長谷川白紙が1stアルバム『エアにに』をリリースした。すでに各所でその破格の作品性については多くが語られている。筆者は前作にあたる2018年12月にリリースされた初CD作品『草木萌動』が最初の出会いだったが、ビートの特異性や日本のボカロ文化のコンテキストなどを直感する前に、彼の音楽にまるで人体(血管や骨や神経系が緻密にデザインされている)様子や、それが生き生きと動く体感、つまりフィジカルな魅力に取り憑かれた者のひとりだ。個人的な体感でいうとヨガで息を深く吐くことでより身体が柔軟に可動域を広げる感覚など、意識と肉体の連動を実感した時に似た快感を覚えた。それが長谷川白紙の場合、肉体の外にあるピアノなりコンピュータなり、自分の身体以外ともコミットして、音楽へと連動させたことによって、広がる全能感――しかしそれに彼自身は耽溺していない冷静さも感じた。そんな彼が、約1年ぶりに新作をリリースするということは、ある種、生物としての新たな可能性を聴くような心持ちなのだ。
長谷川白紙、その歌メロの進化とオリジナリティ
長谷川白紙の音楽において、ビートや和音の根底にあるのはジャズ的な語法だと思う。中でもこの新作『エアにに』で、ジャズの即興性と、その即興性を支えるロジックをもっとも感じたのは彼のボーカルだった。いきなりラストナンバーを挙げるが、10曲目の「ニュートラル」はピアノとボーカルのみというシンプルさゆえ、彼の歌メロの凄まじい飛翔っぷりが堪能できる。これはもしやコードや楽器のアレンジも鼻歌から作曲できるタイプの人なんじゃないか?それぐらいジャズのバリエーションを血肉にしている人だからこそできる、怒涛の変則的なコードチェンジやテンポチェンジ、ジェットコースター級の楽曲構成なのではないか?と。でも実際に脳内に飛翔するメロディが先にある人なのか、ロジックありきで千変万化なメロディが書けるのか、その順番はわからないというか、知らない。が、この少し矢野顕子をも思い出させる「ニュートラル」を始め、魂が自分を見ているような感覚に襲われるメロディを持った「いつくしい日々」、ピアノと歌とクラップの箇所に生きていることの喜びが極め付けの明度で迫る「あなただけ」、歌メロとして凡人である自分でもついていけるヴァースを持つ「砂漠で」など、明らかに今作での彼は歌うことに自覚的だし、そこに歓喜があるように思う。ただ、あくまでも声の温度はニュートラルで声量より、揺らぎながらも難しいメロディを乗りこなすことに愉悦がある印象だ。
唐突だが、今、若いリスナーが当該のジャンルを意識せずに好んで聴くメロディにはジャズの要素が少なからずある。ジャンルは違うがKing Gnuしかり。生身の人間がボカロ曲を歌いこなす痛快さに似たものをどこか若いリスナーはジャズ・ボーカルではなく、器楽的な音階を歌うことにスリルを感じているんじゃないだろうか。
白昼夢にも悪夢にもなるビートと新しいリズム
もちろん、長谷川が多くのリスナーを瞠目させた、まるでマシーンがバグったような高速ドラムンベース/ブレイクコア的なビートも健在だ。『草木萌動』の中でも特異性を象徴するような「毒」はファンの間で人気が高く、今回の『エアにに』の2曲目「o(__*)」や「怖いところ」でのビートの暴走やストップ&ゴーはファースト・インプレッションを保ちつつ、より開かれた聴感を残す。依然として白昼夢なのか悪夢なのか、体調によって左右されるフラジャイルな感覚もたまらない。ただ、前作でも比較対象として挙げられており、今もリンクする部分を感じるスクエアプッシャーの変態的なビートが、海外の生活様式から生まれたビートだとしたら、物理的には近くても長谷川のそれは日本の、それもついこの前まで10代だった青年の生活様式と制作環境から生まれたビートだという気がする。ニュアンスでいえば靴を脱いで生活する日本人の感覚とでも言おうか。
ビートというかリズムの新鮮さでいうと長谷川流のファンクネスを感じさせるのが「風邪山羊」。つんのめる鍵盤とリズムの応酬が自ずと歌詞の符割りをパズル的にしていて、エクストリームなビート感の曲にはない中毒性を放つ。また、どこまでも純度の高いzAkのミックスがドラッギーな「悪魔」はダイレクトに耳に流れ込んでくるドラッグである。エキゾティシズムを排したガムランのような金物の音が聴こえ、時にダンスミュージックのようでもある、知ってるようで知らないトランシーな体感。歌詞に意味がないような表記なのに、時々意味が掴める言葉が耳に飛び込んでくるのも、いい意味でゾッとする。
それでも徐々にというか、ずいぶん情景なり温度なり、時には死生観まで覗く作詞や、言葉を際立たせせるアレンジが前面に出てきた印象を持つ。感覚的であっても、より多くのリスナーの眠っていた何かをこじ開ける可能性が高いのだ。
今回のアルバムには「蕊のパーティ」に石若駿が参加しているが、石若といえばKing Gnuの前身であるSrv.Vinciを常田大希と結成、現在は常田主導のmillennium paradeや、くるり のサポート、そしてそもそもの出自であるジャズ畑でも活躍中。前述の楽曲での繊細かつ動物的なドラミングは本作のハイライトの一つだ。
石若の参加も大いに納得なのだが、さらに若き盟友として、長谷川は崎山蒼志の新作『並む踊り』収録の「感丘」で共演し、崎山の自然発生的なボーカルにさらにチャレンジングな要素を加味。同じく崎山の同作品に参加している君島大空や諭吉佳作/menなど、現状の音楽シーンにパラダイムシフトを起こしそうな才能が交流していることも、明るい展望を抱かせる。
ともあれ、2020年を待たずに世に放たれた『エアにに』、魂の自由は自分で切り開けるのかも?と思うには十分なパワーを持っている。
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