宮崎大祐(みやざき・だいすけ)監督による映画『大和(カリフォルニア)』が2018年4月7日から東京・新宿K’s cinemaほか、全国の映画館で順次公開される。米軍基地のある神奈川県大和市(やまと)を舞台に、やや複雑な家庭環境を持つひとりの少女がラップに打ち込み、次第に語るべき言葉を獲得していく物語。本作は、すでに世界約20もの映画祭に招待され、ニューヨーク・タイムズやハリウッド・リポーターなどの海外メディアで絶賛されている。どんな映画なのか? まずは予告編をどうぞ。
(映画『大和(カリフォルニア)』予告編)
あらすじはこちら。
神奈川県大和市。この町は戦後米軍基地と共に発展してきた。厚木基地の住所はカリフォルニア州に属しているのだという都市伝説があるという。
この町に住む十代のラッパー・長嶋サクラは日本人の母と兄、母の恋人で米兵のアビーに囲まれ、この町同様、複雑な関係性の中で育ってきた。アメリカのラッパーに憧れて、サクラは毎日ラップの練習と喧嘩に明け暮れる。ある日、アビーの娘・レイがカリフォルニアからやってくる。日米のハーフで、サンフランシスコで生まれ育ったレイ。好きな音楽の話をきっかけにして2人は距離を縮めていくのだが 。
(映画『大和(カリフォルニア)』オフィシャルサイトより抜粋)
米軍機の轟音が響く町
『大和(カリフォルニア)』というタイトルによく表れているように、本作は、主権国家としての日本のあり方を問う。
「ここまでが大和で、あっちはカリフォルニア!」
主人公・サクラがそう言って指し示す先には、高いフェンスと有刺鉄線、そして広大な土地ーーつまり米軍基地がある。その広大さは、大和市に故郷を持つ宮崎監督をして「なにが起きているのかわからない状態」だという。
「中がとても広いからなのか、横須賀や沖縄の一部のように周囲の町に米兵が繰り出してくるということはあまりありません。安全・防犯上の理由から高い建物もまわりにないですし、中を覗けないようになっているので、一年に数回あるお祭りの日にパスポートをもって中に入る以外にはなかなかなにが起きているのかわからない状態」
(映画『大和(カリフォルニア)』オフィシャルサイトより抜粋)
頭上では常に米軍機が飛び、家のなかにいても聞こえるほどの轟音が耳をつんざく。ここはいったい、日本なのか? それともアメリカなのか?
基地問題といえば沖縄ばかりがクローズアップされる傾向にあるが、東京都心部から電車で1時間もしない場所で、沖縄と同じような問題が起きている。
大和が沖縄よりも深刻かもしれない理由は、この問題について人々が黙っていること、黙らざるを得ないことにある。
「やはり「慣れ」と「あえて」によって沈黙している方が多いとは思います。大和から基地を追い出したところで、それは他の地域に同じ基地ができることを意味しているわけで。」
(映画『大和(カリフォルニア)』オフィシャルサイトより抜粋)
都市のすぐそばにある黒いもの
当然、政治的な色が強い作品だが、映画の形をとる以上は、フィクションとしての面白さもある。
『文科系のためのヒップホップ入門』や『ラップは何を映しているのかーー「日本語ラップ」から「トランプ後の世界」まで』などの著書で有名なアメリカ文学者・ポピュラー音楽研究家の大和田俊之が絶賛しているように、本作を「この国のヒップホップ映画の決定版」として鑑賞することもできるだろう。あるいは、都市のすぐそば(郊外と言い換えてもいい)という”場所”がもたらす呪いのようなものに縛られ、それと戦う若者たちの姿を描いた作品だと解釈することもできそうだ。
そのような観点で考えると、大和市のすぐ近く、神奈川県川崎市(区)を舞台としたルポルタージュ『ルポ 川崎』(磯部涼)との共通点も浮かび上がってくる。
『ルポ 川崎』は、川崎中一殺害事件の取材を入り口に、その深層にあるものに到達しようと試みた作品。川崎という場所がもたらす様々な文化ーーヒップホップをはじめとする音楽やスケボー、あるいはヤクザや風俗などーーと、そこで生活する多様な人々の姿を描き出した。
その川崎の対岸の物語として、いまふたたび注目を集めているのが、岡崎京子による1994年の漫画『リバーズ・エッジ』。
団地に暮らす女子高生・ハルナは、彼氏の観音崎がいじめている山田を助けたことで、彼の「宝物」を見せてもらうが、山田が「宝物」として大切にしていたのは、セイタカアワダチソウが生い茂る河原で発見した死体だった。
