ミステリアスに顔を隠した状態で女子ラップシーンに登場し、リスナーだけでなくクリエイターからも大きな支持を得てきたラップシンガー、DAOKO。1st アルバム『DAOKO』にてメジャーデビューを果たし、同年ダブルAサイド1stシングル『ShibuyaK/さみしいかみさま』で顔出しを解禁し、まだ10代とは思えないほど大人びた憂いのある表情を見せてくれている。
そんなDAOKOは今年9月、一年ぶりのトリプルAサイドシングル『もしも僕らがGAMEの主役で/ダイスキ with TeddyLoid/BANG!』をリリース。自分なりのポップス解釈を昇華した作品が完成した。
メジャーデビューから二年弱。変革期にあるDAOKOに、自身の音楽観の変化や、文学やアートのこと、来年二月に開催されるツアー『青色時代』のこと、さらには運命の出会いまで、ざっくばらんに語ってもらった。
Interview_Sotaro Yamada、Arato Kuju
Edit_Sotaro Yamada
Photo_Hiroyuki Dozono
(インタビュー直後のDAOKOによるミーティア独占コメント!)
――9月にもミーティアでは一度インタビューさせていただいたんですが、それからこの数ヶ月間、DAOKOさんの音楽観がどのように変わったのか、あるいは変わっていないのか、そういったことを中心にざっくりお話を聞いていきたいと思います。
DAOKOの2016年
――まず、10月のツアー『青色主義』では、韓国で公演を行いました。DAOKOさんにとって、初めての海外だったそうですね。
DAOKO:そうなんです。人生経験的にも海外がほぼ初で。幼い頃、家族旅行でグアムやサイパンとか行ったみたいなんですが、ほとんど記憶にないんです。今回、距離的には近いけど、韓国でライブを、まさかワンマンで2DAYSにもなると思ってなかったのではじめてちゃんと海外行けた感はあります。
――率直に、韓国の感想はどうでしたか?
DAOKO:距離が近いからそんなに海外感ないのかな?と思っていたのですが、やっぱり全然文化が違うんだなと感じました。ライブパフォーマンスしていて反応が違うんです。自然とクラップ(※手を叩くこと)してくれるんですよ。間の取り方とかも独特で、国によってそれぞれ音楽の楽しみ方が違うんだなと思いました。日本人のお客さんは、こちらがが問いかけると「あ、こういうノリ方していいんだ」と感じてノッてくれるんですけど、自然と手が動いたり自由に身体が動き出すのは海外特有のノリ方なんだなって感じました。ただ、街歩いててもイヤホンして音楽聴いてる人が少なかったですね。日本だとイヤホンしている方は多いじゃないですか。私が行った街はホンデっていう街で、若者が多い街なんですが、ほとんど誰もイヤホンしてなかった。それと、CDショップがほとんどない。CDの文化ってもう日本特有のものなのかなと感じました。
(『もしも僕らがGAMEの主役で』MV。CygamesのTVCMで耳にした人も多いだろう。RPG仕立てのストーリー、DAOKOとDAOSICKSのダンスなど、見どころが多い)
――街に音楽が溢れてる感じはなかったですか?
DAOKO:あんまり感じなかったですね。街の雰囲気的には下北沢とか原宿みたいで、人通りはすごい多かったですけど、音楽の感じはあんまりなかったです。でも活気はすごく感じましたね。クラブカルチャーが盛んというか、結構ヒップホップが流行ってるので、夜は結構賑わってました。
――DAOKOさんのYouTubeやInstagramには、海外の方からのコメントがすごく増えてますよね。
DAOKO:そうですね、海外の方からのコメントがパッと目に付きますよね。きっかけとしては『ME!ME!ME!』ですね。スタジオカラーさんの、吉崎響監督と何作か一緒に作品を作らせていただいていて。当時ニコニコ動画でスタジオカラーによる短編映像シリーズ日本アニメ(ーター)見本市という企画をやられていて、その中の1作品で発表したのが『ME!ME!ME!』という作品なんです。アニメーションと音楽のコラボレーション作品で、その時初めて吉崎監督と一緒にお仕事したんですけど、その作品が海外ですごく反響があったんですよ。海外で日本のアニメーションは人気なので、スタジオカラーを追いかけていたり、日本アニメ(ーター)見本市という企画自体をチェックしてたんだと思うんです。『ME!ME!ME!』が人気になり、海外のフォロワーはそれから増えました。アニメ文化やクールジャパンの恩恵を受けてるなと感じますね。
DAOKOの音楽観
――9月に出したシングル『もしも僕らがGAMEの主役で/ダイスキ with TeddyLoid/BANG!』は、約一年ぶりのシングルでした。インタビューでは「自分のやりたいことがわからなくなって模索」しながら書いたとか(《インタビュー》DAOKO――19歳のラップシンガーが悩みもがきつつ辿り着いた「本当にやりたいこと」)、ブログでは「一番苦難した思い入れの深いシングル」と書かれていましたが(DAOKOオフィシャルブログ2016/9/12)、その後の反響含め、自分の音楽観に変化はありましたか?
