リリー・フランキーと清野菜名が主演をつとめる映画『パーフェクト・レボリューション』が、9月29日に公開される。本作では、リリー・フランキーが脳性麻痺の主人公を、清野菜名が人格障害のヒロインを演じるーーと聞くと、何やら重たい映画なのかなと思うかもしれないが、ポップでキュートでハッピーな恋愛映画に仕上がっていて、かなり面白い。そして色々な意味で話題を呼びそうな映画でもある。
まずはこちらの予告編をチェック。あえて文字に起こしたいが、こんなセリフで始まる。
「本物のエッチじゃなくていいの?」
「障害者だって恋をするし、セックスだってしたいんです」
(映画『パーフェクト・レボリューション』予告編)
映画『パーフェクト・レボリューション』とは?
映画『パーフェクト・レボリューション』は、重度の身体障害があり、車椅子生活を送りながら障害者への誤解を解くために活動しているクマ(リリー・フランキー)と、精神的な障害を抱えたミツ(清野菜名)のラブストーリー。
あらすじは以下の通り。
クマは幼少期に脳性麻痺を患い、手足を思うように動かせず車椅子生活をしている。ただし彼はセックスが大好き。身体障害者にとっての性への理解を訴えるために活動している。そんな彼が、ある日、美少女・ミツと出会う。障害者であるにもかかわらず生き生きと生きているクマに、ミツは「あなたとわたしみたいなのが幸せになれたら、それってすごいことだと思わない? 」「それを世界に証明するの!」。どんな不可能も可能にする、ハチャメチャだけど純粋な、クマとミツの“最強のふたり”のラブストーリーがいま始まる!
(『パーフェクト・レボリューション』オフィシャルサイトより)
リリー・フランキー、清野菜名の他に、クマを支える介助士を小池栄子、その夫を岡山天音、ミツの母親代わりの人物を余貴美子が演じている。
実話を元にしたフィクション
実はこの映画、実話をベースにしていて、モデルがいる。それがNPO法人ノアール理事長の熊篠慶彦。身体障害者のセクシュアリティーに関する支援、啓発、情報発信、イベント、勉強会などを行なっていて、自身も出生時より脳性麻痺による四肢痙性まひがある。
ノアールのウェブサイトには、その設立趣意として、次のようなことが書かれている。
障害のある人は、そのコミュニケーションの手段としての‘性’という大きな壁につきあたってしまいます。障害のない人には当然に社会生活の一つのコミュニケーションの手段としてごく自然に浸透している「性」は、日本では、障害のある人にとっては今まで議論も避けられてきた問題なのです。この問題がタブー視されているかぎり、障害者にとって真のノーマライゼーションの実現は有り得ません。
(特定非営利活動法人ノアール「設立趣意」より抜粋)
その熊篠慶彦と、当時恋人だった女性(子宮委員長はる)との実際の恋愛が元になり、監督の松本准平(柳楽優弥主演、中村文則原作の映画『最後の命』などの監督)が脚色を加えてエンターテインメント作品にしたのがこの映画。
ポップでキュートな恋愛映画
この映画の第一の魅力は、全体としてポップでキュートな恋愛映画に仕上がっているということだ。
身体障害者を扱っていることで、重くシリアスな映画やドキュメンタリータッチなもの、あるいは涙を誘う感動映画を想像するかもしれないが、『パーフェクト・レボリューション』はそうした類のものとは180度違う。
ストーリーの面白さ、ハリウッド映画的な構成、カラフルな衣装、ユーモアの利いたセリフの数々、いくつかの笑える下ネタ。映画の主役にふさわしい愛すべきリリー・フランキーと清野菜名のキャラクター、それを引き立てる岡山天音、余貴美子の名バイプレーヤーぶり、そしてもう一人の主人公とも言える小池栄子の、二人の主役に感化されて少しずつ成長していくさま。
ロマンティックな男女の愛がピュアに描かれていて、エンタメとして無類に面白いものに仕上がっている。あまりにもピュアなので、観たあとに「恋は永遠!」とか「恋は革命!」とか言ってしまいそうになる。
友達以上恋人未満の人とのデートに使うと、良い感じの雰囲気になるかも……?
