毎月テーマを変えて、さまざまな人に選曲をお願いしている「MIXTAPE」企画。
今回のテーマは「’90s的」。「’90年代リバイバル」と言われて久しい昨今。’90年代は、インターネット以前/以後の転換期でした。アンサーを変に求めず、生き方の開放性が信じられた時代でした。「’90sマインドを感じる曲」「’90sに生まれたルーツミュージック」など、マインドやカルチャーを感じる「’90s的」感覚でミックステープをお届けします。
「クリエイティブ×ビジネス」をテーマに、新たなイノベーションを生むためのメディア「FINDERS(ファインダーズ)」創刊編集長、米田智彦の「’90s的」
U2 『The Fly』
僕にとっての1990年代の幕開けの1曲。
1980年代、MTV全盛の“ドギツイ”ほどのカラフルさを身に纏ったミュージシャンたちがチャートを占拠する中、モノクロームな世界感、静謐さと溢れんばかりのエモーションを備えて、1987年発表の『ヨシュア・トゥリー』でUS/UKチェートで1位を獲得し、文字通り天下を獲ったのが、アイルランド出身の4人組だった。
そんなU2は、90年代が始まるとガラリと容貌を変える。それまでのディレイを駆使したキラキラとしたジ・エッジのギターは、『ヨシュア・トゥリー』という巨木を切り倒すチェーン・ソーのディストーション・サウンドであり、ヴォーカルのボノは、「ロックの殉教者」から、ギンギラギンの黒革の上下に「蠅(フライ)」のようなサングラスをかけ、ファンを混乱に陥れた。
ベルリンの壁が崩壊し、EUが誕生。ザ・ストーン・ローゼズやハッピー・マンデーズに代表されるダンスサウンドが台頭し、それまでの価値観がガラリと変わった90年代初頭から、U2は当時の最先端のテクノロジーの粋を集めた、大小多数のモニターがステージを占拠する「ZOO TV ツアー」を敢行。ダンスビートやサンプリングを駆使したエレポップなサウンドメイキングを10年間続けるのだった。
この極端な変貌に離れるファンも多かったが、当時、ミュージシャンを志望しながら、故郷・福岡の予備校に通う悶々とした日々の中、僕は新しく生まれ変わったU2に驚嘆しつつ、喝采した。「やっぱりU2はすごい。並のバンドじゃない!」と。月日は流れ、40代になった僕は、未だに現役バリバリでトップを張る高校時代からの不動の4人組のおっかけとなり、アメリカを皮切りに開催されるワールドツアーの初日には必ず駆けつけるようになった。
R.E.M 『Losing My Religion』
90年代の音楽シーンを語る上で外せないのは、ご存知の通り、「オルタナティブ・ロック」「グランジ」。
その源流とも言えるのが、米・アセンズ出身の学生バンドだったR.E.M.だ。80年代はカレッジチャートを席巻し、あのニルヴァーナのカート・コベインや、レディオヘッドのトム・ヨークも「R.E.M.みたいになりたい」と願っていたというほど、の「ミュージシャンズ・ミュージシャン」であり、「世界で最も重要なバンド」の称号さえ与えられた。
R.E.M.はギターのピーター・バックの流麗なアルペジオ(アルバムによっては後のグランジ勢に通じる轟音ギターサウンド)と、ヴォーカルのマイケル・スタイプのアメリカ人でも聴き取れないと言われた歌詞と独特の歌唱で、インディーズという佇まいを保ちながら、91年発表のアルバム『アウト・オブ・タイム』でUS1位を獲得、さらにグラミー賞7部門にノミネートという偉業を達成し、頂点に立つ。この「インディーズの初期衝動とアティチュードのまま商業的にも成功する」というミュージシャンの理想を現実に叶えたのがR.E.M.というバンドだった。前述のアルバムのリード・シングル「ルージング・マイ・レリジョン」は、USシングルチャートで4位を達成し、彼らの代表曲となった。僕もR.E.M.の存在に憧れるアマチュア・ミュージシャンであった。
Beck 『Loser』
グランジの象徴だったカート・コベインの自殺とニルヴァーナの解散の後に突如現れたのが、スライドギターのサンプリングとヒップホップを融合させた「俺は負け犬。どうして殺さない?」という不条理なサビを持つ曲で、一躍注目を浴びたのがベックだった。
当時、『ルーザー」を聴いた感想を友人に聴くと「なんかスカスカした音でピンと来ないな」と言われたものだが、僕は「ヒップホップとロックの融合!これはとんでもない新人が現れた」と思ったものだ。続く96年発表の『オディレイ』は、さらにベックの才能が爆発し、サンプリングとラップ、ロック、フォーク、ノイズなどなど、さまざまなジャンルの音を融合させた傑作となり、第39回グラミー賞の最優秀オルタナティヴ・ミュージック・パフォーマンス賞を受賞。
カート・コベインが商業的に売れすぎた自分を責め、死に至ったのに対して、ベックは飄々とした態度で、ジャンルをまたぎ、新たなオルタナの顔、時代を象徴するミュージシャンとなっていくのだった。大学生だった僕は、ベックの影響をモロに受け、ギターロックから、サンプリングと生演奏を掛け合わせた楽曲作りに励むことになる。
