J.D.サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』
あらすじ
16歳の高校生、ホールデンは成績が振るわず、名門高校のペンシー校から退学処分を言い渡されます。
お世話になった先生のもとに行ったり、寮の仲間との時間を楽しもうとしたりしますが、周囲の人間の理不尽さに辟易し、早々と寮を飛び出してしまいました。
そしてホールデンは両親にあわせる顔がなく、
自宅があるニューヨークには戻りますが、家には帰らずにホテルを転々とする放浪生活を始めます。日曜の夜になるまで友人やガールフレンドたちに会ったり、女の子たちとダンスを踊ったり、ホテルで売春婦を斡旋する男に金を巻き上げられたりと、刺激的な体験で人生を彩っていきました。彼にはフィービーという大好きな妹がおり、ふと会いたくなって日曜の夜にこっそりと帰宅します。
ポイント
純文学の定義は日本にしか存在しませんが、敢えて言うなら海外における純文学の名作。
1940年終盤から1960年半ばにかけてアメリカで巻き起こっていた文学ブーム、ビートニクを代表する作品です。
純粋な子どもが汚れた大人に反発する描写は、若者であれば共感、それ以上であれば青臭さを感じられるのではないでしょうか。乱暴な言い方をすれば”中二病”とも言い換えられるかもしれません。そのため賛否両論ありますが、突き抜けているからこそ、刺さる人にはとことん刺さる作品です。
綿矢りさ『蹴りたい背中』
あらすじ
高校1年生のハツは、学校で孤独な日々を送っていました。その一方で中学の時からの友人、絹代は、友達を作ってグループに属することに必死です。
理科の時間で、5人1組のグループを作ることになり、同じように孤立していた男、にな川と親しくなります。にな川はハツが中学生の頃に1度だけ会ったことがあるファッションモデル、オリちゃんのファンだったからです。
ハツがオリちゃんと出会った場所、無印良品に2人で訪れた帰り道ににな川の家に寄ると、にな川はハツがいるにも関わらず、片耳だけイヤホンをつけてオリちゃんのラジオを聴き始めます。ハツがその理由を尋ねると「この方が耳元でささやかれてる感じがするから」と回答。ハツはその時「この無防備な背中を蹴りたい」と思いました。
ポイント
『蹴りたい背中』は第130回(2003年下半期)の芥川賞受賞作品です。
当時、作者である綿矢りさは19歳で、史上最年少の記録として大きな話題となりました。
”推し”を盲目的に崇拝するにな川は第三者的視点で見ると”イタい奴”ですが、それだけ没頭できる存在がいることはある意味では救いなのかもしれませんね。
そんな彼に、暴力性を持った愛情のような感情を抱いてしまった怒りや苦しみ、そして寂しさが痛切に伝わってきます。
遠野遥『破局』
あらすじ
主人公の陽介は、公務員を志望し、勉強に追われている大学4年生。高校時代に所属していたラグビー部のコーチも担当しています。政治家を志しているほど野心的な麻衣子という彼女がいますが、なんだか上手くいきません。
ある日、友人に誘われたお笑いライブで大学1年生の灯と出会います。
麻衣子とはすれ違う一方で、彼女に比べるとずいぶん素朴なタイプである灯と距離を縮めていきます。2人で食事に行った帰り道、「お祝いにケーキを作った」と灯は陽介を自宅に誘い込みます。
ポイント
2020年に行われた、163回目の芥川賞を受賞した作品。著者の遠野遥はBUCK-TICKのボーカリストである櫻井敦司の息子だということも芥川賞受賞後に明らかとなり、世間を賑わせました。
この作品は陽介の一人語りによって物語が展開されていくのが特徴的です。どこか事務的にこなしていく性行為、ロボットのように淡々と追い込んでいく勉強と筋力トレーニングからは、生産主義社会へのアイロニーかと勘繰ってしまうほど、どこか狂気じみたものを感じさせられます。
本書において著者が最も書きたかったシーンは、陽介と灯が北海道旅行をするところで、「雨が降ってきてもあえて1本の傘に入ろうとするとか、部屋に引きこもってDVDを見始めても結局見ないとか。恋愛中のカップルがするような要素がいろいろ書けた」とコメントしています。
フリー素材ぱくたそ(www.pakutaso.com)
純文学は感情や展開が明確に書かれておらず、曖昧なものも多いです。そのため筆者が感じたものはあくまでも一つの解釈であり、読み手によって様々な解釈が生まれます。曖昧にするからこそ糊代が広がっていくことも、純文学の魅力とも言っていいのではないでしょうか。純文学に分類されるものには今回紹介しきれなかった名作も無数にありますので、気になる作品があればぜひ自分の目で確かめてみてください。
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