『世界泥棒』ぼくらの知らない世界の秘密についての物語
小説家の桜井晴也が未発表小説をWEBに公開した。
『愛について僕たちが知らないすべてのこと』と『人類の最後の夜』の二本だ。
桜井晴也は2013年に文藝賞を受賞した小説家である。受賞作『世界泥棒』は、単行本として刊行されている(河出書房新社)。とてもエモーショナルな小説だが、意外なことに、一部では「読みにくい」という感想も聞かれる。今回の記事では、その『世界泥棒』のテーマと文体に着目し、彼の小説の魅力や読みどころをご紹介したい。
(画像出典:amazon)
「世界の秘密」というテーマ
「西陽に照らされて教室のすべてが蜜色にすっかり染めかえられる一瞬」に、教室では決闘がはじまる。そういう奇抜な説明が、『世界泥棒』の冒頭に置かれている。決闘するのはいつも男の子たちで、二人が交互に拳銃を撃ち合う。どちらかが息絶えるまで、それは続けられる。お遊びではない。正真正銘の、命をかけた決闘だ。
わたしたち女の子には秘密なのかな、と女の子が男の子に尋ねる。彼女は、その男の子から決闘の話を聞かされたばかりなのだ。そういうわけじゃないけれど、と答える男の子に、こう告げる。でも、わたしはそんなことを聞いたことがないよ。それは秘密だっていうことだよね、と。
「わたし」のいないところで、知らないことが行なわれている。
この記事を読まれている方も、自分や自分を取りまく世界のことを考えてみてほしい。ぼくの眠っているときに、私のいないところで、北や南で、空の上で、土の下で、目に見えないものや目に見えるものが、今まで自分が想像もしてこなかった何事かを行なっている…。
『世界泥棒』では、その「何事か」が、「決闘」なのだ。冒頭の4-5頁で、筆者はそう考えた。これは、世界の秘密をめぐる物語かもしれない、と。
人間は、自分の知らない世界をどこまで想像することができるだろう。仮に、この世界に「決闘」のような、人びとの目からは隠されている世界の秘密があったとして、それをどのように想像することができるだろう。
『世界泥棒』のなかで披露されているのは、主に、人間にとっては残酷な想像だ。男の子たちが互いに殺し合うのだから。しかし、それと完全に同じ質量でもって、美しい想像も小説にきらめいている。時として、センチメンタルと言えそうなくらい無垢なものだが、人が次々と殺されてゆくこの小説にあっては、だからこそ尊く、一層美しく感じられる。
ピアノの音は反響しかさなりあいながら校舎のすみずみまで響きわたり、その旋律が聞こえると百瀬くんたちはそっと天井を見あげてどこかとめどないさみしさを思いおこした。さみしさはひとつの風景となって百瀬くんたちのこころのなかでかたまり、8ミリフィルムが再生されるときのようにかたかたとやさしい音をたててすこしずつ動いた。それは百瀬くんたちがどこかで見たことがある風景ですらなかったけれど、なつかしく、あたたかな光をあたえていた。(16頁)
決闘に向かう男の子たちは、「いつもよりずっとずっと美しかった」という。上の引用は、そのような男の子たちの1人が決闘の直前にピアノを弾く場面だ。
こうして、『世界泥棒』は美しさと残酷さが表裏一体となった想像の上を滑りながら、私たちの知らない世界へ、もう一つの可能性へ、想像の極北へ、世界の秘密へ、散文的な日常に隠された詩的な世界へ、接近してゆくだろう。
読ませる文体
『世界泥棒』には改行が少ない。そのため、一目見ただけでは、読みにくそうだと感じられるかもしれない。しかし、安心してほしい。小説は見るものではない。読むものだ。難解なことが書かれているわけではないし、難しい漢字が多いわけでもない。むしろ、ひらがなが多用され、難しい単語も少ない。描写は丁寧で、読む者の脳裏に小説中の光景をまざまざと映写してくれる。
カーテンの隙間から差しこんでくる朝の光を描いた次の引用は、その典型だ。
