“キンモクセイ”と聞くと、多くの人々が、かつて「二人のアカボシ」を大ヒットさせた“懐かしいバンド”だと思うだろう。実際に彼らも、自らが生んだヒット曲が引き金になり、2008年に活動を休止した。しかし、キンモクセイはそのまま静かに終わらなかった。2018年10月、地元・相模原でのライブを機に、再びメンバー全員が集まり本格的に再始動。そして、ここに届いたニュー・アルバム『ジャパニーズポップス』は、バンドが生まれ変わったことを高らかに宣誓するようなニュータイプの曲から、昭和から現代に語り継がれるポップスや、かつてのトレンドをピンポイントで体現するバブリーなサウンドなど、時代を彩った文化へのリスペクトとコラージュセンスといった“キンモクセイらしさ”までを大展開。今回は、そんな同作の魅力や活動を再開した経緯、休止中の2010年代にドメスティックな音楽シーンを惑わせた謎のワード“シティポップ”との関係性などについて、語ってもらった。
Photography_keiichi Ito
Text_Taishi Iwami
現代に提唱する“ジャパニーズポップス”
――まず、2008年に活動を休止した理由から聞かせていただけますか?
伊藤 : 僕らがメジャー・デビューしたのが2001年の秋で、2002年の1月にリリースした2枚目のシングル「二人のアカボシ」がヒットしたので、メジャーでの活動が始まったのとほぼ同時に、大きな数字を意識して曲を作らなければならなくなったことに、僕がついていけなくなったんです。それがもっとも大きな理由ですね。
――キンモクセイは70年代や80年代の歌謡曲やシティポップスのムードを00年代に落とし込む、はっきりとしたスタイルを継続して打ち出していましたが、そこには迷いがあったんですか?
伊藤 : なんとか続けつつもセールスが落ちていくなかで、僕らバンドとスタッフの意思疎通もちゃんと取れていなかったように思います。なぜ曲が売れないのか。今思えば互いの歯車が合わぬまま、見当違いな部分に予算や労力を使っていたように思います。そこは今思う反省点ですね。そして、いよいよ精神的に音楽と向き合えなくなって、活動休止に。
伊藤俊吾
――そこから2019年に活動を再開することになったのは、なぜですか?
伊藤 : 休止後はしばらく僕は隠居状態で、裏方として音を作る仕事などをしながら食いつないでたんですけど、2011年に父が他界したときに、人生や音楽観をあらためて見つめ直したんです。そこで後悔のない生き方をしたいと思って、まずはソロとして活動を再開しました。その一方で、キンモクセイについては、どこかでまたやりたい想いはありつつ、存在が大きすぎて直視できなかったんです。でも近年は、いい意味で過去のものにできて軽く考えられるようになって。
――それでみなさんに声をかけた。
伊藤 : そこは佐々木の存在が大きいですね。彼だけはずっとキンモクセイをやりたがってました。でも、4人までは集まっても5人揃うことはなくて。それぞれがキンモクセイに対する強い思い入れを持っているがゆえに、踏み出せない何かがあったんだと思います。でも、2018年の10月に、相模原のイベントに呼んでいただいたときに、僕らの地元だし、どうしてもキンモクセイとして出たくて飲み会を開くことにしたら、久々に5人が集まりました。
――みなさんが、キンモクセイという存在との葛藤を続けるなか、佐々木さんだけはずっと再開を望んでいたのはなぜですか?
佐々木 : 僕が思っていた以上にキンモクセイの認知度が大きかったんです。実際それでいただいた仕事もたくさんありましたし、「紅白歌合戦に出たことある人だよ」って紹介してもらったことでアドバンテージを得たこともありました。そこは素直に嬉しかったですし、メンバーも、全員が揃うことはないんですけど、それぞれが関係性は保っていたので、5人で残してきた曲たちをもうやれないのは、もったいないと思ってました。
白井 : うん、佐々木がいちばんの功労者だよね。僕は彼と違って、みなさんが好意的に「キンモクセイの人だよ」って言ってくださることも複雑だったし、曲も聴けなかったし、はっきり言って休止中はずっと辛かったです。もう忘れたいのに、足には”キンモクセイ”という鎖ががっちり繋がってる。大失恋のような気分ですよ。
白井雄介
――そこからなぜ、またキンモクセイを向き会おうと思ったんですか?
