――お客さんが立ち止まってくれない中でストリートライブを続ける事って、想像するだけでもキツそうというか……。メンタル的にもかなり厳しいんじゃないかなと思うんですが、当時どんな気持ちで乗り越えましたか?
辰巳 : たしかにすごくつらかったですね。しかも僕の場合、小さい頃から地元のカラオケ喫茶のステージで演歌・歌謡曲を歌っていたこともあり「小さいのに演歌歌ってエライね」などと言われたりして育ったので、現実とのギャップに、自分の無力さを感じました。ストリートライブでは、音楽をかけるのも、何を歌うか発表するのも自分でやらなくてはいけない。正直、その頃は自分がひとりぼっちに思えて、大阪の家族によく電話をしていました。でも、せっかくやるからには皆さんに聴いていただきたいので、どうやったら聴いてもらえるのか試行錯誤していました。
――そんな中で大切にしたことは何だったのでしょう?
辰巳 : 今でも変わらずに続けていることなのですが「人の目を見て歌うこと」ですね。カラオケだと画面を見て歌うじゃないですか。僕自身もそれに慣れてしまっていたので、いざストリートライブをやる時、どこを見て歌っていいのか全然分からなかったんです(笑)。でも話をする時と同じで、人の目を見ることで伝わることがあると気づいてからは、聴いてくれる人や前を通る人の目を見て歌うようになりました。
(インタビュー中も、辰巳さんはまっすぐ目を見て話してくれました)
じいちゃんを喜ばせたくて
赤羽一番街商店街を散歩中、果物屋さんに立ち寄る辰巳さん。実はここにも辰巳さんのポスターが(写真左側)!
――“カラオケ喫茶でおしめを替えてもらっていた”というエピソードがあるように、演歌・歌謡曲とともに育った辰巳さん。実際に演歌・歌謡曲を歌うようになったのはどういうきっかけだったんですか?
辰巳 : 僕自身もはっきりは覚えていないのですが、かなりの“じいちゃんっ子”だったんです。じいちゃんがいつも演歌を歌っていたので、それを自分も真似したいって思ったんだと思います。気づけばマイクを握っていました(笑)。
伊勢屋
赤羽一番街商店街にある和菓子屋さん。数多くの有名人も通う名店で、名物の「塩大福」はすぐに売り切れてしまう人気商品(この日もお昼には売り切れていました、残念……!)。
https://tabelog.com/tokyo/A1323/A132305/13125501/
――演歌って、パッと歌うにはかなり難しいジャンルだと思うんですけど、歌い方は自己流だったんですか?
辰巳 : そうなんですよね、かなり難しいんです(笑)。当時は小さくて、演歌の歌詞に出てくる言葉の意味も分からなかったので、じいちゃんの歌を音として聴いて真似する感じでした。
名物・塩大福は売り切れだったので、みたらし団子をパクリ。甘党だという辰巳さん、歩きながらペロリとたいらげていました!
――おじいさんが喜んでくれるから歌う、という部分もあったり?
辰巳 : それもありましたね。じいちゃんが喜ぶ姿を見ると「もっと歌いたいな」って気持ちになっていたのを覚えています。じいちゃんは、デビューしてからもすごく応援してくれていて、この前赤羽で行わせていただいたファーストコンサートにも来てくれました。じいちゃん孝行になっていればいいなぁと思っています。
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