音楽にも注目!劇中歌に銀杏BOYZ『BABY BABY』
「恋は永遠!」とか「恋は革命!」なテンションに似合う音楽と言えば、峯田和伸率いる銀杏BOYZ。彼らの楽曲の中でもっとも「恋は永遠!」「恋は革命!」な作品といったら、真っ先にあがってくるのが『BABY BABY』だろう。
『BABY BABY』は、銀杏BOYZの前身であるGOING STEADY時代から歌い継がれ、おそらく峯田和伸にとってもファンにとっても、もっとも大切な曲のひとつ。しかもこの曲が収録されたアルバム、その名も『君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命』という。
『パーフェクト・レボリューション』にはこれ以上ないほどぴったりなわけだが、劇中のもっとも美しいシーンで印象的に使われている。
また、峯田和伸は予告編のナレーションもつとめている。峯田和伸によるコメントがこちら。
ちいさな星のちいさなふたりが
大っきいLOVEを抱きしめる話です。
峯田和伸(銀杏BOYZ)
『パーフェクト・レボリューション』ってどんな映画なの?と聞かれたら、障害だのなんだのと説明するより、この曲の歌詞を引用した方が良い気がする。
永遠に生きられるだろうか 永遠に君のために
BABY BABY 君を抱きしめていたい 何もかもが輝いて 手を振って
BABY BABY 抱きしめてくれ かけがえのない愛しいひとよ
(銀杏BOYZ『BABY BABY』より)
「障害者」という言葉がもたらす壁を壊す
「障害者だって恋をするし、セックスだってしたいんです」
予告編でも流れるこのセリフ。ちょっとドキっとするかもしれない。
しかし、考えてみれば、このセリフにはおかしなところはひとつもない。障害者だって恋をするし、セックスだってしたい。そんなの当たり前のことだ。
それなのに、このセリフを聞いたらドキッとしてしまう。なぜか?
それは、無意識のうちに私たちが障害者を特別視しているからではないだろうか。
「障害者」と聞いて、どんなイメージを持つだろうか。
色々あるだろうが、人それぞれに何らかの「障害者」的なイメージがあるだろう。しかし、その「障害者」的なイメージに基づくレッテル貼りによって、逆に現実が見えなくなる、ということが往往にしてあるのではないか。
そもそも、「障害者」と「健常者」を分けるものはいったい何なのか。
「健常者」とされる人が、たとえば明日交通事故にあって、あさってから車椅子生活になったとしたら、「障害者」となるだろう。しかしその人は「障害者」になることで別の人間に変わるのだろうか?
いや、変わる部分はあるかもしれないが、同じ人間であることに変わりはない。「障害者」になる前もなった後も、同じように喜んだり悲しんだりするし、良いことも、悪いことも考える。同じように恋愛をし、エロいことを考え、セックスをし、失恋して傷つき、相手を憎んだり、愛したりする。「障害者」は「かわいそうな人」でもなければ「偉い人」でも「聖人君子」でもない。普通の人間なのである。
こんなことは改めて書くまでもないほど当たり前のことかもしれない。誰でも知っていることなのかもしれない。にもかかわらず、「障害者」と聞くと何やら構えてしまう。あるいは変に気を遣ってしまう。筆者の心の中にもそういった部分がある。
「障害者」と「健常者」の境目は曖昧だ。両者は何かに隔てられた別の種類の人間なのではなく、それは同じ人間が持つ細部の違いにすぎない。背が高いことと低いこと、胃が強いことと弱いこと、それと同じレベルの違いでしかない。つまり、「障害」という言葉やそれに付随するイメージが、現実を見る上でまさに障害となる場合があるわけだ。
さらに言えば、「健常者」とされている人々であっても、何かしら障害を抱えているものだ。
人はみな不完全であり、またその種類や程度の違いこそあれ、生きていれば様々な障害を抱え込むもの。表出の仕方が人それぞれ違うだけであって、「障害者」「健常者」という分け方は本来、便宜的なものでしかない(そのあたりも映画ではうまく描かれている)。
