「質問はありますか?」
その問いかけを受けて「熊といえば…」と口をひらきかけると、こちらを見つめるひろじいの眼差しが、語りをしているとき以上に、キラキラしていることに気付きました。
「おお、それでそれで?」
「は〜、おもしろい」
ひろじいの絶妙な相槌により、話すことがどんどん楽しくなり、質問をするはずだったのが、気づけばこちらが、語るほうになっていました。
これが…囲炉裏とひろじいの魔力?
語る。語り合う。
囲炉裏を囲んでのお話は、キャンプで焚き火を囲むときや、星空を眺めながら語り合うときのような、不思議な一体感がありました。
お話を聞きにいく、ちょっとしたお客さん気分でその場にいたのが、気づけばこちらが語るほうになっている。ひろじいが教えてくれた「民話」のはじまりを体感しているようでした。
ところで、なぜひろじいは民話の語り聞かせをはじめたのでしょうか?
大きな物語はないが、小さなロマンがあった。
――民話の語りきかせをはじめたきっかけは?
「いろいろと、運が良かったからなんだけども
まず、この本をつくったのが一番はじめだったの」
『おくたまの昔話』第三集まで刊行され、旅館でも購入することができる。
「本づくりのきっかけはね
いま代議士になったけど
伊藤達也さん※ って方がいて
当時はまだ若くて25-6だったかな」
※伊藤達也:1993年に衆議院議員初当選後、金融担当大臣、内閣総理大臣補佐官などを歴任。現在は 衆議院の予算委員会理事、自民党でオリンピック・パラリンピック東京大会実施本部長代理などを務める。
「このあたりの地域で、政策をつくるために聞き込みをしてたっていうので
役場にいったら、私を紹介されたと。
実際に会って、奥多摩についてのレポートをきかせてもらったの」
荒澤屋は、3代目のひろじいに受け継がれる以前から奥多摩を代表する旅館だった。
「奥多摩の景色はたしかにいい。
しかしこのぐらいの景色は他にいくらでもある。
これに付加価値をつけることはできないか、と書いてあったんです。
どんな付加価値が必要かときくと、ロマンです、というの」
――ロマン、ですか。
「そう。ロマンかぁーと。
ここは映画の舞台になったこともないし
歴史的に有名な大名がいて、誰それの出身地で、みたいなこともない。
ただその話を聞く2年ほど前に、いいことを聞いてたの」
対岸から眺めた荒澤屋
「うちの家内が、児童文学やってたんで、よく図書館に児童ものの本を借りに行ってて、自分で文章を書いたりもしてた。それを知った校長先生が、うちの家内に「このあたりにも民話がいっぱいありますよ」って教えてくれてたの。話をあつめて、本をつくってみたらいいんじゃないかと」
「私は純文学が好きで、小説書いてたりしてたんだけど、児童文学はそんなに興味がなかった。家内が、あんたもやるなら本づくりをやるよっていうんだけど、そのときは断っちゃったの」
「その2年後、ロマンの話で思い出したの。伊藤さんに、このあたりは民話があるんだけど、これもロマンかなぁ、ってきいたら立派なロマンだと」
「じゃあやるかって校長先生に相談したら、
絵は心配すんな、いい人がいるからってので
図工の先生を紹介してくれた。
校長先生が監修役になって
あとは家内の友達が協力してくれてインタビューと執筆を担当してくれた。
みんな文が達者なんだよ。
頭もいいしね」
「いいメンバーだったね。
議論はするけど喧嘩はしない。
みんなで手分けして
年寄りの話から聞いていこうっていうので
私は単独で、女の人はグループで分担して」
「話をきいて、速記やテープレコーダーで録音したものを
ある程度書き起こしたら
小学校3年生の娘さんがいるメンバーに
娘さんを貸してもらって、読んでもらっちゃあ
わかりにくいところを指摘してもらって
小学3年生でも読める、を基準に本をつくったの」
1987年に刊行された「おくたまの昔話」は、当時カラーの児童書が珍しかったこと、テレビアニメ「まんが日本昔ばなし」全盛時代ということもあり、大きく売上を伸ばした。昔話本のローカル版としてメディアでも多くとりあげられた。
活字だけでは伝えることができない、ぬくもり
「それでね、本が売れたのはよかったけんど
語りを本にするときに、わかりにくいからっていうので、
全体を標準語に直して、会話のところだけ方言を残すような構成にしてたの。
これがね、直接、お年寄りたちから話をきいてきた身としては、ぬくもりが損なわれてしまった実感があって、残念だった」
「だから、本だけじゃなくて、語りをやんなきゃいけないって 私はおもったの。民話の会に入って、語りの合宿に参加して修行して、旅館での語りきかせをはじめたの」
本に収録した民話をもとに、話の舞台になった場所をつないだ「奥多摩 むかしみち」。ハイキングコースとして、民話を読みながら巡ることができる。
落語はメジャーでね
民話はマイナーだね
――荒澤さんたちが集めた民話のほかにも、活字として残らずに消えていった民話もたくさんあるということですよね?
