現在進行形の名作RPGとして不動の地位を築いたペルソナシリーズ
ここのところゲームフリーク界隈では良質な正統派RPGを求める声が大きい。その声の出どころの多くは、RPG全盛の時代に自身の青春時代を過ごしてきた層だ。彼らは心の底から夢中になれるRPGの存在を知っている。もちろんぼくだってその中のひとりだ。
しかし、2018年となった現在では、そのようなRPGが希少価値となってしまっている。RPGシリーズの2大巨頭である『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』は、言わずもがな、現在もナンバリングシリーズが継続しているが、プレイヤー側の嗜好の変化、シリーズの方向性の変化などによって、必ずしもゲームフリークが満足できる作品となっていないのが現状だ。
そんな中、現在進行形で進化を続け、ファンを拡大し続けているRPGがある。それがこのコラムの主役であるペルソナシリーズだ。まずはペルソナの歴史について簡単に紹介したい。
ペルソナシリーズは、1996年にPSで誕生した。記念すべき初作のタイトルは『女神異聞録ペルソナ』。おなじくアトラスから発表されていた真・女神転生シリーズとはシステムに大きな違いがあったことから、当初はその流れを汲む外伝のような位置づけでスタートしたタイトルだった。(真・女神転生シリーズも2018年現在開発が続く現行のタイトルである。最新作『真・女神転生Ⅴ』はNintendo Switchで発表予定)
その後、1999年と2000年には第2作となる『ペルソナ2 罪』『ペルソナ2 罰』(どちらもPS)を発表。少し時間をおいて2006年『ペルソナ3』(PS2 )、2008年『ペルソナ4』(PS2)とナンバリングタイトルの発表が続いた。ナンバリングタイトルの最新作は第5作にあたる『ペルソナ5』。こちらはPS3とPS4によるマルチプラットフォームとなっている。
『ペルソナ』ということばの意味
そもそも『ペルソナ』とはどういう意味のことばなのだろうか?ここにペルソナシリーズの魅力を紐解くヒントがある。
『ペルソナ』はもともと、古典劇において役者が装着する仮面を指すことばだった。しかし現在それより知られているのは、心理学における使われ方だろう。
有名な心理学者であるカール・グスタフ・ユングは、個々の人間が人に接するときに見せる人格的な外面のことを『ペルソナ』と定義づけた。あらゆる人が持つ「自分だけが知る自分」と「周りに見せる自分」の2つの人格。そのなかでも周りに見せる自分のことをユングが唱えた学問では『ペルソナ』と呼ぶそうだ。
ここには多かれ少なかれ人格の乖離からくる葛藤がある。ペルソナシリーズのシナリオもこの葛藤を軸に描かれている。
また、マーケティングなどの分野においても、『ペルソナ』ということばが使われる場面がある。
世にある財やサービスは不特定多数をめがけてつくられているが、実際に使う人のことを想像しなければ良いものは生み難い。そのようなケースでは、実際には存在しないユーザーの背景を設定し、その彼に使われることを想定してものづくりをおこなう。このときに設定される実際には存在しないユーザーのことを『ペルソナ』と呼ぶのだ。
ぼくのような文章書きのしごとにも、この『ペルソナ』は登場する。どんな人に読まれる文章を書くのか。どのような文章を書けば、彼らの役に立つのか。ぼくたちは、PCのモニターの向こう側に『ペルソナ』を感じながら文章を書いている。
ペルソナシリーズでは、登場キャラクターの能力によって使役されるモンスターのようなものを『ペルソナ』と呼ぶ。一般的には存在していないものを『ペルソナ』とする点については、通ずるところがあるのかもしれない。
ペルソナの生命線である人間の描き方
先にも話したように、ペルソナシリーズ(特に3以降の作品)のシナリオは、人のあり方を軸に据えて描かれている。そうなったときシナリオの質に大きく影響するのがキャラクターの生々しさだ。感情移入できるようなキャラクターでなければ、心の機微を描く物語にプレイヤーを没頭させることはできない。
ペルソナシリーズに登場するキャラクターは、ぼくたちが生きる現実の世界と何ら変わりない「普通」の世界に生きている。朝起きて学校へ行き、そこで友人や取り巻く大人たちと出会う。家に帰れば、そこには家族がいて、当たり前のように一緒の時間を過ごす。
怪談や都市伝説、非科学的な事象といったオカルティックな要素をシナリオの下地としつつも、その世界観のなかで展開されるのは、友情や家族愛、恋愛といったヒューマンドラマ的な物語だ。まずこの「普通」な世界によって、プレイヤーは物語へと無理なく入っていける。
このヒューマンドラマ的な物語や普通の世界は、一見RPGにとって当たり前のようにもおもえる。しかし、最近のRPGでは、近未来やSFといったぼくたちの実生活に馴染みがないテーマを物語の主軸に据えていることが少なくない。
