FINAL FANTASY Ⅷとは、どんなゲームなのか
FF8は、魔女を討伐するために建てられた傭兵育成施設(ガーデン)からスタートする。主人公のスコールは、このガーデンの生徒だ。彼は、紆余曲折ありながら、ほかの生徒などと協力し、魔女の討伐を目指すことになる。
FF8では、登場キャラクターのうちのほとんどがティーンエイジャーという設定で、それぞれが思春期特有の心の葛藤や、精神的な未熟さを抱えている。さまざまな障害を経験しながら、少しずつ内面的な成長を遂げる彼らの姿が同作品のシナリオの肝となっている。FF8を支持する人は、このシナリオか、後述する音楽に魅了されているはずだ(と、ぼくは勝手に思い込んでいる)。
ストーリー概要
太鼓より受け継がれる「魔女の力」が存在する世界。
軍事大国ガルバディアが、魔女イデアと手を組み平和を脅かそうとしていた。
傭兵育成学校バラムガーデンに所属する特殊部隊SeeDの一員であるスコールは、
ガーデン所属の仲間達やレジスタンスのメンバーであるリノアと共に、
ガーデンを敵視する魔女イデアとの戦いの渦へと巻き込まれてゆく――。
また、それまでのFFとは一線を画すシステムも特徴だ。ショップからの購入や育成によって使えていた魔法が、おもに敵から収集するアイテムのようなものになった。そして、FF8では、この魔法を各ステータスに装備(ジャンクション)してキャラを強化していくのだ。要領さえわかれば、序盤からHPがカンスト(カウンターストップの略で、上限のこと)したり、凄まじい攻撃力で敵を圧倒したりすることも可能になる。同タイトルでは、レベルによってではなく、魔法を装備することによってキャラを育成していく特徴を持っている。
オリジナル版より。魔女暗殺計画
実は、FF8はシリーズの中でも賛否両論巻き起こっている作品だ。RPGの根本となるキャラクターの強化システムが複雑だったこと。レベルアップを重ねることで敵も強くなってしまう仕様だったこと。シナリオがある種ラブストーリー的な展開で、既存のファンが支持してきたFFとはテイストが違ったこと。これらが主な要因だろう。1999年の発売当時まだ少年だったぼくも、難解なシステムには苦しめられたし、倒せないボスの存在や、行き先不明によって詰む経験もした。シナリオについては、ファンタジー好きにラブストーリーを売ってしまったところがあり、否定的な意見にも理解してしまうのが正直なところだ。
しかし、だからこそ、リマスター版が出たこのタイミングで、もう一度プレイしてほしいともおもう。きっとシステムの難しさも理解でき、昔詰まった敵も倒せるようになっているはずだ。そして、当時はラブストーリーと感じたシナリオも、あらためてプレイし直すとヒューマンドラマに見えてくる。ぼくたちが大人になった分、昔は気づかなかったキャラの心の機微がわかるのだ。
スコールはなぜ心を閉ざしているのか。
リノアはなぜスコールに惹かれたのか。
セルフィが途中から方言を話す理由は?
重大任務を前にしたアーヴァインの葛藤とは。
見えてくる背景は、挙げればキリがないほど。システム周りも含めたオリジナル版の作り込みが伝わってくる作品、それがリマスター版FF8だった。そう、FF8は、少年少女には少し難しすぎたのだ。(※キャラクターについてはコチラを参照)
フェイ・ウォンが歌うテーマソング「Eyes On Me」も当時話題となった
FF8では、従来の召喚獣(シリーズに登場する伝説上の存在で、人間を超越した力により、主人公たちの力となる)がG.F.(ガーディアンフォース)の名で登場する。特殊部隊として訓練を受けているスコールたちとは言え、G.F.が持つ特別な力がなければ、魔女はおろか、モンスターとも戦えない。物語が進むにつれて、G.F.の強大な力が持つ人間への副作用も明らかとなるが、「魔女を倒すためにこの力は手放せない」とスコールたちは決断する。この一連の流れは、利便性至上の考え方が黎明期だった1999年から、徐々にそれに支配されつつある現代社会へと送る、テーゼのようなものなのかもしれない。
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