装飾は流転する。Decoration never dies, anyway.
ただひたすらに素晴らしい展示会でした。森美術館、原美術館、東京都庭園美術館は個人的に猛プッシュしたいアート・ミュージアムなのですけれども、今回の『装飾は流転する』展は中でも群を抜いて良かったです。
タイトルが示す通り、本展示会は「装飾」について複眼的な考察を促すものです。以下、プレスリリースを引用。
装飾は人類と共に常に存在してきました。弔いの儀式や呪術的なタトゥーなどに始まり、ときに形骸化しながらも、時代とともにまた新しい意味を伴い変化を繰り返し生き残ってきました。それはまさに生々流転と言えるでしょう。
この展覧会には7組のアーティストたちが登場します。彼らは年齢も国籍もジャンルもバラバラです。その表現もゴシック装飾を施したダンプカーや、様々な文化圏の模様をリミックスした絨毯、窓のたたずまいからそこに住む人の生活や性格を想像した絵画などなど多彩なものです。彼らは全く異なる時代や価値観を対峙させたり、実際には存在しない世界を思い描いたり、日常生活の中の「装飾」を読み取ろうとしたりしています。彼らの試みを見る時、私たちは装飾という行為が、生々しい現実を複雑なまま認識するために必要な切り札だということに気がつくのです。Decoration never dies, anyway.
「彼らの試み」とは一体どういうものであったのか、全作品とはいきませんが、気になったインスタレーションをいくつかピックアップしてみます。
ニンケ・コスターが時を超えて引き寄せた「感触」
美術館に所蔵されている作品は、大抵の場合触れることはできません。しかし今回のニンケ・コスターのインスタレーションは「触れること」にこそ意味があります。彼女はシリコーン・ゴムを用いて歴史的な建造物を型取りし、立体作品を制作しています(画像のもの)。ディテールまで再現されているので、オーディエンスはまさしく触感を体験できるわけです。彼女が「装飾」として提示したのは、表面的なデザインではなく空間と実体を兼ね備えた存在そのものでした。
山縣良和が装飾で紡いだストーリー、<writtenafterwards (リトゥンアフターワーズ)>
日本が誇る鬼才、山縣良和が2007年に設立したブランド<writtenafterwards (リトゥンアフターワーズ)>。その名の通り、ブランドのコンセプトを一言で説明すると「のちに書かれた物語(ファッション)」といったところでしょうか。ファッションがあって、そのあとに物語が続く。逆もまたあり得て、物語があって、その後に新たなファッションが生まれる。今回のインスタレーションも、そんな世界観のもとに展開されました。上の写真は、2010年に発表されたコレクション『the fashion show of the gods』の様子です。「装飾と物語は可逆的である」という、極めて自由な発想に感銘を受けますね。
奥に進むと、今回の山縣良和の展示に合わせて谷川俊太郎が書いた詩『十二の問いかけ』が開かれていました。その詩は、このような書き出しで始まります。
どうしてコトバが欲しいのだろう? 柔らかな布の手触りだけで十分なのに
この詩が示唆するように、山縣良和が今回問いたかったのは、広義の(あるいは根本的な)「装飾とは何か?」ではなかったでしょうか。どこに物語を見い出すかによって、ファッションも装飾も無限の可能性がある。そんなふうに思いました。
双方向のドラマ性に涙する。山本麻紀子による『Through The Windows』
今回の『装飾は流転する』展において、個人的に最も感動したインスタレーションは山本麻紀子による『Through The Windows』でした。本プロジェクトは、彼女がロンドンに滞在しているときに開始されました。その内容は、見知らぬ人の家の窓から勝手にその家庭の物語を想像し、その絵と物語を持って実際に突然住人を訪ねるというもの。で、相手の承諾を得られた場合は、その人たちに物語に沿ったポーズで被写体となってもらうわけです
ちなみに上の絵から想像された物語はこんな感じ。
「これはそこに吊るそう」
「OK。どうかな?」
「うーん・・・。多分、誰か頭ぶつけるよね。そっちにしようか」
「OK。どう?」
「いいね!じゃあ、そこで。ところで、いつもより友達多めに呼んじゃったからさ、明日は50人くらいになるよ。」
「マジかよ。盛り上がるね。お隣さんに言っといたほうがいいかな」
「ああ、そうだね。今言ってくるよ。俺たち、ほんとパーティー好きだよね」
「まったくだ」
そこに意図があるかどうかは置いといて、窓の装飾には住人の個性が出る。そこに表出する物語を作家が具体化することにより、今度は作家側からの装飾が施される。つまり、「装飾」という行為を通してコミュニケーションが成されているのです。現代アートの双方向性が、ここまで温かく表現された例が他にありますか?誇大表現でなく、絵の前で涙ぐんでしまいました。
意図的に余白を残す、匠の技
かつてアンディ・ウォーホルは「誰もが15分以内に有名人になれる、そんな時代が来るだろう」という言葉を残しました。インターネットが登場し、YouTubeやSNSが生まれ、本当にその時代が訪れた現在。僕たちは一人一人が表現の場を持つことになりました。つまり、極論を言えば僕らもアーティストたりえるわけです。そう考えてゆくと、アートがインタラクティブな関係を求めるのは自然な流れだと思います。で、庭園美術館と東京都現代美術館(現在改修につき休館中)はこの関係性を設計するのが抜群に上手い。今回の『装飾は流転する』展も、僕らが介入できる余白が大いにありました。
庭園美術館には、思考を整理するためのラウンジが設けられています。今回は「あなたが思う『装飾』を10個書き出してみましょう」というテーマで自由に文章やイラストを書くスペースがあり、来場者がそれぞれ自由に考えを巡らせていました。丁寧に10個書き並べる人も居れば、「私のとって『装飾』とは~」といった具合に自分の「装飾論」を語る人の姿も散見されました。様々なアウトプットに触れることで、自分の思考も促される。現代アートの面白さは、こういうところにも潜んでいると思いますね。
装飾とは何であるか?普段は通り過ぎるテーマこそ、物事の核心を持っていることもあります。
■『装飾は流転する』展関連プログラム
TTM: IGNITION BOX|Live / streaming
DOMMUNE「EXTREAM QUIET VILLAGE」vol.2 〜装飾の生命線
<東京都庭園美術館 公式サイト>
http://www.teien-art-museum.ne.jp/
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