前回フランスへのリベンジ〈中編〉としたが、取材後半はイギリス・ロンドンに渡ることになったので、今回はそれをご紹介。
ただし、前回触れたようにそのフランスでフィリップ・コーエンと意気投合、すっかり気を良くしたのもつかの間、ホテルにもどるとちゅう悪寒が背中を走る。わるい予感は実感になる確率が高い。夕食時、まわりの会話がどんどん遠くに聞こえ、ほとんど料理に箸をつけることもなく中座。部屋にもどるといっきにそこでだるくなり、脇の下からイヤな汗が吹き出てきた。完全なる風邪である。こんどこそ一泡吹かせるつもりじゃなかったのか……(苦笑)。
いうまでもないことだが、海外で病に冒されることほど最悪なことはない。なにより同行者に迷惑をかけてしまう。かつてニューヨークに行ったときもそうだった。むせかえるような夏の日、体の半分は汗じゃないかっていうくらい肌と服のあいだをべたべたにしながらひたすら寝たが、今回は冬である。おもうように発汗できない。もっとも、温かくして寝て汗をかくと治る、というむかしながらの知恵、療法はどうやらたしかな根拠がないらしいけど。
ロンドンは今日も曇りだった
いずれにせよ自力でなんとか持ちこたえ、取材後半となったイギリス、ロンドンへ移動。これが南国みたいな街だったらかえって圧倒され悪化していたのかもしれないが、そこは霧の街。寝ぼけ眼のような空が刺激にならずによかったらしい。幸いそのころには体調が回復、順調に仕事をこなす。さぁ気を取り直して!
ここでも、ジャズとクラブ系の二本立てで予定メニューを組む。まず前者。待ち合わせの場所となった名門〈ロニー・スコッツ〉に出向く。ブリティッシュ・ジャズ黄金期の60年代を牽引したレンデル=カー・クインテットで知られるトランペット奏者のイアン・カーが待ってくれていた。
そのあとは、おなじくレンデル=カーに参加していたベース奏者デイヴ・グリーンのもとへ、指定されたホテルのラウンジに向かう。彼を取材したのも(フランソワ・テュスク同様)日本では初めてではないかな。リーダー作らしきものをほとんど残していないが、60・70年代の名盤、重要作にはほとんどといっていいほどクレジットされている、いわゆるファーストコールの練達。
グリーンをリストアップしたのも、そういうところ以外にちゃんと理由がある。マシュー・ハーバートがジャズに傾倒していた時期のアルバム『Bodily Functions』(2002年)に記載されていた申し訳ていどの彼の名前をわたしの目は見逃さなかった。日本ではヘンに人気が出ちゃって、そのあとの消耗感がなきにしもあらずのハーバート。どうせならこうやって、脇腹からグイッといかないと。
残りはクラブ系。何度めになるのか、ジャイルス・ピーターソンと再会し、夜はDJをやるというからカムデンの〈ジャズ・カフェ〉に出向けば、日本からのスペシャルゲストで沖野修也さん率いるスリープ・ウォーカーがステージに登場。そこにべつの取材でたまたま立ち寄ったという旧知の編集者も東京から来たりしていて、ほとんど宇田川町のような状態。事実カムデンはそんな街というか、ロンドンの原宿とか呼ばれているけど。
この宇田川町状態は最後の最後までつづく。帰りの飛行機搭乗直前、レコード屋に寄ると、日本でいっしょにパーティをやっていた友人がいてびっくり。SNSもたいして普及していなかった時代、ロンドンに遊学していることは知っていたけど……。「いやぁ、連絡取りたかったところだから、ちょうどよかったよ(笑)」とかなんとか冗談を飛ばしながらも運命のようなものを感じる。
あのころDJ修行とか、そういうのをやるためロンドンに行く若者がすくなくなかったけど、最近はどうなんだろう。なにもかもドメスティック志向になってるし。
ごあいさつ
さてさて、タイトルにもあるように今回をもって本連載はおわります。
この一年おつきあいしていただきありがとうございました。
またお会いできる日を願って……。
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