今年の夏も様々な映画が公開される。
『マトリックス』シリーズのキアヌ・リーブスが主演した『ジョン・ウィック:チャプター2』や、『借りぐらしのアリエッティ』や『思い出のマーニー』などの米林宏昌監督による『メアリと魔女の花』など、注目作が目白押しだ。
そうした中、国内最大級の映画情報サイト、ぴあ映画生活が、7月7日、8日公開作品の満足度調査を実施。結果をランキング形式で発表した。
その結果がこちら。
ご覧の通り、『ジョン・ウィック:チャプター2』は3位、『メアリと魔女の花』は4位という結果で、1位に輝いた映画は『ヒトラーへの285枚の葉書』。
出口調査では、『ヒトラーへの285枚の葉書』について、「今、見るべき映画」「こういう映画が今作られ、上映されることがとても意義深い」などの評価や意見が相次いだという(『ぴあ映画生活』調べ)。
『ジョン・ウィック:チャプター2』や『メアリと魔女の花』といった大作・注目作をも超える満足度のこの映画、いったいどんな映画なのか?
満足度1位!映画『ヒトラーへの285枚の葉書』とは?
(映画『ヒトラーへの285枚の葉書』予告編)
「総統は私の息子を殺した。あなたの息子も殺されるだろう」
そんな葉書を書き続け、ナチス政権下のベルリン中に置き回った人がいる。
過激派でも、活動家でも、学生運動家でもない。家具工場で働く、ごく平凡で無口な中年男だった。
本作は、彼とその妻の物語を描いた、驚きの実話である。
まずは簡単なあらすじを。
1940年6月、戦勝ムードに沸くベルリンで質素に暮らす労働者階級の夫婦オットー(ブレンダン・グリーソン)とアンナ(エマ・トンプソン)のもとに一通の封書が届く。それは最愛のひとり息子ハンスが戦死したという残酷な知らせだった。心のよりどころを失った二人は悲しみのどん底に沈むが、ある日、ペンを握り締めたオットーは「総統は私の息子を殺した。あなたの息子も殺されるだろう」と怒りのメッセージをポストカードに記し、それをそっと街中に置いた。ささやかな活動を繰り返すことで魂が解放されるのを感じる二人。だが、それを嗅ぎ付けたゲシュタポの猛捜査が夫婦に迫りつつあった―。
(公式サイトより引用)
見どころ①国の大義と小さなわたし
万年筆を握り、静かに机に向かう主人公、オットー。彼は、息子が戦死したことをきっかけに、それまでヒトラー政権に感じていた疑問や怒りを葉書に書きつける。それは小さな、小さな抵抗だ。
人々の通る階段の途中に、ドアの隙間に、人目を気にしながら葉書をそっと置いていく姿は、まるで学生のころ授業中に手紙をこっそり回したときのような気持ちを思い起こさせられて、ちょっとワクワクするような描写でもある。しかしそれは命がけの抵抗だった。
本作では、ヒトラー政権下のベルリンで「普通の人々」がどのような生活をしていたのか、とても丁寧に描かれている。そのため、私たちは当時のベルリン市民に近い目線で本作を観ることができる。
主人公の暮らす小さなアパートには、ナチ党の父と息子、密告の常習者、政府への反発心を胸の奥に隠した判事、そしてユダヤ人の老女が暮らしている。今朝まで挨拶を交わしていたご近所さんを国民の義務として密告しなければならない。誰だってそんなことしたくない。でも、何か見つけたら密告しなければ、今度は自分が疑われてしまう。
アパートは、まるで当時の社会の縮小版のようだ。みな隣人に疑われることを恐れ、また隣人を疑ってしまうことを恐れ、お互いに心を閉ざしていく。そんな息の詰まるような生活を送る彼らを見ていると、監視社会の下で、一人の人間にできることの小ささを思い知らされて、気が遠くなってしまう。
映画を観終わったあと、あなたはきっと「私だったらどうしただろう?」と考え続けてしまうはずだ。自分だったら、この街で、主人公と同じ行動が出来るだろうか。葉書には何と書くだろうか。途中でやめてしまうだろうか。やめるなら、どのシーンでやめるだろうか……。
