ミュージシャン・黒木渚の書く小説が、兎に角面白い。
最新の小説、『超不自然主義』では主人公・サイコが突然街の占い師に死を予言されたり、旦那さんが地蔵(比喩ではなく、本当に地蔵そのもの)であるというエリちゃんという読者の度肝を抜くようなキャラクターが登場したり。エキセントリックで、現代的で、考えさせられる箇所もありつつ、笑える。暗い小説じゃない。
文芸誌『小説現代』9月号に掲載された『超不自然主義』。同じ号の巻頭には、御年六十九歳、直木賞選考委員を務める大御所中の大御所・北方謙三による読み切りも掲載されている。
黒木渚と北方謙三という並びは(良い意味で!)異様であるし、この両名が揃い踏みしている事実自体がとても面白いし痛快でさえある。この号を書店の棚で見かけた時には異彩を放っていた。
2012年12月に『あたしの心臓あげる』で、バンド<黒木渚>としてデビュー。
(『あたしの心臓あげる』公式MV。血まみれの描写が度肝を抜く)
バンド解散後、ソロデビューした彼女。
意外にも、<小説家・黒木渚>としてのインタビューは今回が初(!!)だという。
彼女の小説作品、音楽作品に表れているテーマやモチーフから、活動全般に至るまで、メールインタビューにて迫った。
――最新の小説『超不自然主義』は素晴らしい作品でした。どういう契機で執筆を開始され、『小説現代』9月号への掲載に至ったのでしょう?
最初の作品である『壁の鹿』を書き上げた時に、この勢いでもっと小説を書いてみたいと思いました。どうせ書くのならファンの皆さんにも楽しんで貰おうと思い、小冊子にしてライブグッズにしました。作品を読んだ講談社の方に声を掛けて頂いたのが掲載のキッカケです。
(『小説現代』9月号。宇野亜喜良が江戸川乱歩を描いた表紙が小洒落ている)
――執筆期間はどれくらいでしたか?
プロットの組み立ても含めると20日間くらいだと思います。執筆そのものよりもプロット作りに時間をかけるタイプです。書くスピードには日によってムラもありますが、締め切りがある方が良い感じに進みます。
――同作のテーマの一つは「普通とは何か」というものだと感じます。「普通」という言葉にポジティブなイメージをお持ちですか。ネガティヴなイメージをお持ちでしょうか。
ポジティブに捉えています。「普通」という言葉を「つまらない」ではなく「フラット」と近い言葉に分類しているからです。フラットな視点から世界を見られることはクリエイティブな仕事をする上で大切なことだと思っています。
――「普通」というのは指す範囲が広く、どういう人が「普通の人」かという像を思い描くことが、いまの時代は難しいという気がします。「普通の人」とはどういう人だと思いますか?
バランス感覚の優れている人だと思います。異常な環境や狂気に飲み込まれずに相対的な「普通」を保つというのはある種の才能でもあると思います。
――無機的なものしか愛せない、というエリちゃんに関する描写は本作の特に面白い部分だと感じました。対物性愛の女性というキャラクターは、どのようにして考え出されたものなのでしょうか。
「あたりまえ」というのをぶっ壊すために、この作品にエリちゃんがいます。主人公であるサイコの一番身近な所に、振り切った価値観の人物が居て欲しいと思いました。
かつてエッフェル塔と恋に落ちた女性のドキュメンタリー番組を見た時に対物性愛というものを知り、興味深く感じて調べたことが今作にいきています。
――主人公・サイコは中年の占い女に死を告げられた後も、「断然生きているし、スーパー健全な精神でもって楽しくやってい」ます。
重い現実の中、たくましく、気高く生きる女性像を数々の音楽作品でも描かれています。そうした人物像には、黒木さんにとって重要なテーマが含まれているようにも感じられます。
くよくよすることは疲れます。絶望し続けるのにも根気がいるのです。どうせ死に向かって摩耗していくのなら、愉快愉快と笑いながらすり減って行きたいと思っています。死ぬという絶対的な事実は、逃れられないオチであると同時に、生きることを美しく見せるための大切な要素です。
(『革命』公式MV。「剣を振りかざし 百年戦争だって気高く生きよ」のフレーズは力強く、聴く人に勇気を与える)
――『超不自然主義』はシリアスな、現代的なテーマを扱っていながら笑える場面が多く、受ける印象が明るいことがとても興味深かったです。かなりユーモラスさを意識しながら書かれたものと想像しますがいかがでしょう?