白井 : 正直なことを言うと、やっと失恋の痛みを乗り越えて吹っ切れたときに、また始まってしまったんですよね。断り切れずにずるずると。そんなこんなで気がつけばアルバムができてたような感覚です。でも、僕らは音楽性が合わなくて休止したわけじゃないんで、集まるとめちゃくちゃ楽しいんですよ。この5人でしか出せないグルーヴや発想は確実にあって、みんな、キンモクセイがやれないことは何かしらのストレスだったと思うんです。だから今はもう、休止するだの解散するだの、めんどくさいんで、いいペースで続けていきたいですね。
佐々木 : 休止前の活動を密にしていたときは、みんなどこかぎくしゃくしてて、あまりいい思い出として残ってない。だから、お互い探り探りみたいな雰囲気はありつつ、白井が言うように、やっぱり楽しいんですよ。今は、いろんなことを踏まえたうえで、それぞれに人間的な成長もあって、押すところと引くところがうまくなって、ストレスなくやれてます。
張替 : 老けたんだよみんな。だから妙な力が入らないし、若さゆえの、頑張りが空回りすることもない。
伊藤 : なるほど。感情の起伏はハリ(張替)がいちばん激しかったよね。
張替 : 自動改札機の反応が遅いだけで腹立ってたもん。今はすべてのことに対して寛容になった。
佐々木 : ライブでもドラムセットを倒したり。そこはパフォーマンスでもあったわけだけど。
張替 : Keith Moon(The Who)に憧れてね。こんなに良質なポップスをやってるのに(笑)。今は怒ることがしんどいから。
張替智広
――アルバムのレコ―ディングはどんな雰囲気だったんですか?
伊藤 : 僕が茨城に一軒家を借りて移住したんです。東京じゃ考えられないような好条件でいい物件があったんですよ。そこをスタジオにして、入り口から出口までぜんぶ自分たちで作ったんですけど、それが楽しくて仕方なかったし、音の満足度も高くて、録り終わってからも毎日のように聴いてます。
――『ジャパニーズポップス』というアルバムタイトルと、みなさんの活動休止中の10年代に出てきた”シティポップ”というワードに関連性はありますか?70年代や80年代のシティポップスや、AOR的な解釈を今に当てはめた、”都会的で洗練されたクロスオーバー・ミュージック”を意味する”シティポップ”には、まさにキンモクセイが00年代に提唱したスタイルと重なる、オリジナルの質感を今に落とし込んだサウンドもあれば、当時とは直接的な結びつきは薄い現代的なポップスも存在します。
伊藤 : 5人が再び集まって活動できることへの喜びでいっぱいで、制作前は、タイトルも何もとにかく曲を作ってレコ―ディングしたかったので、対世間的な意識はまったくなかったんです。でも作っていくうちに、方向性が見えてきて、最終的に『ジャパニーズポップス』に落ち着きました。
――その経緯を詳しくおうかがいできますか?
伊藤 : まず再始動して最初に作った曲、である「セレモニー」が起点になります。キンモクセイは今まで、過去のいろんな音楽をリスペクトして、それらの雰囲気を捉えることにチャレンジしてきたんですけど、この曲は今までのようにリファレンスありきではなく、あくまで”キンモクセイ”であることを意識して作りました。
――確かに、今までも伊藤さんの声は大きな魅力でしたが、そこには、ある種のノスタルジーを体現することが前提にありました。それに対して今回は、圧倒的な個としての歌の力に満ちています。
伊藤 : そこはかなり意識しました。最近は若い人たちとコラボすることも増えたなかで思ったのは、音と音、言葉と言葉の間が短くて忙しい曲が多いじゃないですか。そういう曲も好きだし刺激も受けるんですけど、同時に、ロングトーンの響きで持っていく僕のスタイルは、キンモクセイの強みだと実感もできたんです。
――そこから、『ジャパニーズポップス』の世界が広がっていった。
伊藤 : 「セレモニー」という強い曲ができたから、アルバムでも僕ららしさをしっかり出しいくべく、一人2曲ずつ作ることにしたんです。そして出てきたみんなの曲を並べてみたら、黒柳徹子さんが司会をされていた昭和を代表するテレビの歌番組「ザ・ベストテン」感がすごくて。当時、子供ながらに夜8時を楽しみに待っていた気持ちが蘇るような。だから、タイトルもそのまま「ザ・ベストテン」とはできないからどうしよってなってたところに、白井と深夜にファミレスで話し合って”ジャパニーズポップス”という言葉が出てきました。
――確かに「ザ・ベストテン」や当時の歌番組を思わせる内容です。
伊藤 : ”シティポップ”って、お洒落な要素が求められると思うんですけど、僕らは、洋楽を日本人なりに咀嚼してまだ消化しきれてないからこその化学反応とか、そういう音楽をあえてやりたいんです。例えばはっぴいえんどやユーミン(松任谷由実)って、時代性もありつつそういう概念を超えた普遍的なカッコよさがあると思うんです。それに対して、ダサいと言ったら語弊がありますけど、その時代その瞬間だからこそ輝けた音楽もあるじゃないですか。チェッカーズとか80年代や90年代当時の工藤静香さんとか。僕らはそういうサウンドや歌も大好きだし、自分たちの音楽にも採り入れたいんです。
