、という甘えです。それから、単純に、女性が好きだからですね。
――女性に対する無力感はありますか?
尾崎:無力感とはまた少し違いますね。でもどうしても、どんな人とでも、最終的に行くところに行った時には微妙な感じになるじゃないですか? たとえば、新幹線の駅の改札で「じゃあ僕こっちなんで」って別れたのに、ホームでまた会っちゃうみたいな。男女の行為そのものがある以上は、ああいう気まずさってあると思うんですよね。それはいつも面白くて笑っちゃいますけど。
――『anan』に掲載されていた『最夜』という短編小説を読んだんですが、あの小説には男の無力感が漂っている気がしました。「女性に何かをしてあげるということは、基本的には不可能なことなんだ」というような。もっと言えば「関与できることなど何もない」という。
尾崎:そうですね。何かをしてあげるという感覚ではないですね。……そうだなあ、でもやっぱり女性に対しては尊敬と、甘えたいという思いが強いですね。
ただ、最初に「性」をテーマにしたのは、表現する場所として「性」という領域が空いてると思ったからでもあります。特に歌ではそれほど触られていない領域だと思ったので。20代前半の頃からそういう思いがあって、徐々にピントが合って来て、「性」というテーマと、音楽をやっていく上での気持ちがちょうど良いところでリンクしたのが『イノチミジカシコイセヨオトメ』という曲なんですよね。そこで形ができた。
――今回の『ただ』という曲には、「イノチミジカシコイセヨオレ」という歌詞がありますが、対になってるんでしょうか?
尾崎:なんとなく出てきた言葉なんですけど、結構そこに引っかかってくれる人が多いみたいで、それは嬉しいなと思います。
もう一度出て行くために、悔しさと恥ずかしさから目を背けたくない
――小説『祐介』には、「ギターの弦が切れた瞬間がバンドをやっていて最も手応えを感じる瞬間だ」という文章があります。今の尾崎さんがバンドをやっていて最も手応えを感じる瞬間はいつですか?
尾崎:うーん……今はほんとに、苦しい、きつい、「なんでこんなにうまくいかないんだろう」みたいなことばっかりなんですよね。それはそれで楽しくもあるんですけど、やっぱりきつい。レコーディングしてミックスしてる時とかは手応えがあるんですけど、それがなかなか広まっていかない現状に苦しんで、また新しい曲を作って、それの繰り返しなので……。そういう意味では、バンドをやっていて手応えを感じたことってないのかもしれないです。手応えを感じたら、やめてしまうのかもしれない。
――まだ広まっていないという感覚があるんですか? クリープハイプは明らかにこの国の重要なバンドだと思いますけど。
尾崎:広まってないというか、一回広まって消費されて、世の中での役割を終えてしまっているという自覚があります。一応知られているとは思うんですけど、その上でもう一回出て行くためにはどうしたらいいか、そういうことを考えてます。
――それはバンドが次の段階に入ったということですよね。
尾崎:それは本当にきついですね。恥ずかしいっていう気持ちがあるんです。「2010年くらいのバンドだよね」って思われてるという自覚があるから。
クリープハイプって、ピークが2013年のバンドなんですよ。『憂、燦々』出して、『吹き零れる程のI、哀、愛』っていうアルバムを作って、武道館公演を発表したりして。そういうふうに「2013年のバンド」って思いながら2017年をやっていく悔しさとか、恥ずかしさがある。その悔しさや恥ずかしさからは目を背けたくないですね。
――クリープハイプには10年近いインディーズの期間があり、その間にはメンバーが尾崎さん一人になったこともあるなど、紆余曲折を経て来ました。そして2013年にブレイクがあり、今に至るわけですが、尾崎さんはこの期間で、自分が変わったと思いますか?
尾崎:うん、変わったと思いますね。単純に、長くやって来たからできることも増えたし。……そうだなあ、でも、どうなんだろう……。
――あるいは、変わっていない部分があるとしたら、どこでしょう?
尾崎:音楽をちゃんと続けられていることは、自分では意外かもしれないです。自分自身を飽きさせずに続けて来られた。最近では「こんな曲も作れるんだ」って驚くこともあります。だから改めて、自分は音楽が好きなんだなと思いました。音楽を続けるのって大変なんですよね。なんか、お母さんみたいになって来てて。
――お母さん?
尾崎:周りからは「また他の活動ばっかりして、音楽やってない」みたいなことを言われるんですけど、自分の中ではそういう感じではなくて、音楽ってもう、母親みたいなものなんです。「いいからあっち行けよ」って言ってしまえるくらい身近で、少し向き合いづらいものでもある。
――音楽を母親にたとえるということは、「辞め時がわからなかったから続けた」というわけではないんですね?
尾崎:そうですね。明確に辞め時はありましたからね。でもそこでも「今辞めたらこの人にこういう迷惑がかかる」と気づいてしまう。何回も辞めようと思うんですけど、そう思う時はいつも、半年くらい先まで予定が決まっている。その間に何か良いことがあったりして、結局、続けていこうと思ってしまう。
辞めたいのに辞められないという気持ちはあります。でも、不貞腐れて放り出したら、その放り出したものを誰かが持って行くだけですからね。みんなが「大丈夫?」って寄って来てくれるわけではないし。悔しくて、何もかも放り出して逃げたくなる瞬間もあるんですけど、そこは頑張ってしまいますね。
――では最後の質問です。尾崎さんの「運命の出会い」って何でしたか?
尾崎:運命の出会い……(しばし考え込む)。運命の出会いがないことが、運命なんじゃないですかね……。
――おお、それは初めての答えかも……。
尾崎:やっぱり、誰に会っても空気が漏れてしまうというか。どんな出会いがあったとしても関係が壊れることはあるし、ピッタリはいかないというか……。本当の運命の出会いなんてない、ということが運命なんじゃないかと思います。
今ここで「運命の出会い」と聞かれてパッと応えられないことが、続けていく原動力なのかもしれないですね。
クリープハイプ:
尾崎世界観(Vo/Gt)、小川幸慈(Gt)、長谷川カオナシ(Ba)、小泉拓(Dr)からなる4人組ロックバンド。2012年メジャーデビュー。現在、作品集「もうすぐ着くから待っててね」が発売中。4月26日には映画「帝一の國」主題歌「イト」の発売も決定。
(映画『帝一の國』特報。0:10から流れるのが新曲『イト』)
SHARE
Written by