圧倒的な歌唱力と表現力で、曲のグルーヴやメロディの魅力、弱さも強い決意もさらけ出した等身大の言葉が持つ力を最大限に引き出し、聴き手を鼓舞する。まさにシンガー中のシンガーと言える遥海がこれまでにリリースしてきた曲は、パワフルなR&Bにもしっとりとしたバラードにも、己の力で掴み取った、ないしは掴み取るべき希望の光があった。しかし、彼女が2020年の最後にリリースする曲「WEAK」は今までとは装いが全く異なっている。前述した“弱さ”にフォーカスし、さらにその奥深くをとことん掘り下げ吐露。そんな自分を肯定してくれる“あなた”を大切に思うような、もしくはその”あなた“も自分自身かもしれない、とことん内省的な歌詞に驚くとともに、優しさと切なさが同居する声に引きこまれた。遥海はなぜ、ここにきて新たな歌の扉を開いたのか。その真意に迫るべくインタビュー。これまでの歌手人生の振り返りから、ミュージカル初挑戦となった『RENT』の舞台が、自身が新型コロナウイルスに感染し11月16日の公演以降中止になってしまったことに対する想いまで、赤裸々に語ってくれた貴重な時間となった。
――2020年は遥海さんにとって、かなり厳しい1年だったように思います。大きな流れで言うと、まず2月10日に、渋谷WWWでワンマンライヴ『HARUMI LIVE “2020”PRIDE』を開催。そこでメジャーデビューすることを発表し、当該曲「Pride」を披露しました。しかし直後に新型コロナウイルスのパンデミックがあり、「Pride」は緊急事態宣言中にリリースすることに。
こればかりはどうしようもない、私に限ったことではないんですけど、ほんとうにコロナが憎い。それに尽きます。
――その翌月シングル「Believe In Myself」をリリース、秋からはミュージカル『RENT』にミミ役で参加することを発表され、11月2日から公演がスタートするも、ご自身含む複数名が新型コロナウイルスに感染されたことで、11月16日以降の公演が中止になりました。そして今回のシングル「WEAK」のリリースに至ります。訊きたいことはほんとうにたくさんあるのですが、まずは1年を振り返ってのお気持ちを、お話しいただけますか?
緊急事態宣言が出る前、3月に入った頃から感染を広げないように外に出ることを控えていて、緊急事態宣言が終わってからも、基本的に必要最低限、いろんなことに気を付けながら外に出る生活をしていたんですけど、それでも自分が感染してしまったことも含め、もうはっきり言えば最悪の1年でした。もっと友達に会っておけばよかったとか、後回しにしてやらずにいたこと、例えば山登りとかしとけばよかったとか、そういう個人的なことから、せっかくメジャーからシングルを出すことができたのにライヴもできないしみなさんにお会いできる機会もないことも、『RENT』が志半ばで中止になったことも、辛くて仕方がないです。
――私も遥海さんとは立場が違えど、同じ音楽/エンターテインメントの世界にいて、まだ気持ちの整理がついていないこともありますし、他の仲間にもどういう言葉をかけていいのかわからない部分もあるのですが、コロナによって見えたプラスの要素も少なからずありません?
家にいることが格段に増えて、一人でじっくり考える時間ができたことは必ずしも悪いことばかりではなかったように思います。私の場合は、人間関係ですね。あらためて、今やりたい音楽をやれていることが再確認できましたし、こんな時期でもなんとかしようって、私に関わってくれているチームのみんなの”本気”を感じることができました。コロナはほんとうに最悪だけど、今までひたすら走り続けてきたぶん、少し立ち止まった時に、私の居場所は間違ってなかったんだって、はっきりと確信を得られることができたことは、大きな支えになっています。
――"やりたい音楽をやれていることが再確認できた”、“私の居場所は間違ってなかったんだって、はっきりと確信を得られた”ということは、コロナ以前からシンガー・遥海として向かうべき方向は見えていたということになりますが、それは2019年にアーティスト名を草ケ谷遥海から遥海に改名したタイミングですか?
