演歌・歌謡曲歌手、辰巳ゆうとと巡る「赤羽」ぶらり散歩。赤羽と言えば、飲み屋が多いディープな街のイメージが強いですが、辰巳ゆうとにとっては「歌のふるさと」。デビュー前にストリートライブをしていた思い出の場所でもあり、今もよく訪れる大好きな街だといいます。そんな赤羽の街で、ゆかりの地を巡りながら、幼少期〜ストリートライブ時代、そして今とこれからについて語ってもらいました。
知れば知るほどにキラキラしていて、まさに演歌界のニュースター……! 「もしかして若者の間に演歌ブーム来るんじゃないか?」とワクワクを抑えきれない赤羽ぶらり散歩をどうぞ。
Photography_Hiroaki Noguchi
Interview & Text & Edit_Miwo Tsuji
辰巳ゆうととは
辰巳ゆうと – おとこの純情 (Short Ver.)
21歳・現役大学生の演歌・歌謡曲歌手。大好きな祖父の影響で幼い頃からカラオケ喫茶に通い、演歌・歌謡曲とともに育つ(カラオケ喫茶でおしめを替えてもらっていたとか)。演歌・歌謡曲歌手としては珍しいストリートライブでの活動を経て、2018年1月に「下町純情」でメジャーデビュー。同年の年末には、第60回日本レコード大賞にて最優秀新人賞を受賞し注目を集める。甘いルックスと幼い頃から鍛え上げてきた歌唱力で、幅広い層を虜にする新世代演歌・歌謡曲歌手である。
歌のふるさと「赤羽」
ミュージック美声堂
赤羽スズラン通り商店街にある老舗レコードショップ。演歌・歌謡曲は城北最大級の品揃えを誇り、演歌歌手によるキャンペーンやイベントも頻繁に開催されている。辰巳さんのポスターやサインもたくさん飾ってありました。
――辰巳さんにとって「赤羽」はどんな街ですか?
辰巳ゆうと(以下、辰巳) : まさに「歌のふるさと」ですね。生まれは大阪なのですが、赤羽は、歌手・辰巳ゆうとを育ててもらった街。デビュー前からストリートライブをやっていた街なので、かなり馴染みのある街ですし、第2のふるさとのように思っています。
――ストリートライブの拠点として「赤羽」を選んだ理由は?
辰巳 : 赤羽は演歌・歌謡曲が好きなご年配の方も多い街ですし、人情味あふれる街のイメージが強かったんです。実際に来てみたらその通りで、最初はここでやりたいなと思って選びました。赤羽以外だと、錦糸町や大塚、池袋などでもストリートライブをやっています。割とディープな街を選んでいたかもしれません(笑)。
壁には、歴代の先輩たちと一緒に辰巳さんのサイン色紙や写真が並んでいました。
――たしかに、どの街もお酒が大好きな方々がたくさんいるディープな街のイメージです。
辰巳 : そうですね。赤羽でも、ストリートライブを行なっている際に何度かお酒を持った男性に絡まれたことがあります(笑)。でも、それもまた下町の良さと思っていて、僕としてはそんな風に絡んでくださるのも結構嬉しかったりします。僕の地元・大阪も、そういう文化が強い街なので、どこか懐かしくて、親しみが湧くんです。
――なるほど。ちなみにストリートライブ時代、1番びっくりした事件はなんですか?
辰巳 : 「お前の歌はいいから、俺に歌わせてくれ!」って、歌って帰った男性ですかね(笑)。そう言われた時、一緒に歌いたいのかな?とも思ったんですけど、どうやら1人で歌いたかったみたいで、マイクを渡して歌っていただきました。2曲歌ったら満足されたようで、そのまま帰って行かれました(笑)。
無力さを感じたストリートライブ時代
「美声堂」のやさしいお母さんと。お店のスタッフみなさんがストリートライブ時代から応援してくれていて、まるで家族のように仲良し。
――ストリートライブを始めた当初は、立ち止まってくれる人もあまりなく、苦労されたというエピソードを伺いましたが、始めてからどのくらいでお客さんが足を止めてくれるようになったんですか?
辰巳 : 最初の数ヶ月くらいは、立ち止まってくれる方はほとんどいなかったですね。でも、数ヶ月経った頃に、「美声堂」の方が僕の事を見つけてくださって、そこからわざわざ足を止めて聴いてくださる方がいらっしゃるようになったんです。それまで誰にも聴いてもらえなかったのに、わざわざ忙しい中足を止めて耳を傾けてくださる事が、自分の中でも涙が出そうなくらい嬉しくて、ドキドキが止まらなかったです。
――美声堂のスタッフさんが、初めてのお客さんだったんですね!
辰巳 : そうですね。それからだんだんと、いつも来てくださる方がいらっしゃったり、その方がお友達を連れてきてくださったり。皆さんが広めてくださいました。
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