Paul Weller 『The Changingman』
日本で「渋谷系」と呼ばれたミュージシャンたちが活躍したのも90年代の音楽シーンからは外せないトピックであろう。彼らのファンたちは、アーリー’90sにクラブやCDで「アシッド・ジャズ」に胸を躍らせたものだ。ダンサブルなビートに、ワウペダルを駆使したギターやクラシカルなオルガンの音。当時、古いソウルやファンクのレコードを買い集めて、サンプリングすることが流行り、それは最新でもあり、懐古主義的でもあった。
渋谷系とそれを取り巻くファンの状況で、「モッズ・ファーザー」と呼ばれ、洗練さと激しさを両立させ、カリスマとして君臨していたのが、元・ザ・ジャム、元・スタイル・カウンシルのポール・ウェラーだった。
1995年リリースの『スタンリー・ロード』の幕開けを飾るこの曲では、ウェラーのパッションが炸裂し、自らを「変わり続ける男」と歌う。文字通り、パンクムーブメントから身を興し、ファッショナブルなユニットを結成した後、ソロに転向した彼らしい1曲である。ライブのアンコールでこの曲を演ってくれた時の感激はひとしおである。
Oasis 『Whatever』
1994年デビューを飾った英国・マンチェスター出身の5人組は、「セックス・ピストルズのサウンドにジョン・レノンのヴォーカルを乗せた」と評された。
1994年9月の初来日公演に行った僕は、その後、このバンドが時代を象徴する存在へ上り詰めていくとは夢にも思ってなかったが(「やたらうるさいバンド」というイメージだった)、その年のクリスマス・シングルとしてドロップされたこの1曲で、「やられた!」と思ったのだった。
僕の予感は的中し、90年代は「ブリット・ポップ」と呼ばれる英国勢による一大ムーブメントが起こり、その中心にオアシスが存在するようになる。翌年、セカンド・アルバム『モーニング・グローリー」でUKチャート1位を獲得、全世界での売り上げ累計1000万枚以上を記録。「オアシス現象」とも呼べるフィーバーの発端がこの曲だったように思う。
オアシスは好きかと言われれば、そこまでではないのだが、ノエル・ギャラガーの作り出す数々のアンセムのキャッチーなメロディを聞くとついくちずさんでしまう自分がいつもいる。
Blur 『Girls And Boys』
先述の「ブリット・ポップ」について語られる際、必ず出てくるのが、オアシスの対抗馬、ブラーである。
1994年に発売された『パーク・ライフ」(UK1位)の冒頭を飾る、アレックス・ジャームスのベースが引っ張るこのポップなダンスチューンは、まさに「ブリット・ポップ」というムーブメントの幕開けを飾るに相応しい。が、ブラーより遅れてブレイクしたオアシスとの対立が勃発し、オアシスのノエル・ギャラガーは「デーモンとアレックスはエイズで死ねばいい」と暴言を吐き、両者の舌戦が繰り広げられる。
続くブラーの先行シングル『カントリー・ハウス」の発売日が当初、オアシスのシングル『ロール・ウィズ・イット』の発売日(1995年8月14日)にブラー側の判断で敢えてオアシスのシングルの発売日に重ねて、売り上げを競うことに。結局ブラーの売り上げ枚数が上回り、バンドとしてもシングル初の全英1位を獲得して騒動は決着を見た。
後にオアシスとブラーは和解。ノエルとデーモンは飲み仲間になったそうだ。改めて振り返ってもブラーは90年代を語るに欠かせないバンドだ。と、ここまで書いたが実は個人的にはそこまでファンでもないのだが(笑)、90年代を語るに欠かせないバンドとして記しておく。
Speech 『Like Marvin Gaye Says』
90年代は毎年のように新しい音楽のムーブメントが起こった10年間だった。その中でヒップホップの隆盛は外せないトピックだろう。
ヒップホップ部門として、僕が愛してこよないビースティー・ボーイズの曲を挙げようかとも思ったが、アレステッド・デベロップメントで鮮烈にデビューし、その後、ソロに転向したスピーチをあえて取り上げたいと思う。
曲名で判るように、この曲は故・マーヴィン・ゲイに捧げられた曲であり、マーヴィンの代表作である「ホワッツ・ゴーイン・オン」のサビをサンプリングして作られている。渋谷クワトロで観たスピーチのライブは今でも忘れられない。ヒップホップという枠を超えて、グルーヴィーな生演奏とインプレッシブなラップ・歌を絡ませるスピーチのステージは他のヒップホップミュージシャン/ラッパーにはない、ヒューマニティ溢れる温かく、感動的なものだった。
The The 『Love Is Stronger Than Death』
今、その活動がどうなっているのかわからないのが、The Theというバンドを率いていた、鬼才・マッド・ジョンソンである。