佐々木 : 流行りものが廃れたときに、人はダサいと言ったり、1周してリヴァイヴァルしたりすると思うんですけど、僕らはそういうサイクルとは関係なく、「ザ・ベストテン」で流れていたような音楽がずっと好きなんです。
白井 : 今のポップスもロックも、やってる本人たちが自覚的であってもそうでなくても、歌謡曲が脈々と受け継がれてるように思うんです。僕らは、そんなみんなが楽しめる”歌謡”の部分をどんどん推し進めていきたい。とは言え、そういうポップなものにちょっと抗っちゃうような、ひねくれた部分もあって、でもそこは無理に出そうとしているわけではなく、5人で一緒にやると出ちゃうんですよね。みんなで人の彫刻を作ってたのに、知らないうちに猿になってた、みたいな。
――本日、後藤さんはこの場にいらっしゃいませんが、5人のソングライターがいるバンドであることの強みが前面に出ている作品だとも思いました。まず「セレモニー」で新生キンモクセイの旗を打ち立てての2曲目、白井さんが作曲した「TOKYO MAGIC JAPANESE MUSIC」は、老若男女共通して感じられる色気やグルーヴのあるパーティソングだと思いました。
白井 : 80年代にワールドミュージックが流行ったじゃないですか。おじさんの家になぜかMartin Dennyのレコードがあって、子供心に妙に想像力を掻き立てられて「これ何?」みたいな。エキゾチカは長年やりたくて、具体的にはマリンバを使いたいとか、木琴の音とか、ポリリズムとか、いろいろあるんですけど、行きつく先には意味なんてないんです。そこは照れ隠しも少々ありつつ、ただ楽しい数分間の夢のような、快感の世界を5人で作りたかったんで、”老若男女”や”パーティ”という評価は嬉しいですね。
――「渚のラプソディ」と「ダージリン」は張替さんがHALIFANIE名義で作曲されました。
張替 : どちらの曲も、自分の好きなものを詰め込みました。キンモクセイを休止してから、曲提供の仕事をすることもでてきて、「ポップスって何だろう」ってずっと考えてるなかで、そこで辿りつくのはいつも、いわゆる”3分間ポップス”という言葉。それを、適したシンガーに歌ってもらうのではなく、キンモクセイという一つのバンドでやれることは強みだと思います。
――それはどういうことですか?
張替 : 今作だと「渚のラプソディ」は男性目線で、「ダージリン」は女性目線。その両方を歌える伊藤くんの声の魅力と、それを理解しているバンドとしての演奏力ですね。
伊藤 : ハリはものすごい数のレコードを持っていて、音楽をめちゃくちゃ知ってるので、そういうことをコントロールして作れるんですよね。身内ながらすごい。
――そして「ベター・レター」や「エイト・エイティ」、タイトルからも感じますが、佐々木さんのユーモアも作品の肝になっています。
佐々木 : ハリや伊藤が作ってきたデモは、ぼぼそのまま曲になるんですけど、僕のはバンドでやってもらってなんとかアルバムに入ってるんで、ありがたいです。
伊藤 : 佐々木は血液にユニコーンが流れてるんです。
佐々木 : キンモクセイを始める前から好きだった、BOØWYやユニコーンやYMOからの影響は色濃く出ますね。
白井 : あと80年代感のすごいやつ。肩パットしたニューウェーブのバンドとか、好きなイメージ。そういうユーモアも出てるよね。
佐々木良
――「ない!」は、後藤さんの作曲ですが、これはすばりチェッカーズ?
伊藤 : そうですね。サックスもわざわざ買いましたし。締め切りが迫ってるなか、イントロだけで丸1日かかりました。白井が作曲した「あなた、フツウね」も、工藤静香さんがこういう曲を歌ったら、みたいなイメージがありましたし、当時のテープシミュレーターをダビングしてマスタリングしたときの劣化具合とかまで意識しました。
――そして「グッバイ・マイ・ライフ」の王道たる強さ。
伊藤 : 責任を取らないといけないって。
白井 : 「このアルバム遊びすぎだろ」ってなったんですよね。それは僕らの音楽的好奇心からくるいいことではあるんですけど、ちょっと力で抑えるような安定感のあるポップスを入れたくて。
佐々木 : 今までだったら2、3曲、シングルっぽい曲があったんですけど、今回そこは考えずに楽しみすぎちゃたから(笑)
――いろいろお話を伺いましたけど、80年代や90年代を知らない若者にどう響くのかも楽しみです。
伊藤 : こうして、また作品を出せたことがまず嬉しいですし、再始動を喜んでくださる方や待っていてくださった方もいて、ほんとうにありがたいです。。そしておっしゃるように、これまで僕らのことを知らなかった層や、昭和を知らない世代にも届いてほしいですね。
リリース情報
キンモクセイ 5th album
「ジャパニーズポップス」
¥3,000+税
BVCL-1052
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