歌い手にとっての理想って?高田渡の音楽
突然ですが、17世紀のきらびやかなヨーロッパを舞台にした映画『アマデウス』の冒頭にこんなシーンがあります。
これ知ってるかい?と、神父に向かっていくつかの曲をピアノで弾いて見せる、ある老人。
老人はヨーロッパ音楽界の頂点に登りつめた作曲家で、それらはかつて大喝采を浴びた彼の曲でした。しかし神父はそのどの曲も知りません。
老人は沈鬱な表情で少し考えると、ある軽快な曲を弾き始めます。
すると神父は目を輝かせ「それなら知ってます、とてもチャーミングな曲!あなたが作者でしたか」
しかし老人の顔は晴れません。なぜならその曲は30年も前にこの世を去った、老人の宿敵ともいえるライバルの作った曲だったから…
本当の音楽家にとっての本当の理想って、ヒットや名声よりたぶんこっちだよな、と思わせられるワンシーンです。
ところ変わった20世紀の吉祥寺の焼鳥屋に、このワンシーンを彷彿とさせる理想を語った音楽家がいました。
フォークシンガー・高田渡(たかだわたる)です。
歌い手にとって、まさにそれは理想である。何十年かあとに僕の曲がどこかで流れていて、曲名も僕の名前も誰も知らないのだけれど、その曲だけはみんなが知っているとしたら……
(『バーボン・ストリート・ブルース』より)
ツアー中の急逝から12年、高田渡の東京ラストライブを収めたドキュメンタリー映画が制作されました。
4月末の公開に先がけ、高田渡の魅力を少しだけご紹介します。
高田渡ってどんな人?
フォークシンガー、吟遊詩人。
呼ばれたとこへはどこへでも、よほどイヤなところでないかぎり、ギターを背負って歌いに行く。
肩の力を抜いたメロディー、テンポのいい小話のような歌詞。
合間合間に茶目っ気のある毒舌トークをボソボソ挟む。
「なんだ、このヘンなおじさんは」というのが、初見の若いお客さんが高田渡からきまって受ける印象だったそう。
レコードデビューのきっかけもハタチそこそこの時に参加した『第3回関西フォークキャンプ』で「ヘンな歌を歌ったやつがいる」と話題になったこと。
高田が歌ったのは逆説を用いて自衛隊を痛烈に皮肉った『自衛隊に入ろう』でした。
表面的には礼賛しながら、その実自衛隊の人材募集の謳い文句をユーモラスに批判。
当時の日本のフォークソングにおいて逆説的な語り方という手法はまだなく、新しい試みとして大きな注目を集めました。
高田の息子・高田漣はインタビューで、父は10代でシンガーとしての方向性を決めていたと語っています。
17歳の時点で(中略)決意してるんです。日本人として、日本語の表現を突き進むんだって。ぶれてないんです。
(CINRA.NETより)
といっても自分で詩を書くことにこだわっていたわけではなく、70年代以降は自分がいいと思った現代詩に曲をつけることが増えていきます。
高田は歌を歌う理由を“自分にとっての最良の表現手段だから”と語っており、好きな詩人の現代詩に比べたら自分の詩なんて及びもつかない、ならその現代詩に曲をつけたほうがよっぽどいい表現ができると考えていたようです。
時に“小市民的”と言われながらも、高田が歌うことは10代の頃からずっと普通の人々の生活でした。
高田の少年・青年時代はちょうど学生運動の盛んな時代で、フォークソングも主義主張を声高に叫ぶ曲が流行でしたが、普通の人々の日常を静かに歌う、その中に表現を込めるというのが高田の一貫したスタイルだったのです。
なにも言わずに日々一生懸命生きている人たちにこそ、積もりに積もった声なき叫びがある。
(『バーボン・ストリート・ブルース』より)
世間で何が流行ろうが曲がヒットしようがしまいが、「そんなこと、知りません」。
そして聞きたいという人のところへ行って、好きなように歌う。
それが高田の音楽でした。
SHARE
Written by