約一年半の活動休止を経て、2月12日に東京・Shibuya Milkywayでのワンマンライブをもって解散することを発表したハグレヤギ。
ラストライブを前にミーティアでは、Vo.山脇紘資、Dr.小杉侑以らが都内のアパートをリノベーションし、使用しているシェアスタジオ「宝田スタジオ」を訪問。二人に話を聞いた。
一年半の活動休止、解散に至った理由は何か。
解散後、どのような活動をしていきたいと考えているのか。
インタビューの模様をお届けしたい。
なおインタビューにあたり写真撮影は360度カメラを使用し、行った。写真にカーソルを合わせると、360度全方位、宝田スタジオでの撮影の様子をお楽しみいただける。
ミーティアでは2月12日の彼等のラストライブの一部を全天球映像作家・渡邊課の協力の下、連載企画『LASTVR』の一環として、VR撮影を行う予定だ。こちらもお楽しみに。
Interview_Arato Kuju & Sotaro Yamada
Edit & 360 Photo_Arato Kuju
一年半の活動休止、そして解散へと至った理由
――ハグレヤギは約一年半の活動休止期間を経て、解散を発表しました。メンバーの皆様の間で活動休止期間中にどのような話し合いがあったのか。また休止期間中、メンバーの方々それぞれどのような活動をしていたのか、教えて頂けますか?
山脇:むしろ、話し合いがあまり出来なかったというのが(解散にあたっては)大きかったと思いますね。各々が違う活動をしているんです。例えば僕だったら絵を描いていて、ギターのメンバーは別のバンドを始めて、ベースも他のバンドがあって。こいつ(※Dr. 小杉)は……、ニート?
小杉:ニートじゃないですよ!
山脇:ハグレヤギの四人は、個人事業主の集まりみたいな感じなんですよね。その上で活動を休止した理由は「ハグレヤギをもっと良くしよう」「時間をおいて、もう一度団結しよう」というものだったんですけど、この一年半が逆の効果を生んだ部分があったと思います。活動休止は「充電期間」的な意味合いもあったんです。活動がマンネリ化していたというのも正直なところでしたので。ただ、一番問題だったのはバンドの士気が上がらない状態だったことです。ライブも「数をこなすもの」になってきてしまっていて……。本当はライブって一期一会で、生物でヒリヒリして、緊張感があって、楽しいもののはずだから、そういう感覚を取り戻したいなと思っていました。
Post from RICOH THETA. – Spherical Image – RICOH THETA
――この一年半の休止期間の間にそれぞれ心境の変化などはありましたか?
山脇:あまり変わらなかったですね。変わろうとしたけど、変われなかったというか。皆、わがままなのでそれぞれが自分のことを優先して考えていました。
「チーム」とは何か
――山脇さんは解散発表時のコメントで「僕はアーティスト活動と音楽活動をセパレートとしたものではなく、何か共有するイメージで表現できるような”チーム”を目指し、絵画や曲などを制作しながら腰を据え、時間をかけてイメージを模索していました。」と述べています。ここにおける「チーム」とはどういうものを指すのか、もう少し詳しく聞かせて頂けますか?
山脇:まず「セパレート」というのはそのままの意味で、絵を描く時は絵の活動、作品のイメージも僕が個人で描くものです。バンドだったら、僕が作曲したものを、絵のイメージとは全く別で皆で表現する。
それを「セパレート」するのではなく、「チーム」でやるというのは――別に(対象は)なんだって良いんですよ。例えば「スニーカー」というお題があったとしたら、それを音ならどう表現するか、アート作品としてはどう調理するのか。そういった表現を、たとえ発信元は僕だったとしても(制作の)下準備の段階から皆が加わって、アウトプットしていくというようなことをもっとしてみたかったんです。
――山脇さんにとっての「チーム」とは、例えばアンディ・ウォーホールにとっての「ファクトリー」に近いものなのでしょうか。
山脇:ファクトリーへの憧れはありますね。ウォーホールのスター性に対しても憧れますし。
ファクトリーの良さって工房制という面もありますけど。一方でその場に関係ない色んな人達が集まって、ウォーホールも想定していなかったような作品が生まれたり、イベントや現象が起こっていたことですよね。銀紙がばあっと貼られた異様な空間で、皆が楽しんでいたと思うんですよ。
――ファクトリーには「共同の制作作業」である以上に、「生活」というような色合いが強く存在している気がします。
山脇:ウォーホールもきっと(生活空間や時間を)「共有」したかったんだと思うんですよ。アーティストって、やっぱり孤独な生き物ですし。
ウォーホールは映画も撮っていますけど、映画製作とはまさしく共同作業ですよね。チームというより、彼の場合はもしかしたらもう少しエゴが強かったかもしれないですけど、それで皆が楽しめていたなら良いじゃないかとも思います。
ハグレヤギの楽曲に見る「忘却」
――ハグレヤギの楽曲には、『海がくる』の「忘れてしまう きっと」という歌詞に顕著なように、「忘却」というテーマを見出すことが出来ると思います。この「忘却」というテーマについて、どのように思われていますか?
山脇:ああ、どうなんだろう。あまり意識したことが無かったですね――。
小杉:基本、(曲中で何かが)死ぬよね?
――そうです。そういうイメージがありますね。
山脇:村上春樹の作品をよく読んでるからじゃないですかね?
――春樹の影響は大きいですか?
山脇:春樹は好きですが、いろいろな人の影響を受けてると思います。オリジナリティってこの世の中に存在しないじゃないですか。
センスについても、僕の中でははっきりしていることが一つあって。パクるのが下手な人が真似っていわれて、パクるのが上手い人がセンスがあるっていわれるんですよ。ピカソなんかまさにそうで、いろいろ人のエッセンスをドラゴンボールのセルみたいに吸収しまくってるんですよね。ジョルジュ・ブラックだとか。
でも、ピカソは完全なるオリジナリティの塊のような存在として君臨してますよね。彼はパクるセンスとアウトプットするセンスが桁外れに凄いから、「パクってるように見せない」っていうか――あれ、これ何の話でしたっけ。
――「忘却」というテーマについてです。
山脇:どうでしょう。僕はその時の心境に素直で、女に振られたら、女の曲を書くという感じなんですよね。例えば『海がくる』はリリースが3.11の後だったのでタイトルや歌詞について、いろいろ言われるんですけど、実際はもっと前からあった曲なんです。
面白いと感じたのは、実際、歌詞を見ると確かに3.11に近い内容を歌っているんですよね。アーティストは預言者というわけではないですけど、その時代その時代に起こりそうなことを何となく感じ取って、言葉にしているようなところがあるのかなと思います。
そうして感じ取る内容が、その時その時において「忘却」に映ったり、「セックス」だったり「すげえ楽しい!」というようなものになったりするんじゃないでしょうか。僕に限らず、きっと偉大な先輩たちはそのようにして歌詞を書いてきたんじゃないかという気がします。
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