aikoの歌詞世界に見る、普遍性とナラティブ
「ナラティブ」という言葉があります。無理やり訳すと「物語」となるわけですが、「ストーリー」とは少し違います。具体的に言えば、映画や小説における物語がストーリーで、ゲームの物語がナラティブです。特にドラゴンクエストシリーズは極めてナラティブ的。映画や小説は一方的にこちらが受け取るコンテンツであるのに対し、ゲームはコチラが能動的に働きかけなければ物語が進まない。つまり、ナラティブは双方向的なコミュニケーションによって作られ、ごく個人的な体験として残る物語なのです。テン年代に入って以降、急速に存在感を高めている言葉のひとつでしょう。
なぜこのような話をしたかと言いますと、この言葉が流通するより遥かに前から、aikoの音楽はあらゆる意味でナラティブであったと思うからです。かつ、そこには圧倒的な普遍性があった。これこそ、aikoが打ち立てた最大の功績であります。
aiko – 『花火』
1999年にリリースされた、aikoのメジャー3枚目のシングル『花火』。「眠りにつくかつかないかシーツの中」という、かなり個人的なモチーフがこの曲の歌いだしです。日常に紛れ込んでしまう景色を切り取り、僕らの目の前に提示する。思い浮かべる物語はリスナーによって様々でしょうけれど、この曲に対しては一様に共感してしまうわけです。オリコンチャートに20週間もランクインしたことからもそれが窺えるでしょう。
aikoによるナラティブな想像力は、リスナーだけでなく時代にも働きかけていました。
aiko – 『カブトムシ』
言わずと知れたaikoの代表曲、1999年にリリースされた『カブトムシ』。この曲が生まれた当時は、バブル崩壊後の「失われた10年」の只中です。日本が必ずしも強者ではいられなくなった時代。そんな中、aikoはカブトムシという最強の昆虫に弱さを見い出したのです。甲羅一枚剥がすだけで脆くなる姿に自分を重ね、これまでと同様にその内容を普遍化していった。恋をモチーフに僕らに内在する弱さを肯定したわけですが、まさしくこの曲は「時代の音楽」であったなと、今になって思うのです。
そして暗黒の90年代が終わり、2000年に突入する頃、またしてもaikoは時代を先取りしていました。いや、この頃を正確に表現するならば「時代がaikoに追いついた」と言ったほうが良いかもしれません。
ゼロ年代、総インディー化する僕らと、最初からそこにいたaiko
aiko – 『ボーイフレンド』
aiko最大のヒット曲、『ボーイフレンド』。このあたりからaikoは作曲家としても「ゾーン」に入ります。ソングライティング能力が限界突破し始める。こんなにポップでキャッチーな『ボーイフレンド』ですけれども、その構造は全くもって破天荒。サビでコード(伴奏)とメロディが殴り合っているのに、なぜか完成しています。ジャジーで渋めな雰囲気なのに、快活さも持ち合わせているという。加えてイントロではバンジョーまで使われておりますね。他のアーティストが真似しようとしても、内容が複雑すぎて恐らく無理でしょう。圧倒的オリジナリティ。
で、aikoの歌詞世界はさらにミニマルになり、「ワンシーン」から「モノ」へと変化します。『ボーイフレンド』のテトラポット、『アスパラ』、『えりあし』・・・。
aiko – 『えりあし』
テクノロジーの普及以降、世界は広くなり、同時に小さくなりました。半径200メートル以内で僕らの生活圏はほとんど完結してしまう。ネットさえあれば、遠く離れた同年代の仲間と繋がれてしまうわけです。そんな時代の煽りを受けた所為か、「アイコン」という概念が緩やかに消滅してゆきました。「テレビに出ないアーティスト」が増え始めたのも、このすぐ後だったと記憶しています。
その時代にテレビに出続け、3枚目のアルバム『夏服(ボーイフレンド収録)』でミリオンセラーも打ち立てたaikoですが、歌われている内容はやはり同時代的であったように思います。冒頭から述べているように、彼女が紡ぐ物語は往々にして半径200メートル以内で起きています。総インディー化した世界で響く個人的な物語。
