日本の音楽は本当にガラパゴス化しているのか?
本ライブでは、LAに拠点があるMIYAVIの貴重なステージを見ることができただけではなく、アプリを使った新しいライブ体験や、この国の音楽のオールスター戦のようなコラボを見ることができた。MIYAVI、三浦大知、KREVAの今後の活動への期待も膨らみ、ほとんどの人がカタルシスを得られたのではないかと思う。
本記事のまとめに入る前に、少しだけ話を「J-POPのガラパゴス化」という方向に広げてみたい。
「J-POPはガラパゴス化している」とは少し前からよく言われていることで、まるで既成事実のように語られているが、しかし、本当にそうなのだろうか?
そもそも「ガラパゴス化」とは何を意味しているのか。その正確な定義がよくわからないのだが、まあ、おおよそ、日本の市場のことばかり考えて海外展開できないもの、その中で特殊な進化あるいは劣化(?)を遂げたもの、といった意味だろう。この時、「ガラパゴス化」という言葉は、多くの場合で否定的な文脈で使われる。たとえば、「ガラパゴス化した日本の音楽は世界に通用しない」とか「世界の流行に置いていかれている」とか。あるいは、「今の作り手は洋楽を聞かずに日本の音楽だけを聞いて育ったから力量が足りない」云々。
でも、こうした意見は、いったい何を根拠としているのだろうか。
もちろん、日本に限らずどの地域においてもその地域独自の音楽や発達の仕方がある、という考え方は、インターネット以降の現代においてもある程度は理解できる考え方だろう。たとえばMIYAVIのギター、特に三味線を参考にしたスラップ奏法は、MIYAVIに日本人としてのアイデンティティがなかったら生まれなかったかもしれない(MIYAVIのスタイルは、彼が様々な場所で語っているように「西洋の音楽――ロック――をアジア人の自分がやる意味とは何なのか」という葛藤から生まれた)。
しかし、MIYAVIの楽曲とギター、三浦大知の歌とダンス、KREVAのラップとステージング、これらを知ってもなお、「ガラパゴス化した日本の音楽は世界に通用しない」などと言える人が本当にいるのだろうか?
MIYAVI、三浦大知、KREVAのパフォーマンスを見ると、「ガラパゴス化」という言葉は、単なる無知の産物なのではないかという気さえしてくる。少なくとも、この言葉の賞味期限はとうの昔に切れているようだ。
「ガラパゴス化」という言葉は、もはや現実にまったく即していない。MIYAVIや三浦大知やKREVAの楽曲が、仮にアメリカやイギリスのヒットチャートに入ったとしても、それはそんなに驚くことではない。なぜなら、MIYAVI、三浦大知、KREVAの音楽は、じゅうぶん世界的なヒットに値する音楽だからだ。
日本の音楽が本当にガラパゴス化しているかどうか知らないし、そもそも「日本の音楽」などという、国境/国籍に縛られた考え方がいまだに音楽の世界にあることじたいが不思議な気もしないではないが、いずれにしろ、ひとつだけ確かなことがある。
この日の新木場STUDIO COASTにあったのは、世界基準の音楽だった。
セットリスト
1. What’s My Name?(Original)
2. So On It
3. In Crowd
4. Fire Bird
5. Cocoon
6. Dim It
7. Ha!
8. Universe
9. Futuristic Love
10. Strong(with KREVA)
11. Epic Swing
12. Cry Like This
13. The Others
14. Day 1
15. Horizon
En.1 Live to Die Another Day
En2. Wonderful World
En3. Cry & Fight(with 三浦大知)
En4. Dancing With My Finger(with 三浦大知)
En5. What’s My Name Day 2 Mix(with 三浦大知&KREVA)
MIYAVI公式サイト
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