(『BANG!』MV。非常にポップな仕上がりだが、リリック、MVともにDAOKO史上最も過激な内容。ズキュン!)
DAOKO:前回のシングルは、ファーストとセカンドで一年くらい間が空いてしまいました。気合もすごい入っていたし、ポップスを意識するっていうこと自体も挑戦的で、自分としては第二フェーズ感がありました。当時自分なりのポップス解釈をまだ確立できていなくて、右往左往しながら完成させました。制作の進め方も、今までとは変えてみたり、チャレンジの繰り返しでしたね。トラックメーカーと密にコミュニケーションを取り一緒に作っていくというスタイルは前回のシングルから本格的に始まったことなので、自分でも新鮮で、得るものも大きかったです。その結果、ポップスに振り切るという、新しい挑戦に辿り着きました。売れてる曲は、J-POP的な売れる法則があると思うんですけど、結果、狙っていけるものではなくて。その曲が本当に売れるかどうかは誰にもわからない、正解が存在しないから。だから、やっぱり自分の感性を信じてあげなくちゃなと思います。自分の心に耳を傾けて、今何が作りたいのか、どんな言葉を書きたいのか、そういうところと向き合って作っています。より自分の衝動に向き合う時間を増やしてます。
――ポップスに振り切るということについて、それは何かきっかけがあったんでしょうか? 以前はどちらかというと内省的な作品が多かったですよね。
DAOKO:インディーズ時代は、ポップスをそもそも意識してなかったですし、ポップスに憧れて音楽始めたわけでもなかったんです。ニコニコ動画のラップシーンが面白いなあと思って衝動的に始めたことだったので、自分のモヤモヤを作品にすることで昇華していたんですね。あの頃は、自分を救うための音楽でした。でも、メジャーデビューするタイミングで考えたんです。メジャーに行くということは、届けたい人がいるってことなんだって。だから、ターニングポイント的にはメジャーデビューですね。自分も救うし、聴いてくれた人も救いたい。そういう意識になったのが、ポップスを作ることに直接的に繋がったのかなと思います。
――今、「自分を救う」とおっしゃいましたが、以前のDAOKOさんは怒りや悲しみといった感情を音楽にぶつけていた面があったと思います。今はそのあたり、どう変化しているんでしょうか?
DAOKO:あんまり、怒るってことがなくなってきました。今は、怒りではなくて、憂いですかね(笑)。自分のフィルターはひとつしかないので、インディーズの時から感性は変わってない。物事の捉え方や感じ方、怒りや悲しみももちろんあるのですけれど、今までは怒りや悲しみを晴らすことが一番の目的で。今は、自分も含めて、どれだけ怒ってようが悲しんでようが、最終的には聴いた人が救われるような曲を作りたい、そう思うようになりました。光を見出せるような曲、怒りを怒りで終わらせない曲を。
起きたら元気になってました。元気にレコーディングしております! pic.twitter.com/djSg6v4Zq0
— DAOKO (@Daok0) 2016年12月10日
――なるほど。それが今のDAOKOさんの大きなテーマなんですね。
DAOKO:そうですね、人はみんな考え方とか感じ方とか全然違いますし。人間誰しも弱いところがあって、明るく振舞ってる人でも、心に何か抱えてたり欠損したりしていると思うんですよ。結局は自分を救うことが誰かを救うことに繋がるんじゃないか、あくまで自分の心と対峙することが誰かを救うことに繋がる、そういう発想で書いています。
――「救い」を明確に意識するようになったということは、逆に言うと、過去は救われてなかったということですか?
DAOKO:根本的に、どこか根暗だし、ネガティヴだし、本質的には闇属性だと思います(笑)。どちらかというと、日陰を歩いてきた人間だと思うんです。そんな自分を救ってくれたのが音楽で。音楽がなかったらどうなってたんだろうと思います。すごく生かされてるって感じがするんです、毎日。だから、自分が音楽に救われたように、誰かを救いたいなっていう気持ちが湧いてくるんです。音楽を通して自分も救われ続けていくと信じています。
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