それなのに、「障害者」と聞くだけで勝手にシリアスな雰囲気を感じ取ってしまったり、感動的なストーリーを期待してしまったりするとしたら、そういった無意識の心の動きはすべて「差別」に繋がるものなのかもしれない。
映画『パーフェクト・レボリューション』は、観る者の潜在的な差別意識を引っ張り出し、その壁を壊す。
それでいて観た人をハッピーにさせるという、エンタメとして理想的な作品に仕上がっている。
セカオワFukase、吉沢明歩、宮台真司などから、絶賛コメントが続々
これだけの素晴らしい映画なので、ジャンル問わず各界から絶賛コメントが続々と到着している。その一部を紹介。
「難しい」問題に向き合った作品。作品の中で何度も「無理だ」という言葉が出てくる。でも今実現されてる現実は、かつて「無理だ」「難しい」と言われてきたものなんじゃないだろうか。
諦めのプロフェッショナルが挑む戦いの映画。
SEKAI NO OWARI Fukase(ミュージシャン)
言葉は僕らが思っているよりも強い凶器だ。社会の障壁はわからないことは多いけど、映画の中で描かれているドリーミーで前向きな世界観は余計な理屈無しに楽しんで良いんじゃないか?だってそれが映画だから。
栗原 類(モデル・俳優)
障害者は私達の感動のためとか、目標のために存在するわけじゃない。いつか本当の愛に巡り合うための彼らの挑戦は、決して特別じゃない。同じことに悩み苦しみ、そして同じことに幸せを感じる。私達はきっとみんな不完全だから。
フィフィ(タレント)
恋愛は諦めてるんだ、クマの言葉が胸に刺さった。
2人なら越えられるどんな壁も!そう願わずにはいられない。
吉沢明歩(セクシー女優)
生まれついての重度の障害。主人公はこの理不尽を「受け入れることにかけてはプロですから」という構えにつなげた。
彼のモデルである原作者とは古い仲だが、彼の社会的活動の奇跡的な果敢さの秘密を、映画に見出して、僕は戦慄した。
足掻かず覚悟するからこそ、全て織り込み済みで前に進む。
障害者のエロにうろたえるヘタレは、映画を観て死んじまえ。
宮台真司(社会学者)
関連書籍
本作のモデルとなった熊篠慶彦の書籍が、この度復刻されることになった。
・『たった5センチのハードル』
映画を作る際に参考とされたものであり、非常に価値ある本。誰も語ってこなかった障害者の性について、おそらく初めて書かれた本のひとつ。熊篠の初体験の話や恋の話、宮台真司との対談などで構成されている。
また、こちらは熊篠とはるに取材したノンフィクション。二人の出会いから恋人になる過程や、恋人として仲良く生活しているさまなど、映画とは違う角度から見た二人が描かれている。それ以外にも、「ネット上でしか恋愛感情を抱けない人」や「植物状態の妻を介護しつづける男」、「ラブドールと付き合っている男」など様々な愛の形に取材し、「愛とは何か」を考えさせてくれる本。
障害は私たちが愛し合うためにある
というわけで、映画『パーフェクト・レボリューション』は、あらゆる層におすすめしたい映画。
劇中で清野菜名演じるミツが口にするセリフがとても美しいので、それを引用して記事を終わりにする。
「障害は私たちのためにある。私たちが愛し合うために。私たちが生まれ変わるために。私たちが不可能を可能にするために。」
(映画『パーフェクト・レボリューション』本編映像)
作品情報
『パーフェクト・レボリューション』
出演:リリー・フランキー、清野菜名、小池栄子、岡山天音、余 貴美子ほか
監督・脚本:松本准平(『最後の命』)
企画・原案:熊篠慶彦(著書「たった5センチのハードル」)
劇中曲:銀杏BOYZ「BABY BABY」(初恋妄℃学園)
エンディングテーマ:チーナ「世界が全部嘘だとしても」(SOPHORI FIELD COMPANY)
9月29日(金)TOHOシネマズ新宿ほかにて全国ロードショー
『パーフェクト・レボリューション』オフィシャルサイト
『パーフェクト・レボリューション』オフィシャルTwitter
『パーフェクト・レボリューション』オフィシャルFacebook
Text_Sotaro Yamada
SHARE
Written by