カーテンの隙間から薄い靄みたいな朝の光がはいってきてわたしの指先を射していた。わたしは本をおなかのうえにおいてその光のなかの指を見つめた。薄暗い部屋のなかでわたしのひとさし指にだけ真四角の明るさがともり、指を動かすとそれは中指へ、薬指へ、そして背後の壁に拡大されながらうつりかわっていった。光のすじのなかで部屋のほこりが夜の蛾の鱗粉のようにちらちらと舞い、それはわずかの時間だけ輝き薄暗さのなかに溶けていった。(104頁)
また、この小説の大きな特徴は、会話が地の文のなかに入りこみ、「わたし」と「あなた」の台詞が見かけ上の区別を失っていることだ。その結果、人間の感情や考えがひとかたまりになって、抗いようもなく押し寄せ、読む者の心を揺さぶってくる。
ねえ、自分がなにもかもと無関係だとして、その無関係性を前提にしても、それでも、あなたを愛しているよって、そういうことをどうやって伝えればいいんだろう。わからない、でも、それは残酷なことだよ。どうして。それは、俺はあんたを愛しているけれどあんたとは無関係だよって言うこととおなじだと思うから。(94-95頁)
『世界泥棒』は、大半がこうした台詞の応酬で構成されている。文章の勢いに身をまかせ、一息に読了することもできるだろう。
『世界泥棒』を読むための補助線としての小説
上述したように、『世界泥棒』は「世界の秘密」という切実なテーマを扱っているように見受けられる。また、筆者にとっては非常に読みやすく、エモーショナルでさえある。ところが、ネット上で感想を探してみると、むしろ「読みにくい」という感想が散見された。
その理由は、単純に、「このタイプの小説を読んだことがない」という経験不足にあるようだ。経験値が不足しているなら、稼げばいい。そこで、『世界泥棒』を読むための補助線として、「世界の秘密」について語った小説と、「ひとかたまりになった文体」で語られた小説を、それぞれご紹介したい。
宮澤賢治『月夜のでんしんばしら』
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「世界の秘密」について語った最も有名な小説は、宮澤賢治の短篇『月夜のでんしんばしら』だと、個人的には思っている。当たり前のようにじっと立っているはずの電信柱が、実は夜中に、人知れず行進しているかもしれない…。そういう夜の可能性を幻想的に描いた名作である。
もちろん、「電信柱の行進」が『世界泥棒』のなかの「決闘」に相当する。趣はかなり違うが、どちらも人びとの目から隠された、「世界の秘密」と言っていい。
アンジェイェフスキ『天国の門』
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20世紀ポーランドの作家アンジェイェフスキの小説を読んだことのある日本人は少ないだろう。『世界泥棒』の読者より少ないだろうから、ここに挙げるのは適切ではないかもしれない。しかし、「ひとかたまりになった文体」を紹介するのに、アンジェイェフスキの小説より相応しいものは他にない。
『天国の門』は200頁ほどの長さをもった小説なのだが、驚くべきことに(本当に驚いてください)、最初の頁から最後の頁まで、一文で書かれている。台詞の応酬も一つの文のなかで行なわれる。少年十字軍の性愛、無垢であることの罪といった、非常に興味深いテーマが、長大な一文によって、ひとかたまりになって雪崩れこんでくる。
他にも、『世界泥棒』の内容と強く呼応する小説や、これを読んでおけば理解がより深まるだろう、という作品はいくつかある(小松左京『宇宙人のしゅくだい』は特にそうだ)。だが、こうやって数を増やしてゆけば、それだけ『世界泥棒』が遠のいてしまう。だから、今回ピックアップするのは上の2作にとどめよう。
まずは、『世界泥棒』を読んでみてほしい。もしつまずいたら、この記事を思い出してください。
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