そうですね。2019年は大きな転機だったと思います。そもそも、私は今24歳なんですけど、13歳の頃にフィリピンから日本に来た頃、歌手になることについては諦めの気持のほうが大きかったんです。
――当時はオーディション番組「The X Factor (UK)」の日本版「X FACTOR OKINAWA JAPAN」に出演され注目を集めていた時期。そんななかでも紆余曲折はあったと思いますが、歌手になることそのものについて、まだ意志が固まっていなかったとは意外です。
たくさんの人たちが夢見る世界だから私には無理だと思っていました。高校に入ってからも、歌以外の仕事に就いている未来図のほうが強かったです。それに対して父は私に歌を続けてほしいと思ってくれていました。それでも私は性格的に、大学に通いながらチャンスがあればみたいなスタンスで、いくつかの選択肢を作りながらうまくやっていけるタイプではなくて、白か黒な性格だからなかなか決断できなかったんです。でも、高校の先生も、最初は大学に進学して就職するみたいな道を勧めてくれていたのに、いつしか「ハルちゃんなら歌でいける気がする」って言ってくれるようになって、そういった周囲の人たちの後押しもあって、歌でやっていこうと決めました。
――そう決断したのが、逆算すると6年ほど前になると思うのですが、そこから現在に直接繋がる意志が固まった2019年までには、どんなことがあったのでしょうか?
当時の自分なりに精一杯やってもぜんぜん足りなくてチャンスを掴めなかったこともありましたし、2019年に入る前にはいよいよ本気で「ヤバいな、もう辞めたい」と思っていました。
――辞めたいとまで思われたんですね。
音楽は変わらずずっと大好きだったんですけど、自分が歌うことを楽しめなくなっていました。何をしてもちょっと違う。ちぐはぐというか、ぬるいコーヒーみたいな感じ。「ホットかアイスかどっちかにしてよ!」って。でも、そんな私を救ってくれたのもまた、私が歌手として向き合うことを辞めたいと思った音楽だったんです。
――それは誰かの曲に励まされたということですか?
いえ、誰かの曲ではなくて、そこでのちに私のメジャーデビュー曲となる「Pride」に出会ったことがきっかけです。歌詞が刺さったんですよね。
――例えば1コーラス目の“震える心に宿った ちっぽけな誇りが闇を照らす”~“どんな言葉も どんな嵐も 邪魔できない私の未来 守りたいもの マイ・プライド”というフレーズの流れからも、自分のなかに見つけた小さな光が大きな希望になっていく様が伝わってきます。
そんなふうに、この曲の言葉に救われた私が歌うことで、少しでも誰かの光になれたたらいいなって、思ったんです。だからもっと頑張って、まずは歌手としてメジャーデビューするところまで、なんとかクリアしようって。そこから約1年が経って、その「Pride」でメジャーデビューできることが決まった時は、ほんとうに嬉しかったです。
――いい話ですね。
パワフルで希望を見ることもできる曲。さらに言えば、メジャーデビューがコロナ禍に見舞われるなんて誰にも予想できなくてすごく辛かった反面、この曲だったからこそ、そんな状況を乗り越えられました。去年私を救ってくれた曲にまた再び救われた。私と「Pride」の出会いは、ある意味運命で結ばれている、奇跡のような出来事なんだと思います。
――歌詞だけでなく曲そのものも、すごく遥海さんらしい。昨年の10月に「CLARITY」をリリースされた時のインタビューで、私が遥海さんの音楽的なルーツについて質問したじゃないですか。
はい。
――その時に、13歳まではフィリピンで過ごし、アメリカのヒットチャート、R&Bやポップスなどを中心に聴いて育ち、日本に来てから日本語のポップスに惹かれていったと話してくださいました。その二つの感覚が現在進行で見事に融合している曲。R&Bを軸にしたモダンでグルーヴィーなミクスチャートラックに、強い日本語のマッチングは遥海さんならではだと思いました。
おっしゃった二つの感覚の融合ということについては、すごく直感的で言葉にするのが難しいんですけど、確かに積み重ねてきたことを出したいという意識はあって、結果、海外チックなグルーヴのあるサウンドと日本語の響きの間に、化学反応が起きたんじゃないかと思います。日本語って一文字一文字が母音で区切られるから、滑らかに歌うことが難しいこともあるんですけど、その日本語らしさを崩さずに、すごく自然に成立しているんです。特にブリッジのリズムが跳ねているところは特に、すごく海外的でもあるしJ-POPならではの感じもある気がします。
――続いて翌月にリリースしたシングル「Believe In Myself」では、また新しい遥海さんの表現の扉が開いたように思います。リズムがR&Bではなくロック調ですし、コーラス前の太くて強い声の伸びにも圧倒されました。