また、合わせて執筆の際に気を付けていた点や苦労した箇所などがあれば教えてください。
その通りです。コメディにしようと思って書き始めました。前作『壁の鹿』がテーマ・文体ともに重かったので、次はポップなものを書こうと決めていたのです。
しかし奇妙な場面や修羅場が多くなってしまうのは個人的な好みなのでどうしても避けられず、どのくらい気持ち悪さを出すかについては気を付けて書きました。
苦労した点についてはワードソフトの扱いです。縦書きで書いている文章のアルファベット向きをどうやって正しい位置に変換するのか分からず苦労しました。
処女作『壁の鹿』と、”言葉を持たない「モノ」との対話”
――黒木さんの小説には『超不自然主義』における”旦那”としての地蔵、『壁の鹿』における喋り出す鹿の剥製など、ギョッとするような日常描写が目立ちます。人によってはそれらをホラー的、怪談的と解釈するかもしれません。こうした描写に込めた狙いはどのようなものでしょう?
おそらく、癖(へき)です。放ったらかしておくと自然にそういう方向に行ってしまうので、自分でも気付いていない2作の共通点みたいなものがたくさんあります。
――黒木さんの小説には、「人間以外のもの」との深いコミュニケーションが多く描かれます。(例えば、『壁の鹿』において少女・タイラは同じクラスのレイの「友情キャンペーン」に拒否反応を示すのに対し、壁の鹿には心を開きます。『超不自然主義』のエリちゃんはユンボとセックスをします)
人間同士以上に、「モノ」と精神的に(時には肉体的にも)深く関わる。そういった人物描写へのこだわりがあるのでしょうか?
人間同士で良好な関係を築くのは結構大変な作業だと思います。私自身もあまり社交的な性格ではないというのが影響しているかもしれません。
言葉を持たない「モノ」との対話は、結局モノローグなのかも知れないなあと思いました。他者へと向かって行きたい気持ちと、人間関係のややこしさを回避したい気持ちが反発し合った結果が剝製やユンボとの対話なのかなと思います。
(アルバム『自由律』初回盤A。340ページに渡る長編『壁の鹿』完全版が封入されている)
――『壁の鹿』における剥製の描写を読み、黒木さんの代表曲の一つ『骨』の「それはまるで 骨の様に 私を燃やして 残るもの」という歌詞を連想しました。骨や剥製のように、その生き物の死後も美しい形が残るものをモチーフとして好んでいらっしゃるのではないかと感じます。
取材の為に剝製工房を見学したとき、剝製は生きているものと死んでいるもののちょうど真ん中にいる存在だと感じました。そういうオカルトチックな魅力に惹かれてモチーフにしたんだと思います。
骨については骨格標本も好きですし、言葉の意味として「信念」と同じところにカテゴライズしています。「ホネ」という音も好きです。
(『骨』公式MV。「骨」という言葉をこれほど強く歌い上げた曲も中々無いだろう)
――モチーフ選定や描写、文体など小説作品の執筆にあたって、影響を受けた作品などがあればお教えください。
大学時代に仲良くなったアメリカ人の友達に、「サイコ」というニックネームで呼ばれていました。その当時は、その意味も深く考えずそう呼ばれることを気に入っていたんですが、よくよく考えるとオイ!となる名前だったことに最近気付いたのがそもそものキッカケです。友達が何をもって私を「サイコ」と位置づけたのかは分かりませんが、そう呼ばれるには私という人間は普通すぎるのでは?と思ったことで主人公が誕生しました。
次のページは「ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞に思うこと。次回作についても言及!」
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