「ありますね。囲炉裏がある地域は、どこでも語り継がれてきた民話はあったと思います。
それから民話のなかにもね、昔話だけじゃなくて、現代の民話もあるわけ。ただ、題材になっている個人が特定されるような、生きているひとの話はしない」
旅館で、民話の語り聞かせを行い始めた頃の写真。雑誌『サライ』で特集が組まれた。
――そうなのですね!誰か人を傷つけたりすることがないように、との配慮でしょうか?
「そう。基本は笑い話だから、よくない気持ちにさせてしまうこともある。亡くなった方でも、誰それさんだと個人が特定されないように気をつけています。
いちど青梅のほうで大きな会場で「ずいどうの屁」って話をやったんだけどね。話し終えたときに、おばあちゃんが手をあげてね、私はそのひとを知ってるよっつうんだよ。
名前言わないでー!名前だしちゃだめー!って必死で止めました(笑)」
――あくまで、人を傷つけない。エンターテイメントとして楽しむものなのですね。
「そうそう。そのときはぞーっとしたね 。これはね、近いところでこの話は出来ないなと。ただね、現代の民話もおもしろいよ。民話の会にいくと 語り通しでね。
夜になると 怪談の部屋、お色気ばなしの部屋、って分かれていて、選んで入るわけ。自分がきくだけじゃなくて語らせられる。で、現代の民話をやると みんな大笑いするんだよ。そういった話は、離れた場所だからこそできる」
――民話の語りは、落語にも近いものがあるように思いました。
「似てますよね。すこし前だけど、いま「笑点」の司会者になった春風亭昇太さんっているよね。あの方の弟子が二人、勉強のためにっていうので話を聞きにきましたよ。とはいえ、落語はメジャーで、民話はマイナーです(笑)」
――落語は高座と客席が分かれているのに対して、民話は囲炉裏を囲んで「語り合う」形。このスタイルが大きな違いでしょうか?
「それは大いにありますね。あとは、私が楽なのはね、民話の語りきかせは原則お金をとらずに 道楽でやってるところなんです。
こういった囲炉裏だけじゃなくて、講演会みたいな形でやらせてもらうけどね、100人いても200人いても、気持ちは同じなの」
――囲炉裏でなくても、気持ちは変わらずなのですね。
「違いは、マイクがあって声が拡張されるというだけで。去年もね、井の頭小学校の生徒たちがきてくれて。大きな施設でやったんだけど、これがまぁ盛り上がった。
今日どこいってきただんべー、明日どこいくだんべーって 今日行った場所や明日行くところから入ってね、終わったあとは質問が止まらなかった。
時間オーバーして、もう最後よー、おれ眠いんだからーって言いながら、嬉しかったね。
民話をもとに、発表会で劇をつくってくれたりしたみたいで」
奥多摩での民話の語りきかせは、原則無料。青梅よりも遠方で行う際は、少し謝礼をもらうようにしているそう。
――今日は怪談やお色気の話はされなかったですが、レパートリーとしてはあるのでしょうか?
