昨年、立て続けに4枚のシングルを発表したSKY-HIが、1月18日に満を持してニューアルバム『OLIVE』をリリースした。
ミーティアはSKY-HI本人を直撃し、インタビューを決行。
ニューアルバムに込められた思いから、5月に行われる武道館2daysへの意気込みを語ってもらった。
Interview_Arato Kuju
Edit_Arato Kuju & Michiro Fukuda
Photo_Hiroyuki Dozono
俺は何回でもリスナーのところで蘇れる
――『OLIVE』は、まずアートワークが素晴らしいですよね。コンクリートを突き破る樹に“生命の喜び”みたいなものを感じると同時に、その樹がそれまで抑え付けられていたものにも見えて。ご自身の目には、今回のヴィジュアルはどういう意味合いのものに映っていますか?
SKY-HI:無機物を有機物が突き破る。『OLIVE』ってタイトルが付く前から、アートワークのイメージがあって。製作途中でタイトルまだ決まってないときに、先に(ビジュアルイメージが)出来上がったくらい。
何を以てして生きてると感じるかって人によって違うと思うんだけれど、すごく無機質に見えることが多い2017年のコミュニケーションが念頭にあって。人との関わり方とかも、俺が子どもの頃と今では大きく違うんだけど、今はそれが普通になっていて。
電波の上って、血が通ってない。それ自体には血が通ってなくても、そこに血を通わせることができるのは、受け手と作り手に血通った人がいるからっていう。ただ一通のメールでもそう。音楽を作っている我々と受け手の関係もそう。音源を再生される度に、俺は何回でもリスナーのところで蘇れるし、それは録音物がただ再生されるってだけじゃなくて、そこに生命力みたいなのを込められているかどうか鍵。それは作り手の問題で。
作り手が種を植えてさえいれば、それはどんな無機物に包まれて年月が経ったとしても、もしかすると無機物具合がひどくてとんでもないことになっても、それを突き破れる強さはあるものだから。
生命についてはすごく考えました。「生命力のあるアルバムを作ろう」と思ってたし。“2017年に一番必要なもの”になれた感覚はすごくあるかな。「ライフタイムサウンドトラック」って途中で(作品のことを)呼んでたんだけど。
――「ライフタイムサウンドトラック」とは、具体的にどういう意味合いの言葉ですか?
SKY-HI:その人の人生において、通過する前と通過したあとで、通過したあとの方がいい人生になれるもの。音楽ってご飯と違って、なくても生きられる中で、いかにその人の人生の栄養として価値があるものにできるかを考えたくて。
その逆の考え方も多い気がするんですよね、最近は。価値がない、生きる死ぬに直接関わらない、食べなかったら死んじゃうけど聴かなくても死なないっていう方にもう振り切って。それは別に諦めの意味だけじゃなくて、単純に時代の、ファストフードみたいな感じのファストミュージックを出すのも確かに現代的。でも、それは多分2015年、2016年くらいにおける「現代的」なもので。
多分今年はね、もう一回“音楽の生命力”に必要性が生まれる時代になる感覚があって。だから、今回のアルバムはその先駆けになれてるかもしれない。そういう風に人の人生に寄り添える力がある。生命力がある作品をね、「ライフタイムサウンドトラック」と呼んだ。
――前作の『カタルシス』は、「死を生」、「ネガティブをポジティブに転換するパワー」が表現されていた作品だと思います。一方、『OLIVE』は「これから先も続く人生」を描いた作品だと感じました。「人生」を描く上で気を付けたポイントはありますか?
