サニーデイ・サービスがリリースした、およそ2年ぶりの新作『DANCE TO YOU』。大きな反響を巻き起こしている一作だ。
アルバムには常識はずれの制作期間がかけられた。50曲以上も作り、それをボツにして、当初のレコーディング予算もオーバーして、最終的にはメンバーも離脱し、曽我部一人で練習スタジオと自宅を行き来しながら完成にこぎ着けたという。
一体彼は何を目指したのか。そしてアルバムが世に放たれ、ツアーを目前に控えた今、何を思うのか。じっくりと語ってもらった。
インタビュー・文=柴 那典
ポップスとして揺るぎないものがある曲を集めたかった
ーー今回のアルバムは、かなり制作に時間の掛かったアルバムだったという話ですけれども。
うん。本当に、いろいろ迷って作ってた感じですね。ああでもない、こうでもない、これかな、違うかな、とか。それの繰り返しでした。
ーー僕、AERAの取材で去年の6月くらいにレコーディングスタジオにお邪魔しているんですけれども。
そうですよね。
ーーあの時点ではどういう段階だったんですか?
予定のレコーディング期間を使って、曲が揃って、一回完成した頃ですね。第一期の佳境というか。
ーーでも、そこで、リリースするには達していないっていう判断があったわけですよね。その判断は、振り返るとどういうものだったんでしょう?
曲のクオリティというか、「ポップスかどうか」ってところもあったのかなあ。自分の内面を表現したという意味ではいい曲が揃っていたんですけど、結局そこ止まりだったというか。ポップスとして揺るぎないものがある曲を集めたいっていうのがあったんでしょうね。そういうのが揃ったのが今回のアルバムで。
ーーということは、一度ボツにしたものは、ある種の等身大のスケッチというようなものだった?
そうですね。あの時点ではもうちょっと私小説的だったというか。そういう意味ではよかったと思うんですけどね。自分が感じたままを歌ってるし。自分の趣味とか思いとか好みとかも、きっちり反映されているし。ただ、その時にあった10曲っていうのは、どれもあまりに“私”が強いっていう。もうちょっと個人と違うところの階層の音楽を狙ってたのかな。
ーーでも、そこを一回捨てて、ポップスとして成立させることを考えると、何が正解なのか、難しい選択になると思うんですけど。
そうそう。凄く難しかったですね。
ーーその後に取材させて頂いたのが9月くらいでしたよね。その時には一度作ったものを全部白紙にすると決めていた。あの時点では「まだどうなるかわからない」と言ってましたが、その状態は、どのくらい続いたんですか?
シングルになった「苺畑でつかまえて」という曲がその年の秋くらいに出来たと思うんです。そこくらいまで、曲を作っては止め、新しい音楽を聴いたり研究したりして、っていう時期が続いていたかな。
ーー「苺畑でつかまえて」は、どういうきっかけになったんですか?
悩みながらいろんな音楽を聴いていた中で「ディスコ、いいな」って思って。現象としてのディスコじゃなく、ただの四つ打ちのディスコナンバー。ソウルフルな、ダンサブルな曲というか。やっぱこういう曲を作らないとダメだと思って、軽やかなディスコナンバーを作ろうと思って作り始めたのが「苺畑〜」でしたね。こういうテーマで2、3曲作ってたのかな。
ーーここ数年で言うと、ダフトパンクやファレル・ウィリアムズがあったり、ブルーノ・マーズがあったり、ディスコ・リバイバルがありますけど、それとはちょっと違う?
それとリンクするのかもわかんないけど、なんですかね? なんだろうなあ、軽いダンスナンバーっていうか。うん、あんま意味のないものというか、そういうものがすごくいいなって思って。ただ踊るために作られたものっていうか。こういうとこを出発点にしないとダメだろうって。そこで作ったんです。
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