確かに、今までにないタイプの曲ですね。だから不安も多少あったんですけど、新しい自分を見つけられた感覚はあります。高いけど低い、ここまで自分のレンジがはっきりとわかる曲も珍しいですし、あとは、ギターを持った自分もイメージできるんです。すごく想像力が膨らむ曲で、これを機にいろんなことにチャレンジしていきたいと思えました。あ、でもギターを持つかどうかはわかりませんよ(笑)
――そして、コロナ禍と「Pride」の話じゃないですけど、「Pride」と「Believe In Myself」は、それぞれラジオパーソナリティをテーマにしたアニメ『波よ聞いてくれ』のエンディングテーマと第4話の挿入歌として使用された曲で、それもまた2019年からZIP-FMで冠番組「Midnight Getaway」を持つようになったことに重なってくるという。
「Midnight Getaway」では、ライヴでは見せられない部分というか、けっこうぶっちゃけトークしてるんですよ。ある意味では歌より人間くさいかもしれない。そんな感じでラジオを楽しんでいるときに『波よ聞いてくれ』の話がきたときは「すごい!」って、びっくりしました。主人公の鼓田ミナレはすごく個性的で話もおもしろいんです。あとラジオ番組を持っているという視点からは、ミナレは私よりぜんぜん滑舌がよくて噛まないから、ふつうに勉強になりました(笑)
――“人間くさい”、“ぶっちゃけ”となると、今回のニューシングル「WEAK」は、思いっきりさらけ出していますよね?まずタイトルがネガティヴなワンワードというところから、びっくりしました。
はい。この曲は今まででもっともパーソナルな曲です。2020年、メジャーデビューもできるし、ミュージカル『RENT』にも挑戦できるし、すごくいい1年になるぞって、思っていました。けっきょくリリースもちゃんとできたし、「WEAK」とは『RENT』が中止なる前に出会っているので、そこまではまあよかったと言えばよかったのかもしれないですけど、やっぱりコロナという邪魔が入ったことは否めないし、コロナは憎い。そんな私の心情と完全にリンクしたんです。
――なるほど。どこがリンクしたのか、詳しく聞きたいです。
なかでももっとも大きかったのは『RENT』ですね。演技自体が初めての経験ですごく不安ななかで、とにかく今持っているものをすべて出さなきゃいない。言い方を変えれば持っている実力以上は出ないから、どうにもならないこともあって、もう、けちょんけちょんですよ。
――歌手とミュージカル女優。“歌”においてもまったく違いましたか?
目に見える違いや細かいことはいろいろありますけど、そのいちばん手前のところで、歌手・遥海のスキルでうまく歌って乗り切ろうとしてばれるんです。その物語のなかを生きていなきゃいけない。歌手としての私はまったく通用しませんでした。ミュージカル/舞台の経験が豊富なキャストやスタッフもたくさんいるなかで、みんなに私の脳のなかまでわかられているような、丸裸にされているような感覚があって、当初は怖かったですね。
――”物語のなかを生きる“うえで、どこがもっとも苦労しましたか?
私が演じたミミは、HIVに感染していて麻薬にも依存している19歳のストリッパー。これからもっと明るい未来を見ていいはずなのに、いつ発病して死ぬかもわからないし明日も見えない状況。でも私は、そんな彼女のどの要素にも共感できなかったんです。
――そこは勉強して想像するとか、裏テーマを設けて演じるとか、そういう方法しかないと思うんですけど、いかがですか?
HIVに感染した人や麻薬中毒の人の気持ちはわかろうとしたってわからないし、ストリッパーの感覚も、女として男を誘惑するとか、そういうことをしたことがないから、もはやどこにも糸口がなかったんです。それが初めての演技となると、もうどうしていいのかわからなくて。
――1年前にEP『CLARITY』をリリースされたときにも、色恋が盛んな女性を否定はしないけど、色目の使い方がわからないといった旨のことを話されていましたよね。
そうなんです。だから恥ずかしくて大変でした。稽古は私たちキャストがスタジオに集まって、海外の演出家の人がリモートで行うんですけど、日本人って、海外の人から見るとただでさえ幼く見えるうえに、私は日本でも年齢より下、10代に見られることもあるし、ミミに求められる色気もまったく出せないから、英語で指摘されてさらにそれを日本語に訳されるんです。私はどっちの言葉もわかるからダブルパンチ(笑)。こんなこと言ったら不謹慎ですけど、「もう稽古に行きたくない。ぎりぎり休めるくらいの体調不良にならないかな」って、そんなことを思うくらい追い込まれていました(笑)。でも今思えばすごく必要な期間で、おかげで自分のことが知れたんです。
――それは、どういうことですか?