なかには物語に上手に誘導してくれるシナリオも存在するが、あまりの専門用語の多さにプレイヤーが置いてけぼりを食らうこともしばしばである。
2009年に発売された有名シリーズのナンバリングタイトルがまさにそれで、プレイヤーが置いてけぼりになるシナリオが、ネット上のいたるところで揶揄されたことはまだまだ記憶に新しい。
そんな世界で描かれるペルソナシリーズの登場人物は、それぞれに悩みや迷いを抱えながら一生懸命に日常を過ごしていく。ここで描かれている悩みや迷いは、ぼくたちが生きていく上で抱えるものと同質だ。そのため、プレイヤーは気持ちを想像するのが容易で、難なく感情移入できる。
彼らは、物語が進行するにつれてありのままの自分を受け入れ、悩みや迷いに自分なりの答えを出していく。そのプロセスはとても人間味にあふれるもので、共感せずにはいられない。
このタイトルが『ペルソナ』と名付けられたのも、やはりここに理由があるとおもう。「自分だけが知る自分」と「周りに見せる自分」の2つの人格。そのなかで揺れ動く葛藤によって浮き彫りにされる登場人物の人間性が、ペルソナシリーズの生命線であることは疑いようがないだろう。
キャラ人気に裏付けられたスピンオフ作品の数々
ペルソナシリーズの人間味のあるキャラクターの描き方は、RPGとしての評価と同時に大きな副産物を生み出した。それがキャラクターに集まる人気だ。
日本のカルチャー業界全般では2000年代からスピンオフが一大ブームとなった。
スピンオフとは、原作となる特定の作品をベースにつくられる別ジャンルの作品のことで、わかりやすく言うのであれば公式による「二次創作」といったところだろう。
映画では踊る大捜査線シリーズから派生してつくられた『交渉人 真下正義』『容疑者 室井慎次』が大ヒットを記録。ゲーム業界では、『マリオ』『ドラゴンクエスト』『ファイナルファンタジー』といった有名シリーズから続々とスピンオフ作品が登場した。スマホゲームで現在も高い人気を誇る『Fate/Grand Order』も原作はPCで発売されたノベルゲームだ。
この項の冒頭にある画像は、2012年に発売し、ペルソナシリーズ初のスピンオフゲームとなった『ペルソナ4 ジ・アルティメット イン マヨナカアリーナ』。ジャンルは2D格闘ゲームで、e-sportsとして全国大会が開催されるほどの作品となっている。
2014年には続編である『ペルソナ4 ジ・アルティマックス ウルトラスープレックスホールド』も発売。格闘ゲームというコアなゲームジャンルにおいて、これまでプレイしてこなかったライトな層にまで支持を広げたことは大きな話題となった。
2015年にはペルソナ4のキャラクターが登場するリズムゲーム『ペルソナ4 ダンシング・オールナイト』を発表。活躍の舞台をまた別のジャンルへと広げることになった。
今年2018年には、『ペルソナ3 ダンシング・ムーンナイト』『ペルソナ5 ダンシング・スターナイト』を揃って発売。これによってペルソナシリーズの人気ナンバリングタイトル3作がリズムゲームとして出揃った。
こちらは2014年に発表された『ペルソナQ シャドウ オブ ザ ラビリンス』。アトラスの人気作品『世界樹の迷宮』とのクロスオーバーが、ダンジョンRPGの舞台で実現した。
対応プラットフォームはニンテンドー3DS。ゲームジャンルやその支持層に合わせて、プラットフォームも柔軟に変えていることがうかがえる。
さらに来たる2018年11月29日には、最新作となる『ペルソナQ2 ニュー シネマ ラビリンス』を発売する。
こちらには前作『ペルソナQ シャドウ オブ ザ ラビリンス』後に発売されたペルソナ5の登場キャラクターも参戦。過去のスピンオフ作品を見ても、看板ナンバリングタイトル3作のキャラクターが一堂に会する作品はなく、キャラクター人気が魅力であるペルソナシリーズにおいて豪華な作品となることは必至だ。
人気シリーズのスピンオフ作品最新作ということもあり、ゲームフリークのあいだでも大きな注目を集めている。
記事の冒頭でも話したとおり、いまの日本において良質な正統派RPGはそれほど多くない。そのなかにあってペルソナは数少ない次作に期待が持てるシリーズだ。
技術の進歩にともなって勘違いされているが、良質なRPGに必要な要素は圧倒的なグラフィックや、凝り尽くされたゲームシステム、華麗なアクションなどではない。これらはすべて最低限を守るシンプルなものでいいのだ。では、良質なRPGにほんとうに必要なのは、いったいどんな要素なのか。この質問にペルソナシリーズは答えを返してくれる。
次作ペルソナ6の発売は何年後だろうか。いまからその日が待ち遠しくて仕方ない。
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