『リバーズ・エッジ』の主人公たちは、自分が生きている世界に現実感を持てないでいる。
もしかしてもうあたしは
すでに死んでて
でもそれを知らずに
生きてんのかなぁと思った
(岡崎京子『リバーズ・エッジ』p.64)
『川崎』とは生きることに対するスタンスが違うが、どちらもその場所の呪いから逃れられない人々の物語である点で共通している。
他にも、郊外に住む若者の苦悩を描いた注目すべき近年の作品としては、松居大悟監督による映画『アズミ・ハルコは行方不明』などがある。
(映画『アズミ・ハルコは行方不明』予告編)
映画『大和(カリフォルニア)』を解釈するための参考作品をいくつかあげたが、実はこれらよりももっと直接的に近しい作品がある。それは、村上龍による処女小説『限りなく透明に近いブルー』だ。この作品はドラッグやセックスや暴力に明け暮れる若者たちの生活を描いているが、舞台は基地のある町・東京都福生市。主人公リュウをはじめ主要人物は、米軍兵士たちとの交流を通して破滅に向かっていく。
飛行機の音ではなかった。耳の後ろ側を飛んでいた虫の羽音だった。
これは、『限りなく透明に近いブルー』の冒頭部分。「飛行機」とは東京都・福生市にある横田基地から飛ぶ米軍機が放つ轟音のことである。登場人物の日常にどれほど米軍が侵入しているかがわかる名書き出しなわけだが、映画『大和(カリフォルニア)』を観ると、ほとんど同じ世界が描かれていることに驚く。『限りなく透明に近いブルー』は1976年に発表された作品なのだ。40年間この国が変わっていないことを示すひとつの例だと言えるかもしれない。村上龍と宮崎大祐の問題意識はかなり近い。
音楽の取り入れ方も両作品は似ている。『限りなく透明に近いブルー』ではドアーズやストーンズが、『大和(カリフォルニア)』ではそれらに代わってNORIKIYOやCherry Brownといったヒップホップ、割礼(かつれい)やGEZANといったロックバンドがフィーチャーされている。どちらもその時代の象徴・先端として使用され、かつ、混沌とした作品世界のメタファーになっている。
(韻踏合組合『一網打尽(REMIX)Feat. NORIKIYO, SHINGO★西成, 漢』MV)
(青葉市子とのコラボなどでも知られるマヒトゥ・ザ・ピーポーが率いるバンドGEZAN『Absolutely Imagination』MV)
処女作にはその作家のすべてが詰まっている、とよく言われるが、『限りなく透明に近いブルー』にも、のちに村上龍が繰り返し描くことになる命題の萌芽がすでにある。それは、「不幸の芽は自分の知らないところでまかれて育ち、ある日、突然自分を襲ってくるものだ」(村上龍『ライン』)というもの。
同じ命題は、村上龍と同時代を代表する作家・村上春樹が『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』という作品で、東京の地下に住む”やみくろ”という邪悪な魔物を通して描いたものでもある。
映画『大和(カリフォルニア)』から話が少しそれているように感じられるかもしれないが、「『慣れ』と『あえて』によって沈黙している(宮崎)」ことによって日常が成立し、その下で黒々とした”邪悪な”ものが育っていくという状況を描いた点において、本記事で紹介した作品はすべてつながっている。たとえその結末が違っていたとしても。
ちなみに、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』は、その後に起きた地下鉄サリン事件を予見していた、と言われることもある。
では、映画『大和(カリフォルニア)』は、いったい何を予見しているのだろうか?
本記事で紹介したおもな作品一覧
・磯部涼『ルポ 川崎』
・岡崎京子『リバーズ・エッジ』
・松居大悟『アズミ・ハルコは行方不明』
・村上龍『限りなく透明に近いブルー』
・村上春樹『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』
作品情報
映画『大和(カリフォルニア)』
監督:宮崎大祐
出演:韓英恵、遠藤新菜、片岡礼子、内村遥、NORIKIYO、GEZAN、Cherry Brown、宍戸幸司、ほか。
音楽:NORIKIYO、Cherry Brown、GEZAN、割礼、のっぽのグーニー
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