SKY-HIにとっての武道館とは
さて、SKY-HIとして2013年にデビューした頃から、すでに彼は「二年後の2015年に武道館公演をやる」と宣言していたのだった。そして実際に、2015年には武道館公演を可能にするほどの実績を積み上げた。しかし、彼は2015年に武道館公演をやらなかった。2016年にも、依頼があったにもかかわらず「今じゃない」と避け続けていた。
なぜか?
その時点で武道館公演を達成してしまえば、SKY-HIにとってそれがゴールになってしまうからだ。
「あくまでも通過点に見えなければ、やる意味がない」
彼はそう言い続けた。
そして2017年、ついに武道館公演を達成した。
結果、SKY-HIにとって、武道館公演はゴールと通過点のどちらになったか?
答えは明白なのだけれど、結論を出す前に、時間を少し遡りたい。
SKY-HIが初めてマイクを握った10年前。
彼はSKY-HIではなく、AAAの日高光啓として認知されていた。しかも、自ら認めるように
「デビュー当時のAAAではダントツで人気がなかった」し、「ラッパーとしても客は五人なんてざら」だった(2013年7月7日のブログより)。
ヒップホップのシーンでは「アイドルがこんな所に来やがって」と言われ、事務所からは「クラブなんかに頻繁に出入りしてけしからん」などと言われた(2013年8月14日のブログより)。
こうした状況にありながらも、彼自身は明確に武道館公演を目標にして活動を始めたわけだ。
10年前といえば、日本のヒップホップアーティストとしてKREVAが初の武道館公演を達成した頃。武道館公演を達成したKREVAは、当時、自身を「国民的ラップスター」と称していた。
それから10年。
SKY-HIは、かつて憧れたKREVAと同じ場所にこうして立つことになったわけだが、はたして彼は、KREVAと同じように「国民的ラップスター」になれたのか?
この問いに対する答えは微妙だ。
なぜなら、KREVAの時代から10年経って、もはや「国民的」という概念はなくなりつつあるように思えるからだ。
「国民的ラップスター」を越えて
人々の趣味嗜好や選択肢は多様化し、誰でも容易に情報にアクセスできる時代になった。その結果、かつての意味でのヒットチャートは崩壊し、00年代までの意味における流行歌というものはなくなった。
さらに言えば、ラップは日本においても歌唱の方法として定着しつつあり、音楽におけるジャンルやタグ付けといった行為がほとんど意味をなさなくなった。その結果、「ヒップホップ」や「ロック」というようなくくりには、あまり意味がなくなった。
そういった時代には、「国民的」なアーティストや「ラップスター」というものは生まれにくい。おそらく、10年代以降にデビューしたアーティストに「国民的」なアーティストは一人もいない。
では、SKY-HIは何になったのだろうか?
ありがちな言い方かもしれないが、彼は「SKY-HI」になったのだ。
彼は、他の誰でもない「SKY-HI」という、ジャンルも肩書きも関係ない唯一無二のオリジナルなアーティストになった。 そして付け足せば、SKY-HIというアーティストは「ラップスター」ではなく、純粋な意味での「スター」になったのだ。オープニングSEとして使用されていたマイケル・ジャクソンやプリンスのように。
武道館2daysは、SKY-HIがスターになった日として、今後長く語り継がれるだろう。
しかしこれはただの始まりに過ぎない。「お前に無理だ」と言われ続けてきた過去を「ひっくり返しにきた」武道館を経て、SKY-HI & SUPER FLYERS、そして多くのFLYERSによる新たな伝説が始まるのだ。
2017年5月、新たなキング・オブ・ポップが生まれた。
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