「あるんですけどね、かみさんが、そういうのは品がないからやるなっていうの」
――なるほど(笑)
「いちど老人ホームに呼ばれていったときもね、民話の語り聞かせてもみんなあんまり反応がないの。他に出し物がくるときもね、つまんなかったらみんな途中で部屋に帰ったりするんだって。
それで、お色気話でもやってみるかーってやると、うけたのなんの。介護のおばちゃんたちも大笑いしちゃって」
「ほんだらね、その噂をきいて、民話の会の仲間がやめてくれっつぅんだよ。奥多摩民話の会の品位をおとすと。外でやれば、仲間が怒るし、うちでやるとかみさんが怒るからね。このジャンルは落語を負かすんじゃないかってくらい面白いけど、できない(笑)」
女将さんにバレないようにこっそり頼めば、お色気話をしてもらえる可能性はありますか?ときくと、「あるよ。ほんとに、こっそりとね」と茶目っ気たっぷりに微笑んでくれたひろじい。
民話を語る名人は、インタビュアーの大先輩だった
ほかにもひろじいは
・荒澤屋がどのようにできたのか
・奥多摩が、神奈川県から東京都に変わった話
・武田家と澤乃井酒造のかかわり
などなど、奥多摩にまつわる楽しいお話をたくさんしてくれて、また、自分の話にも耳を傾けてくれて、20時からスタートしたお話は気づけば0時をまわっていました。
「さらにおもしろいのがね」
「民話をお年寄りたちから聞き出すことをやってきたから、インタビューが得意になったの。ここの囲炉裏へ話をききにきた人に、私が逆にインタビューをして、いろんな話を聞き出すことも多いよ」
そうして、郷土史家の先生たちも驚くような、著名な戦国武将にまつわる、誰も知らなかった裏話なども聞きだしてきたというひろじい。
「何か、質問はありますか?」といったときに、いっそう目を輝かせていたのは、ひろじい自身が名インタビュアーだったからなのでした。
人が集って、ただ語り合うこと。民話という物語を呼び水に、きいていると自分の物語を語りたくなって、語り合ううちに、新たな物語が生まれること。
この営みは、カフェで、車のなかで、会議室で、誰もが行っていることではありますが、奥多摩の地で、あらためてその魅力と奥深さに気づくことができました。
奥多摩でインタビュアーの大先輩に会えた感動を胸に、ふかふかのお布団で眠りにつきました。
おまけ:周辺スポットについて
荒川屋から徒歩圏内には、「奥氷川神社」や「奥多摩温泉 もえぎの湯」などがあります。
また、取材日の夜に「炉ばた あかべこ」にいらしていた「慈眼寺」(荒澤屋から徒歩5分)の住職さんが、毎月第二土曜日の朝に座禅体験をやっていることも教えてくれました。
奥多摩駅〜奥多摩湖の旧青梅街道を歩く、約10kmの遊歩道「奥多摩むかし道」
奥氷川神社
都指定天然記念物、氷川三本杉
荒澤屋には、室内にあるオリジナル資料などに周辺のスポット情報もたくさん掲載されており、またひろじいの民話自体が、周辺のガイドの役割を果たしているため、ひとまず荒澤屋に泊まることだけ決めて翌日はノープラン!ぐらいで訪れても楽しい一泊二日の旅行になるかと思います。
民話の宿 旅館 荒澤屋
住所:東京都西多摩郡奥多摩町氷川1446
電話:0428-83-2365
WEBサイト:https://arasawaya.co.jp
アクセス:(新宿から)JR中央線・青梅線で終点奥多摩駅へ。駅より徒歩5分。
supported by 岩浪建設
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