カルチャーアイコン・Rina Sawayamaは、どのようにして「Rina Sawayama」となったのか
Rina Sawayamaというアーティストを知っているだろうか。
ミュージシャンやモデルの活動を飛び越えて、その生き方がカルチャーアイコンとして注目される彼女。活動の拠点とするイギリスから言わば逆輸入的に日本でもその名が轟くようになり、「ポスト・レディーガガ」と呼ばれることも珍しくない。本記事では、まさにいま知っておきたいアーティスト・Rina Sawayamaの生き方や世界観にフォーカスし、彼女を紹介する。世界のシーンに1人の日本人の名が刻まれる日もそう遠くないのかもしれない。
Rina Sawayamaとは
日本生まれ・イギリス育ちのミュージシャン兼モデル。5歳のとき、父の仕事の関係でイギリスへと移り住み、現地の日本人学校やケンブリッジ大学を経て、現在もロンドンを拠点に活動している。
Sleeping in Waking (Official Video)
幼少期から歌うことが好きだった彼女は、13歳から音楽制作をはじめ、大学卒業を機に本格的な活動を展開。2013年にシングル「Sleeping in Waking」をリリースし、ミュージシャンとしての第一歩を踏み出した。現在ではシンガーとしてだけでなく、作詞・作曲・プロデュース・MV監督など、さまざまな役割で自身の活動へと携わる。本人によると、音楽的ルーツは1990年代後半~2000年代前半にかけてのシーンにあるそうで、影響を受けたミュージシャンに、宇多田ヒカルや椎名林檎、マライア・キャリー、デスティニーズ・チャイルド、ジャスティン・ティンバーレイク、N.E.R.Dなどの名前を挙げている。
影響を受けたアルバムに名前が挙がるN.E.R.D「Fly or Die」収録の楽曲「She Wants To Move」
私生活では、10代前半の多感な時期に両親の離婚を経験。「裕福な暮らしから貧しい暮らしへと180度転換し、15歳までは1つの部屋を母親とシェアしていた」と、Rina は当時を振り返る。両親の別れから受けたストレスは彼女を読書へと向かわせ、やがて音楽とは別に興味を持った心理学を学ぶため、名門・ケンブリッジ大学へと進学した。
両親の離婚・貧しい暮らしがありながらも、志望する大学へと進学し、順風満帆のようにも見える青春時代だったが、大学時代にはスクールヒエラルキー上位の女の子グループから壮絶ないじめを受けることに。彼女は自分自身を「誰よりも醜く、望まれていない人間」だと感じるようになり、自殺を考えるほどの抑うつを経験した。そんなとき訪れたのが、ロンドンのパブ「the Cow」でおこなわれていたイベント。彼女はそこで、幼少期から抱えてきたパーソナリティに関連する悩み(詳しくは後述)の置き場所を見つけた。過去のインタビューでは「いつもそこ(the Cow)にいた」と語っている。
Rinaが抱えてきたパーソナリティ
自身のパーソナリティを踏まえ、セクシュアル・マイノリティのあり方に迫った楽曲「Cherry」
Rinaは、自身を「パンセクシュアル」であると公言している。
パンセクシュアルとは、性別や性自認にかかわらず、全属性の人間を恋愛対象とする性指向のこと。バイセクシュアルと近い意味の言葉として扱われるが、「(男性と女性の)2つ」への性指向とされるバイセクシュアルに対して、その2つに属さない人もすべて含めて恋愛対象とする点で区別される。
彼女は自身が8,9歳のとき、ある女の子に好意を持ち、キスをする関係にあったが、母親に見つかるとたちまち引き剥がされ、以来、自身の性指向と社会で“普通”とされることのギャップに苦しんできた。Rinaの母は、彼女が男の子とデートすると話せば好意的なリアクションを返していたが、女の子とデートすると話したときには、なぜそれを話すのかと否定的な態度を示すことがあったという。
彼女が大学生活を送ったケンブリッジ大学は、悪い意味で保守的であり、多様性に欠くことで有名な面がある。セクシュアル・マイノリティの彼女がいじめの対象となった理由には、こうした環境の影響も少なからずあったのかもしれない。人生に絶望していた彼女が訪れたある日の「the Cow」では、ゲイナイトと呼ばれるイベントが開催されていた。
「ある意味でケンブリッジが私を変えてくれた」
彼女は「the Cow」と出会い、自由をみつけたケンブリッジでの日々をこう振り返っている。
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