シンガーソングライターの川口レイジが、ファーストEP『Departure』でメジャー・デビューを果たす。本作には世界的ソングライターのマーティ・ジェームス、プロデューサーのherOism(ヒロイズム)やstarRo(スターロー)など、錚々たる顔ぶれが参加しており、川口レイジを含めたコライト(共作)ですべての曲が制作されている。日米のトップ・クリエイターたちが、アメリカでは主流となっているコライトの手法を導入した注目度の高い作品といえるだろう。ラテン・テイストの夏ソング「Summers Still Burning」をはじめ、ヒップホップ、ロックなどの音楽性が入り混じるトラックと、川口レイジの混じりっけのないのびやかなハイトーン・ヴォイスが冴えた初作にして傑作だ。音楽との出会いから現在に至るまでの話を聞いた。
Interview&Text_Mamoru Koyama
Edit_Fumika Ogura
行き場を失った時に父のギターがあった
――17歳の時にお父さんの遺品のクラシック・ギターを見つけたことが音楽をはじめたきっかけだったそうですね。
川口 : 振り返ってみるとそうですね。実際にはいろんなことが重なったんですけど、高校1年の時に怪我をして、それまでやっていた野球を続けられなくなったということもありました。自分の行き場を失って、なにをするかという時にギターがあったということは、自分の気持ちが音楽に向くきっかけになったと思っています。
――それからの楽曲制作はどのように?
川口 : 独学で調べたりしながら練習していって、だんだんコードを覚えていったりしました。同時期に音楽をやっている友達もいて、その子はもうオリジナル曲もあったりして。“曲って自分で作れるんだ”っていうのがわかったんです。“作ってみなよ”って言われて、やってみたりして。創作はそこが芽生えでしたね。
――初めて自分で曲を作ったのはいつ頃なんですか?
川口 : 17〜18歳くらいです。初めて作った曲に関しては、父親が亡くなったことに関連性のある曲なので、これから機会があれば披露していきたいと思っています。知識がほぼない時に出てきた曲なので、自分の特徴だったり、エキスみたいなものがすごく出ているかなと思います。
――影響を受けたアーティストとして、玉置浩二さんを挙げられていますよね。
川口 : 好きになったのは高校生の時なんですけど、父親を亡くしているし、自分にぽっかり穴が空いたような状態だったので、そういう時に玉置さんの曲がすごく支えになったんです。玉置さんはその時から今に至るまで、とっても好きですね。
――玉置さんの音楽は自分の音楽に影響があると思いますか?
川口 : それは多分あると思います。活動当初は、それこそ玉置さんの曲のコードを使ったりすることが多かったです。でも僕がなりたいのは玉置さんではないし、そこは自分を見つけてやっていくしかないなって思います。僕が玉置さんの曲を聴いて支えられたように、僕も誰かにとってのそういう存在にはなりたいなと思っています。
――自分で曲を作るようになってからは、どんな活動をしていったんですか?
川口 : 大学受験したんですけど、第一志望に受からなかったんです。心機一転の意味も込めて岡山に一度移住しました。そこで勉強しながらストリート・ライヴとかインターネット配信とかを始めました。それがちょっと広がって、ソニーさんの育成グループの方に声を掛けていただいて、21歳の時に上京したんです。
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