自分という存在は何のか。わかっていたけどわかってなかったというか、いいところまでわかっていたけど、気づいていない自分や、見せていない自分があるなって。
――それが厳しい稽古を通して見えてきた。
はい。私は日本語が話せないまま日本に来たから、言葉を学びながら人間観察をすることが癖みたいになったというか、「この人、ほんとうはこう思ってるんじゃないか」とか、基本的に人の機嫌をうかがって合わせるタイプになっていったんです。でも、舞台の稽古で自分の役に入り込むのに必死で他の人を見る余裕がなくなりました。自分のことだけで精一杯。人に合わせることに疲れたんです。そういう意味で今まではまだ余裕があったんだなって。自分は根本的にすごく弱い人間だと、自覚するようになりました。だから「WEAK」は私自身なんです。
――確かに、今までは大雑把に言えば逆境に対して自分自身を奮い立たせる曲が多かったように思います。
そうですね。でも今回はぜんぜん大丈夫じゃないし、「こんな私でも愛せますか?」って自分に問いかける曲ですから。『RENT』に参加したことと「WEAK」という曲に出会ったことで、やっとそんな弱い自分を認めてさらけ出せるようになりました。
――それは表現においてすごく大切なことのような気がします。それにしても、2019年に「Pride」に救われて、その曲で2020年4月にメジャーデビューすることになって、コロナ禍の状況にも響き、その「Pride」と「Believe In Myself」はラジオパーソナリティのご自身と重なり、今度はミュージカル「RENT」の苦悩と「WEAK」がリンクした。人生って興味深いですね。
時間が味方になってくれているような感覚。すごいですよね。私は強くないから試練は怖いけど、その度にいい曲に出会えて人間として成長できているんです。それはほんとうに素晴らしいことだと思います。
――しかし、『RENT』に対して道が開けたところで、ご自身含む複数名が新型コロナウイルスに感染したことにより、11月16日以降の公演が中止になりました。今の率直なお気持ちを聞かせていただけますか?
正直言ってまだ立ち直っていません。生きる意味がなくなったくらいの気持ち。ポジティヴになれる気がしないです。現実が受け入れられなくて、時が止まった感じで、ただただ辛い。症状もけっこう重くて、今は味がしない、においがしない、咳が出るくらいなので、こうしてリモートで人と話せるようにはなったんですけど、ひどいときは呼吸もままならなくて心拍数も高いままで、酸素の数値?みたいなものも足りてなくて、軽症者のホテルから病院に移されましたから。
――そうだったんですね。
そのタイミングで中止が発表になって、ほんとうに孤独でした。『RENT』に関わる人はみんな定期的にPCR検査を受けていて、だから私はPCR検査を受けていない人とは会わないように、友達と出かけることも我慢して、それでも誰かが感染するときはするんだろうなって、心のどこかで想定もしてはいたんですけど、まさか自分がそうなるなんて。こればかりは誰が悪いわけでもないって、みんなわかっているし私もそう思うけど……、やっぱりどう考えても辛いです。でも、ライヴはしたいんですよね。たぶん、コロナが落ちついて、みなさんの前に出て歌えるようになったら、爆発すると思います。
――さきほど話したように、遥海さんの魅力を拡張した「Pride」と「Believe In Myself」があって、今回の「WEAK」もまた、迫力のある音とともに強い歌が響いた前2曲とはなた異なる、音数を削いで歌を際立たせる曲になっていて、新たな一面を見ることができました。まったく異なるタイプの曲が、一人の人間の豊かな表現力で、それぞれに圧倒的な輝きを放っている。私が遥海さんの2020年を通して感じたのは、歌の可能性なんです。
すごく嬉しいです。ありがとうございます。そうですね、一つだけ言えるのは自分自身の限界を作りたくないということ。そのうえで、これまでにもいろんな曲を歌ってきましたけど、もっともっと喜怒哀楽を表現していきたいと思っています。「WEAK」は音数も少なくて、そのなかで弱さをさらけ出すことには、不安もありましたしそんな自分は見られたくないという気持ちもありました。でも表現者として、そこは出さなければいけないと思うんです。音楽ってただの綺麗事ではなくて、もっと現実的なもの。「大丈夫だよ」とか「頑張ろう」って持ち上げるだけじゃなくて、「落ちているときはとことん落ちていいんだ」って、ただ弱い自分を歌った曲に触れることで、気持ちが整理できることもあると思います。
――サウンドはテクノロジーが進化すればどんどんヴァリエーションが増えていきますけど、歌はどこまでいって人間が歌う。そのプリミティヴなエネルギーの素晴らしさを、遥海さんから感じていたいと思います。
『RENT』を通して、やっぱり歌は嘘をつけないということを学びました。だからこそ、自分の人間性や技術を高めればもっともっとやれると思っています。
――今日はありがとうございました。
ありがとうございました。こうして今の気持ちを話せて、すごく嬉しかったです。
〈リリース情報〉
「WEAK」配信URL:
https://aoj.lnk.to/weakWN
遥海 -「WEAK」Lyric Video
2020年12月18日(金)21:00 Start
遥海 YouTube Live “MUSIC TERRACE”
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