Paranelが音楽担当した邦画。
この映画を機にカンヌ映画祭にParanelも当地まで足を運んだとのこと
僕は自分のフィールドのなかに違うものを引き込む人が好きですし、カルチャーの橋渡しをするような人物が好きですね
ーーLOW HIGH WHO? 10周年のインタビューへと移りますが、「LOW HIGH WHO?はこういうレーベル」とParanelさんからの言葉で表現していただきたいのですがどうでしょうか?
Paranel LOW HIGH WHO?という言葉が「愛している」という意味なのですけど、メンバーそれぞれに愛の形がそれぞれに違うのが面白いといつも思いますね。音楽に至る前段階の話として、僕らの仲間になると、LOW HIGH WHO?に入る前のとは違う愛の形を見つけて、その上で新しい作品を作っていけているんです。
ーーアウトプットのやり方がどんどんと変化していって、一人のミュージシャン/アーティストとしての深みが増すような?
Paranel そうですね。LOW HIGH WHO?に入るとすごいスピードで自分を見つけようとして、形を作っていく、僕としても不思議な場所だなぁと思っています。
ーーここからParanelさんのパーソナルなところに話を。年齢は先程お聞きしたとおり35歳、生まれは静岡なんですよね?
Paranel そうですね。沼津という所です。
ーー子供の頃はどんなお子さんだったんですか?
Paranel 僕はかなり変な子供だったと思います。僕らの周りにいる福祉関係の方に言わせると、「Paranelさんがいまの時代に生まれていたらADHDやアスペルガー症候群など診断されていましたね」と。確かに僕は一人で生きられなくて、中高生の時には必ずお世話係のような人がいて、「それはやっちゃダメだよ!」とひと声かけてくれるような感じだったんです。おとなになってからは大分マシにはなったんですけどね。
ーー昔からHIP HOPがお好きでしたか?
Paranel めちゃくちゃ好きでしたね。中学の頃はハードコアテクノやドラムン・ベースが好きだったんです。高校になってBeastie Boysを聴いたのをきっかけに、そのちょっと後にEMINEMが出てきて追いかけるようになったんです。HIPHOPをどんどん聴くにつれて、どうも白人がやるHIP HOPが好きだというのが分かったんです。
ーー何か理由があるんですか?
Paranel 黒人からするとHIP HOPはホームの立場、俺達の音楽だ!という意識でやっているの対して、白人が自分たちのフィールドにHIP HOPを引き入れてやっているという点に心動かされたんです。だからこそ「じゃあ俺にもHIP HOPができんじゃん?じゃあやってみよう!」と思わせてくれたんですよ。
ーー当時に影響を受けたミュージシャンとしてはほかにいらっしゃいますか?
Paranel Timbalandですかね。彼は多くのシンガーをプロデュースしてますけど、彼はドラムン・ベースのサウンドをR&BやHIP HOPの音楽に持ち込んだことで当時はすごく批判はされていましたよね。彼は黒人の音楽をやっているのに違うフィールドの音楽をもってきて、まったく違う音楽をやり始めたわけで。
ーー彼自身はアメリカ人、ドラムン・ベースはイギリスで生まれた音楽ですからね。
Paranel ええ。そこから黒人の音楽はどんどん変化していって、今度はテクノなどのフィールドに影響をあたえるようになっている。僕は自分のフィールドのなかに違うものを引き込む人が好きですし、カルチャーの橋渡しをするような人物が好きですね。
ーー時間を進めてLOW HIGH WHO?の立ち上げの頃をお聞きしたいのですが、2006年ごろに立ち上がったということですが、なにかきっかけがあって立ち上がったんでしょうか?
Paranel 立ち上げよう!と思って立ち上げたわけじゃないんですよ。当時は物凄くお金がなくて、でも音楽で何かを発信したいと考えていた時、ネットが良いぞ!と思えたんです。当然ですが当時のネット上で活発になにかあったわけでないですが、たまたま海外のサイトで音源をフリーダウンロードできるようにしているをみて面白いなと思ったので、mp3を「聴いてください」とそのまま置いておいたのが始まりですかね。
ーー直リン(メディアファイルのURLを参照し、別のウェブページへリンクを張ったりする事)ですか?
Paranel 最初は直リンですね、本当はプレイヤーが欲しかったんですけど技量がまずなかったんです。その後にzipファイルになっていって、どんどんとお客さんやリスナーが増えていったんです。
ーーパーティとかは開かれていたんですか?
Paranel 当時はほぼほぼネットの盛り上がりだけだった。なんにせよ、この時は沼津でひっそりとやっていたので、どうせお客さん来ないだろ?と思っていたんです。
ーー当時のメンバーといえば?
Paranel EeMuくん、今は去ってしまいましたがGeskia!くん、彼が抜けてショックだったタイミングで入ってくれたのがtofubeatsくんでしたね。
ーー何年ごろですか?
Paranel 確か2007年か08年ごろですね。tofuくんは高校に上がるかあがらないかの頃に出会ったように覚えてます。風のうわさですが、僕や当時の仲間がネットでアーティスト活動するのを見てネット活動をはじめたとか聞きました。LOW HIGH WHO?で作った作品が、今でも彼のオフィシャルサイトのバイオグラフィにLOW HIGH WHO?からリリースしたと掲載されて僕としてはとても嬉しいです。
ーーこういった当時の雰囲気や音源は、記事にしてあるのも少ないですし、なによりサイトが変わってしまっていて把握することが非常に難しいですが、LOW HIGH WHO?の公式YouTubeチャンネルの最初の投稿が2007年。当時の音源などがアップロードされていて、ある意味では歴史的な価値がありますね。
Paranel そんな昔からアップロードしていたんですね。自分でも驚きです(笑)
ーーちなみにですけど、その一番最初の動画がなんだか思いだせますか?
Paranel なんだろう、全然思い出せないですね
ーー「timemachine」という曲で、2007年の秋にアップロードしているんです。今回Paranelさんが作り上げた『オールドテープ』『タイムリミットパレード』に込めた感覚や、生と死にまつわるテーマ性が、この作品の頃から一貫していたというのが伺えます。
LOW HIGH WHO? Youtubeチャンネル
Paranel 僕はLOW HIGH WHO?を立ち上げる前に、ネルヘイトという名前で『動物の演奏会』という作品を作ったんですが、これも同じく<生>と<死>というテーマを持っているんです。この作品が僕にとってはほぼ最初の作品で、こうしてみると僕にとっての永遠のテーマなのかなと思えますね。
ーーLOW HIGH WHO?チャンネルの動画を見ていると、2003年にライブドローイングをされている動画があります。レーベルとしても音楽だけではなくアートを重視していますし、なによりHIP HOPの要素としてグラフィティやアートの側面は大きくありますしね。
Paranel その影響も確かにありますが、中学校の頃からずっと絵を描いていたし、高校の時に校長先生から「屋上をアトリエにしても良いから、自分の作品を描きなさい」なんて言われて、自由に使わせてもらっていたんです。みんなが喜んでいる姿を見ていると嬉しくて、ずっと描き続けていました。
ーーこういった要素は、グッズ以外で披露したり表立っていくことはあまりないですよね。
Paranel たまに展示会を開いたり、昔Johnbullというブランドの系列店で展示会を開いた時があってライブペイントで描いた服は即売しました。反応もすごく大きいので嬉しいですね。
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