見どころ②「戦時下においては全員被害者」という公平な描き方
二つ目に驚くのは、現代の私たちからしたら敵であるはずのゲシュタポや密告の常習者まで、一人一人が人間的に描かれていていることだ。
主人公を追い詰めるエシャリヒ警部を演じたダニエル・ブリュールや、密告者の隣人エノ・クルージュを演じたラース・ルドルフ、彼らも主人公と同じように「これでいいのだろうか……」という迷いの表情を見せる。
そうした彼らの迷いを見ていると、胸が苦しくなってくる。なぜなら、この映画においては、悪役ですら葛藤し、やむをえない判断を強要されているからだ。
本作の作り手の目線は、主人公側と、主人公を追い詰める悪役側に、平等に注がれている。すべての人物が戦争に巻き込まれた市民(=被害者)である、という作り手の視線には、歴史に対するフェアな姿勢を感じる。本作が、単なる一方的な反戦映画ではない理由のひとつはここにある。
見どころ③命がけの抵抗を重ねるたびに、取り戻していく夫婦の絆
名優、エマ・トンプソンが演じるのは、主人公の妻、アンナ。葉書を置きに街に出る主人公に「あなたと一緒に行く。私を止められないわ」と前に出る強い女性だ。
映画の冒頭で、息子の戦死を知らされたアンナは、オットーに「お願い、一人にして」と言い、泣き崩れる。アンナは夫に心を閉ざし、悲しみを分かち合うことができない。ヒトラー政権は、隣人との交流だけでなく、夫婦の絆さえも断ち切ってしまう。
そんな2人が政府へ命がけの抵抗を重ねるにつれ、会話が増え、表情が戻っていき、失われた絆を取り戻していく。
物語の後半、絶体絶命の展開で、アンナは「覚悟はできてるわ」と言ってオットーを見つめる。その目の力強さと優しさが、観る人の心に響く。オットーは何も言わず、差し出されたアンナの手にそっと自分の手を重ねる。
しっかりと手を握り合い、絶体絶命の中でも威厳を保つ2人は、もうヒトラー政権に絆を断ち切られた2人ではなかった。
ところで本作は、政府に抵抗を重ねるにつれ広くなっていく「視界」に注目して見るのも興味深い。
オットーが監視社会の生活に耐え、黙って下を向いていたころのカメラの映し出す視界は、手元や顔のアップが多く、息の詰まるような狭さだ。アンナと暮らすアパートの部屋も、オットーの心を表すように暗い。
アンナと2人で協力し合うようになると、小さなアパートの部屋が、少しだけ広くなったように感じる。カメラの写す視界は少し開き、手元や顔のアップではなく「2人」を映すショットが増える。暗かった部屋には、ろうそくの明かりが灯る。
最大に視界が開けるのは、映画のラスト。オットーが本当の最後まで追い詰められたときだ。
オットーの目の前の「あるもの」の奥に、美しい青空が広がっている。そのシーンは本作のどのシーンよりも広く、開放的だ。
捕まったら死刑になると知りながら、なぜ夫妻は政府に抵抗をし続けたのか。その答えのひとつは、この徐々に広くなっていく視界にあるのかもしれない。
冒頭で倒れたオットーの息子が最期に見る青空と、最後のシーンでオットーが見る青空。
映画の頭と終わりは、父と息子の見る空で繋がっている。
映画『ヒトラーへの285枚の葉書』は、7月8日(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館他、全国の映画館で公開中。
監督・脚本:ヴァンサン・ペレーズ
出演:エマ・トンプソン、ブレンダン・グリーソン、ダニエル・ブリュール
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Text_Bega Hoshino
Edit_Sotaro Yamada
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