イランの最重要映画監督、アスガー・ファルハディ
イランの映画監督といえば誰でしょう?まず浮かぶのは故アッバス・キアロスタミ。巨匠モフセン・マフマルバフも忘れてはなりません。ジャファール・パナヒやバフマン・ゴバディも名実ともに申し分ないです。今年4月に公開されたパナヒの『人生タクシー』が記憶に新しいですね。
体制や宗教が不可避のテーマとして掲げられるイランの映画、否が応でもエネルギッシュになります。今挙げた映画監督は、それぞれ切り口こそ違いますが、全員刃物のような批評性を持っています。イスラム世界のリアリティを、容赦なく僕らに突きつける。そして、現在その急先鋒にいるのがアスガー・ファルハディと見て間違いないでしょう。
彼が撮る映画は全て傑作。これ、決して大仰な表現ではないです。ハズレなしという意味では、ファルハディ監督はポール・トーマス・アンダーソン並みのフィルム・メイカーだと思いますね。実際、主要な映画祭の賞も獲りまくっております。本日よりBunkamura ル・シネマほかにて公開される『セールスマン』は、第69回カンヌ国際映画祭にて脚本賞を受賞し、主演のシャハブ・ホセイニにも男優賞をもたらしました。さらには、本年度のアカデミー賞で外国語映画賞も獲得(二度目!)。疑いようもなく、今の映画界を牽引する監督の一人です。
『セールスマン』予告篇
本稿では『セールスマン』公開に合わせ、ファルハディ監督の過去の映画を三作ほどピックアップしてみます。この三本は比較的入手しやすいはずなので、お近くの書店、もしくはレンタルショップを覗いてみてください。
まずは、2009年にリリースされた『彼女が消えた浜辺』から。
アスガー・ファルハディの出世作、『彼女が消えた浜辺』
第59回ベルリン国際映画祭にて、銀熊賞(監督賞)を獲得。今作で、アスガー・ファルハディの名は世界規模で広まります。『セールスマン』で主演を務める二人(シャハブ・ホセイニとタラネ・アリドゥスティ)は、この映画で初共演を果たします。
『彼女が消えた浜辺』、文字通りのストーリーです。中流階級のイラン人グループがテヘランからカスピ海沿岸の避暑地にやってきて、そのうちの一人であるエリ(タラネ・アリドゥスティ)が忽然と姿を消します。ファルハディ監督はサスペンスタッチで物事を描くのが抜群に上手いのですが、この作品も例外ではありません。ゆっくりと明かされてゆく真実は、まるで蛇の毒のように観客を蝕んでゆく。
『彼女が消えた浜辺 』 予告編
ざっくり言うと、本作はファルハディ監督流の厭世論ですね。家族を含めた自分以外の人間と付き合うのは煩わしいし、この先の人生がそれほど明るいものとは思えない。こう書くと極めてネガティブな映画なのですが、「問い」としては核心を突いていると思います。ラストシーンの暗喩的表現に、あなたは何を思うでしょうか?
一度目のアカデミー賞。『別離』で見せた圧倒的ストーリーテリング
第61回ベルリン国際映画祭にて金熊賞(最高賞)、男優賞、女優賞の三冠を達成。第84回アカデミー賞では外国語映画部門でオスカー像を獲得。脚本賞にもノミネートされました。
圧巻です。紛れもなくファルハディ監督の集大成。緻密なストーリーテリング、イスラム文化の描写、深みのあるカメラワーク。どれを取っても一級品です。
舞台はイランのテヘラン。生活水準が平均よりやや高めの家庭を主軸に、物語が進行してゆきます。
映画『別離』予告編
『彼女が消えた浜辺』と同じくサスペンスなので、あまり深くは語れません。キーワードを挙げるとすれば、それは「嘘」。ある一つの嘘が、ありとあらゆる人の人生に影響していく。ときに因習的に見えるイスラム社会ですが、そこにはやはり理屈では解決できない、文化的で根の深い理由があるのです。ファルハディ監督もプロットを作成するにあたり、この部分で相当な葛藤があったに違いありません。滑らかで美しさすら感じる脚本術ですが、様々な情念が透けて見えた気がします。
イスラム世界における「嘘」を描くことは、ファハルディ監督にとってもイスラム社会にとっても挑戦的な試みでした。
精神力ゲージをためて観ろ!『ある過去の行方』の容赦なきすれ違い
作品の完成度としては、『別離』のほうが上でしょう。けれども僕個人としては、『ある過去の行方』も自信をもっておすすめしたいです。『別離』のほうが上と言っても、本作もパルムドール(カンヌ国際映画祭の最高賞)にノミネートされてるんですけどね。主演のベレニス・ベジョは女優賞を貰っています。
ちなみに本作は純粋なイラン映画ではなく、フランスとイタリアの合作としてリリースされています。
映画『ある過去の行方』予告編
映画『アーティスト』では底抜けにキュートだったベレニス・ベジョ。本作ではややヒステリックで自己愛が強い母親を演じています。加えて非常に幸が薄い。彼女に限らず、本作の登場人物はそれぞれが罪の意識や苦しみといった十字架を背負っています。
外国資本で作られた映画とあって、今回はこれまでよりも宗教性が希薄です。別な言い方をすれば、より普遍性が増している。舞台はパリですが、そこがイランだろうと日本だろうと起こりうる話だと思います。テーマは、まとめると「愛憎」でしょうか。抽象度が高い言葉ですが、本作では様々な感情が、人の数だけ存在します。嫉妬や憎悪、さらには同情。そして、愛。
愛とは決して純白なものだけでなく、ときには歪んでしまうことだってある。相変わらず脚本が精巧ですが、ファルハディ監督が本作で描き出したのは、どこまでも普遍的な愛憎劇でした。ラストシーン、何も変わらないと分かっていながら何度も観直してしまいます。
■映画 『セールスマン』
<公式サイト>
http://www.thesalesman.jp/#pagetotop
■劇場
Bunkamura ル・シネマ ほか
<公式サイト>
http://www.bunkamura.co.jp/pickup/cinema.html
■公開日
2017年6月10日(土)より全国順次ロードショー
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