SKY-HI:二つあって。一つは確かにテーマが大きいから、(作品に)責任を持つこと。
もう一個は、ある種それとは真逆に聞こえるかもしれないけど、必要以上に大きく捉えないっていうか。
だってみんな生きてるわけだし、誰にでもあるものだから。今は死んだら終わりな気がするけど、死んだら第二ラウンドスタートみたいになるかも知れない。現状のトピックとして、「男性である」とか「女性である」とか「サッカー選手である」とか「サラリーマンである」とか「学生である」とか「音楽家である」とかっていうのと同じ感覚で、「生きている」っていうのがポンッとあるだけだから。だから、人生を必要以上に大きいこととして捉えない。
あと、その二つのバランス。
言葉に深みを持つ自信があるし、曲はすごいポップなものに仕上がってきてる。だからこそ、責任はちゃんと持とうと思う。このポップなテンションで居ながらも傷の部分とか、痛い部分とか、恥ずかしい部分とか、情けない部分とかそういうのからちゃんと目を逸らさないというか、ちゃんと書く。それは意識したかも。
――「必要以上に大きく捉えない」という言葉で『OLIVE』の中の楽曲、『十七歳』を連想しました。アルバム全体に人生というテーマがあると同時に、この曲によってSKY-HIさんの個人史という意味合いも作品に生じていると感じます。
SKY-HI:まさにそのための個人史って感じで。(アルバムが)『リインカーネーション』から始まって『BIG PARADE』、『Double Down』で、『Stray Cat』から個の話にしたいんだけど、人と向き合うために『リインカーネーション』で「君に会いにきたんだ」ってスタートする。
そこから”個”として人を愛するために自分と向き合わないと、と思って。自分と向き合うためのプロセスを考えていくと、ちょっと『Stray Cat』は他人の話に聞こえるっていうか。実際他人の話じゃないですか、リスナーからすると。野良猫じゃないし(笑)。
(『OLIVE』を)“自分の歌”であることにするために『十七歳』以降、『明日晴れたら』、『アドベンチャー』、『創始創愛』まで行って、『Over the Moon』に行く。その上で“誰でも経験したことがあるわけじゃないけど、経験したことがあるような気がする、誰にとっても近いトピックス”であるようなことを一個入れておいて。それがきっと寄り添うってことになるかも知れないんだけど。いわゆる個人史というか。(アルバムにとって)必要なプロセスですね。
(『OLIVE』に収録されている『アドベンチャー』公式MV)
――『OLIVE』の中では『How Much??』のように現代社会を厳しく見る視点の曲もありますが、この曲があることでSKY-HIさんがそれの当事者であるような意味合いも発生していると思って。全体が“当事者意識”に貫かれたものに感じられました。
SKY-HI:ああ、当事者意識。それなんですよね「自分の歌である、かつ聴いてくれた人の歌である」っていうことは。
一番思っていたのは――腐すような発言と捉えられても別にいいんですけど(笑)。「大丈夫ソング」とかさ、「君は一人じゃないよソング」を聴かされるときに一番思ってたのは「お前は誰目線やねん」ってことで(笑)。
ちゃんと歌に輪郭つける意味では、明るい話をするためにはちゃんと暗いところと向き合わないといけないし、そこをむしろちゃんと書かないと明るく聞こえない。逆に言うと、明るい曲を書くっていうことは、暗い話をする必要が出てくる。それは、人に対して感じた責任でもあるけど、自分に対して持ってる責任でもあったのかもね。当事者意識っていう言葉と何だかリンクするような気がします。
自分が「誰目線やねん」って思っちゃわないようにすることが、自分の歌への責任で。そういう条件を満たしてこそ、リスナーにとって「リスナーの人の歌になれる力」を持った曲になれる。
――そういった意識を持っていない曲に対しては、SKY-HIさんは一リスナーとして違和感を覚えることが多かったですか?
SKY-HI:違和感しかないですね。あとは変な英語とか。「だからhold me tight」とか「寂しくてsurrender」みたいな(笑)。あと、それこそラッパーが陥りがちな韻踏むため言葉とか。そういうのは、ねえ。
――『BIG PARADE』と『Double Down』の共通点には、人生を娯楽性の高いものとして描いていることが挙げられると思います。この点に込めた狙いはありますか?
SKY-HI:『カタルシス』で「死す語る」っていうのを一枚やっておいて、で、次にまた「生」を語るアルバムやるから――。全ての映画とか音楽とかがそうであるんですけど、序盤でこれから始まることに対してわくわくしてもらわないと、ちゃんと寄り添えないっていうかね。イントロが始まった瞬間からわくわくしてもらわないと。これから起こることに対しても、このアルバムが紡ぐストーリーに対しても。あと、それを通したその人の人生に対しても、最終的にわくわくしてもらわないと嫌だったから。
(『OLIVE』に収録されている『Double Down』公式MV)
『リインカーネーション』みたいな演奏で始まって、『BIG PARADE』とか『Double Down』みたいな形で、人生に立ち向かう姿勢をエンターテイメントにして話すのがスタートにないと、最終的な『創始創愛』とかのメッセージの響き方にも影響するし――。終始、あのテンションで話されたら嫌ですよね(笑)。
――(笑)
SKY-HI:出会って初めて会った日に夜景の見えるレストランで指輪を渡すみたいな感じになっちゃうから(笑)。ちゃんと段階を踏まないと。カフェデートあたりからしないと、っていうマナーかな。
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