<VIVA LA ROCK 2017>が閉幕してから、ちょうど1ヶ月が経過しました。今になって振り返ると、今回の同フェス(以下ビバラ)は、現在の邦楽シーンの総括として大変重要なイベントだったのではと思います。と言うのも、本イベントの主催者である鹿野淳の目論見が、今年のビバラではほぼ全て実現していたからです。
VIVA LA ROCK 2017 ティザー映像
開催当初、ビバラには二つの狙いがあったといいます。(参考:Real Sound、CINRA.NET)
一つは「埼玉」という場所に根付いたフェスにすること。二つ目は、日本における現在の「ロック」の位置付けを明確にすること。この二つです。まもなく本格的にフェスシーズンへ突入しますが、その前に今一度、これらが如何に意義深かったのかを考えてみます。
まずは、「埼玉」で音楽フェスを開くことから。
さいたまスーパーアリーナという場が持つ絶対性
入場無料のVIVA LA GARDENの様子。さいたま新都心のド真ん中。
日本の音楽フェスティバルの先駆けは間違いなく『フジロック フェスティバル』です。「先駆け」の定義は諸々考えられそうですが、ここでは音楽フェスの存在をマスに知らしめた最初の存在としましょう。その次に『サマーソニック』、『ロック・イン・ジャパン・フェスティバル』と続きます。
フジロックのモデルとなったのは、イギリスの『グラストンベリー・フェスティバル』。初開催の1997年以来、ほとんどリアルタイムで海外のシーンを反映させています。
サマーソニックが参照したのは、同じくイギリスの『レディング&リーズ・フェスティバル』。サマーソニックが参考にしたのは「アーティストが日程をずらし、二つの異なる会場でのパフォーマンスを可能にする」という方法論でしたが、第一回のラインナップを見る限りでは、海外の音楽を文脈ごと日本へ輸入しようとしたことは想像に難くありません。その点ではフジロックと共通します。ヘッドライナーを務めたのは、ザ・ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンと、グリーン・デイです。
(出典: SUMMER SONIC 公式サイト)
Green Day – Basket Case
ロック・イン・ジャパンは、その二つを横目に「日本人アーティストだけでロックフェスを」というコンセプトを打ち出していました。ここで言う「日本人」とは、海外に相対する「日本人」を意味するのでしょう。つまり、日本のフェスカルチャー黎明期を支えた組織は、押し並べて「外」の概念を持っていたのです。彼らにとってフェスティバルは、海の向こうの文化だった。限りなく相対的なものだったわけです。
かたやビバラは、まず「埼玉」という土地が前提にある。単なる開催地としてでなく、「発端」としての埼玉。サマーソニックと同じように、方法論として海外のフェスを参考にすることはあるでしょうが、ビバラの場合は中身が純国産なのです。ここに、僕は絶対的なカルチャーの発生を見ます。
(VIVA LA ROCKの公式アカウントより)
VIVA LA GARDEN内のフードも、埼玉のお店とガッツリ組んで展開しておりました。
カルチャーの語源はそもそも「土地を耕す」という意味ですから、やはり地域や風土に密着するというのは、本来文化として大変重要だったわけですね。ビバラはその根本的な部分から、シーンを作り上げようとしているように思うのです。
で、今年は音楽の側面から見ても批評性が高かった。ここからは、ビバラの二つ目の目論見について述べてゆきます。
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