80年代のUKを代表するバンド、ザ・スミスのギタリストとして名高いジョニー・マーが一時参加したアルバム『ダスク』(1993年)は、The Theを代表する、90年代の隠れた名盤である。ブルージーなアトモスフィアが全編に漂うこのアルバムの中でも、この曲は、ひときわ、憂鬱さと官能を醸している。そして、アルバムのラストを飾る「ロンリー・プラネット」のサビはこういうフレーズだ。「もし世界が変えることができないなら、君が変われ。もし世界を変えることができないなら、君が変わるんだ。でも、もし君が変わることができないなら、世界の方を変えるんだ」。凹んだ時、この曲を聴くと、「やったるぜ!」となぜか元気が出るのだった。
The Prodigy 『Breathe』
日本の夏の風物詩となった感のあるフジロックフェスティバル。その第1回が行われたのが1997年である。
90年代後半、打ち込みやシーケンサーによって強化されていったビートは、やがて「デジタル・ロック(通称デジ・ロック)」と呼ばれるエレクトロニックなアーティストを輩出していく。ケミカル・ブラザーズ、アンダーワールド、そして、このプロディジーがその筆頭格だ。
僕はプロディジーのライブが観たくて観たくて、第1回のフジロックフェスティバルに赴いた。しかし、である。1日目は台風の直撃に見舞われ、ずぶ濡れの中、モッシュの嵐に塗れ、寒さと疲れで死にそうになった。でも、それでも頑張ったのは何より2日目のプロディジーが観たかったのである。なのに!である。フジロック運営から2日目にアナウンスされたのは公演「中止」。僕はその恨みがあったせいもあり、それ以来、フジロックに行っていない。しかし、ダンス・ミュージックの金字塔と呼ばれる3rdアルバム『ザ・ファット・オブ・ザ・ランド』はスポティファイで今でも聴いている。
Portishead 『Glory Box』
これまで90年代のさまざまなムーブメントについて書いてきたが、最後にお届けするのは「トリップ・ホップ」である。別名、「ブリストル・サウンド」とも呼ばれ、英国・ブリストルが発祥の地とされている。
91年、マッシヴ・アタックがアルバム『ブルー・ラインズ』を出したことがこのジャンルの起源とされている。前述の「デジ・ロック」との違いは、全体的に、ダウナーで、BPM抑えめな打ち込みサウンドであること。ポーティスヘッドは、マッシヴ・アタック、トリッキーと並び、ブリストルを発祥の地とするトリップ・ホップの先駆者として知られている。ファーストアルバム『ダミー』は350万枚、セカンド・アルバム『ポーティスヘッド』は200万枚のセールスを記録。当時は「こんな根暗なバンドをよくもこんなに売れるな、日本じゃありえん!」と思ったものだ(自分は大ファンだったけれど)。
呪いを囁くようなベス・ギボンズの儚くも美しい声、ダークなサウンドと抑制を効かせたビート。特に僕が好きなのはライブアルバム『ローズランド NYC ライブ』(1998年)。打ち込みと生バンドのフュージョンだけでなく、オーケストラの演奏をバックにした圧巻の演奏である。
PROFILE
米田智彦
FINDERS創刊編集長、文筆家
1973年福岡市出身。
出版社、ITベンチャー勤務を経て、文筆家・編集者・ディレクターとして出版からウェブ、企業のキャンペーン、プロダクト開発、イベント開催、テレビ、ラジオへの出演と多岐にわたる企画・編集・執筆・プロデュースに携わる。
2011年の約1年間、旅するように暮らす生活実験「ノマド・トーキョー」を敢行。約50カ所のシェアハウス、シェアオフィスなどを渡り歩き、ノマド、シェア、コワーキング、デュアルライフといった新しい働き方・暮らし方を実体験。
2014年3月から2017年6月までウェブメディア「ライフハッカー[日本版]」の編集長を務めた。
TOKYO MXテレビ「モーニングCROSS」のコメンテーターとしても出演中。
著作に『僕らの時代のライフデザイン』(ダイヤモンド社)『いきたい場所で生きる 僕らの時代の移住地図』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)等。京都造形芸術大学で非常勤講師も務める。
2018年2月、株式会社シー・エヌ・エス・メディア代表取締役に就任。
2018年4月、ウェブメディア「FINDERS(ファインダーズ)」創刊。
「クリエイティブ×ビジネス」をテーマに、新たなイノベーションを生むためのメディア「FINDERS(ファインダーズ) https://finders.me/ 」では、毎日、「ビジネス」「カルチャー」「アイテム」「ローカル」「グローバル」の5つのカテゴリーで記事を配信しています。
世界最先端のクリエイティブ企業から、ビジネスのお悩み相談、起業家や、アーティスト、クリエイターのインタビュー、今話題の書籍のブックレビューやアイテムの紹介など、さまざまなジャンルの情報を発信していますので、ぜひご一読いただければ幸甚です。
また、「FINDERS SESSION」と称したイベントも不定期で開催しており、次回は8/29(水)にAR三兄弟の川田十夢さんをお迎えしてトークイベントも開催します。詳細は後日公開するFINDERSの告知記事をご覧下さい。
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