aiko – 『かばん』
実際、この個人的な物語に共感するリスナーは多く、2005年・2006年と続いてオリコンによる「音楽ファン2万人が選ぶ好きなアーティストランキング」においてaikoは第1位を獲得しています。
そして7枚目のアルバム『彼女』では、この世界観にさらなる変化が生まれたのでした。
aiko – 『キラキラ』
小さくなった僕らの世界では、それぞれのキャラクターがより顕在化するのです。僕たち一人ひとりにも物語があるらしいことが分かってきた。『電車男』が最たる例でしょう。誰とも知らぬネットの書き込みが物語化し、映画やドラマにまでなりました。aikoの『彼女』は、そんな時代をまたしても反映していました。個人的な感想を言わせてもらえば、本作は2012年にリリースされた10枚目のアルバム『時のシルエット(後述)』に次ぐ傑作だと思います。
aiko – 『雲は白リンゴは赤』
『彼女』のコンセプトは、「ガールフレンド」ではありません。英語で言う三人称の”She”。つまり本作で歌われているのは、ごく普遍的な女性(あるいは女の子)の物語。様々な「彼女」がこのアルバムには存在するわけです。曲によって場面や状況に違いがあるとは言え、明らかに人格も異なっています。『キラキラ』の主人公はおっとり系だけれども粘着質(多分)、『雲は白リンゴは赤』の主人公は勝ち気で他人に弱さを見せることがない(多分)。まぁ解釈に違いはあれど、主人公の人格が異なるという点にかけては間違いないでしょう。この記事を読んでいる皆さんにもぜひ確かめていただきたいです。
テン年代以降のナラティブな世界で。
aiko – 『恋のスーパーボール』
私感ですが、「ナラティブ」という言葉が流通するきっかけになったのは震災であったような気がします。これまで作り上げてきたものが通用しなくなり、僕たちの目の前にあったレールが突然なくなってしまった。自分たちの手でイチから物語を作り上げなければなりません。既存のストーリーでなく、僕らのナラティブが必要になったわけです。
ここでまた、aikoはアーティスト然と、けれどもポップスターらしく現在を切り取ります。10枚目のアルバム『時のシルエット』は、明らかに震災以降の作品です。当時のプレスリリースで、彼女はこう語っています。
「毎日は少しずつ変化していて、そのときそのときの形がある。そんな変わっていく日々のシルエットを刻んだ1曲1曲を集めたアルバムになれば」
日々の再定義と言うべきアルバムです。文字通り、aikoはもう一度日々を物語ろうとした。それもこれまでの彼女と同様の小さな世界で。それが僕らにとってどれほど勇気をもらえるものだったかは言うに及ばないでしょう。『時のシルエット』以降、既存のaiko的世界観に加えて新たな要素を加えております。例えば今年9月に最終公演を終えた『Love Like Rock vol.8』ツアーでは、おなじみのバンド編成に加えてギターとキーボードが一人ずつ追加されるという新編成で臨んでいました。
ますます革新性の高いaikoですけれども、個人的に最も変化を感じたのが最新シングルの『予告』。
aiko – 『予告』
歌詞をよく聞いていただきたい。こんなに抽象的な歌詞は恐らく過去にないはずです。具体的なモチーフ(クーラーや自転車)は並べられておりますが、「あたしの未来」という本質的な部分にはモヤがかかっています。しかし同時に感じる強い決意と僕らへのメッセージ性。この抽象性こそ、現時点のaikoの答えなのでしょう。ちなみに筆者はこの曲を今年度ベストに入るぐらいの傑作だと思っています。
時代の音を鳴らし続けてきたアーティストから届けられたのは、ナラティブを求められた僕らの世界に高らかに鳴り響く音楽。それは明るい未来への希求であり、それを築き上げんとする強い決意にも似た『予告』なのでした。
■aikoニューシングル 『予告』
リリース日: 2017年11月29日
aiko公式サイト
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