自身が自閉症でもあるラッパーGOMESS。
前回(<インタビュー・前編>GOMESSーー選択肢は常にひとつだけ)に続いて、フリースタイル、自閉症、差別、リスナーやメディア、自身を取り巻くこういったものごとに対して彼が抱えてきた想いやその変化を迫った。
インタビュー・文=槇野慎平・山田宗太朗
写真=和田東雲
ある意味、僕が死んだあとが、一番、完成するのかな、と思っています。
――「共感」ということについてお聞きしたいのですが、不思議だと思うのは、例えば『人間失格』というYoutubeの動画には感動のコメントがたくさんあって、そのなかには、「共感」に近い感想さえある。
でも、不思議なことなんですよね。自閉症の方が、自分の病気について歌うという、すごく個人的な歌なのに、どういうわけかリスナーには「共感」が生まれてくる。このことについて、GOMESSさんはどう思いますか?
いや、それはほんとに鋭い質問だと思うんですけど…。
『人間失格は』…、あの曲って、みんな”自己紹介曲”だと勘違いしているんですよ。あれは、『人間失格』だっていうタイトルがすべてで、「お前らだぞ」っていう。「(人間失格なのは)俺を認めなかった、お前らだぞ」っていう曲なんですよ、一応、自分のなかでは。
だからあの曲を歌うたびに、僕はすごく哀しくなるんですよ。「この曲を聴いてまた(誤解された形で)誰かが幸せになる」って。ものすごい、世界に絶望するんです。いつまでも理解されない、みたいな。
あの曲が認められれば認められるほど、僕は理解されない、世界との距離は離されていく。再生回数が増えれば増えるほど、僕は絶望していくし。…っていう面白い曲で。
――リスナーがGOMESSさんに共感すればするほど、GOMESSさんは彼らと共感できなくなっていく、ということですよね。
そうですね。まったく共感できないですね。
”共感”って面白い言葉で、(リスナーとGOMESSさんは本当は)共有できていないんですよね、なにも。
インプットって…、片道っていうのは、絶対に両思いにならないから。
だから”共感”という言葉は、常に感想でしか無い、っていうか。”共感”は、いつも狙っていないし、勝手に取ってくれ、みたいな想いがあるんですけど。…嬉しいですけどね、それで喜んでくれる分には。
――少し思うのは、”自閉症”とはっきりと診断されたGOMESSさんの曲に、そうではないリスナーたちが共感を持つのは、現代のひとびとにはどこか、多少なりとも”自閉的なところがあるから”ではないのかな、と考えたのですが。
いや、まったく関係ないと思っていて。すごい単純な話で。ハリーポッターで泣けるかどうか、なんですよ。「ハリーポッターになにを共感して泣くの」っていう。別に関係ないんですよ。僕はすごいわかりやすくストーリーを提示してしまっているし、だから、ファンタジーなんですよ。
――ファンタジー性に、リスナーが感動しているに過ぎない?
それ(GOMESSさんの提示しているストーリー)をみんなリアルだと思い込んでいるけど、ノンフィクションという名の、完全にフィクションなんですよ。一部だけ切り取っているから。で、僕が喋っていることは全部ノンフィクションだけど、彼らの元に入った瞬間にあれはフィクションになるんですよ。だからそこは、別に不思議じゃないかな、っていうか。だから、(曲を聴いて共感しているリスナーは)まったく僕のことはわかっていないし。
ある意味、僕が死んだあとが、一番、完成するのかな、と思っています。僕がもう死んだら、それ以降は、もうノンフィクションが存在しないから。すべてフィクションしか生まれないから。
――なるほど…。GOMESSさんを調べていく過程で、「GOMESSさんは世の中に受け入れられた」という実感をある時期から感じ出していると考えたのですが、今の話を聞いていると、むしろ逆なのでしょうか。
いや、でも、受け入れられたっていう実感はありますよ。今こうやって周りにひとがいますし、仲間がいて。今、バンドを組んでいるんですけど。レーベルには、教えてくれる師匠みたいなひとがいて。全然、思いますけど。でも、もともと別に、そんなに…、なんていうんですかね。平和で暮らせれば別に良かったっていうか。後ろ指刺されて、理不尽な想いをしたくなかっただけっていうのはあるので。正当に評価されればそれで良かったんですよ。
――こうして誤解してしまうリスナーに対しての、正直な想いはなんでしょう。憎しみもあるのでしょうか。
いや、別に…。本当に、フィクションの僕を愛して欲しいですね。それは僕ではないんで。でも、僕の一部ですよ、確実に。僕のかけらだと思うんですけど。ただ、僕自身のすべてではないから。
…だから『人間失格』のあとに、最近僕が書いたような、ちょっとハッピーな曲を(リスナーが)聴いたとして、がっかりされたとしても、責任は負えない。それでがっかりされて、例えば、ヘイトスピーチみたいなひどいことを、ネットにばーばー書かれても、それはしょうがない。
でも好きなひとは好きだし。ひとはひと、うちはうち。”自分”と”それ以外”、というのははっきりしているので。やっぱり、喜んでくれたらなお良いな、っていうのは思います。
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