悪と仮面のルール
2018年の映画界は「中村文則イヤー」らしい。
中村文則は、1977年生まれの小説家。彼が書いた小説が、2018年に3本も映画化されるのだ。そのうちの1本目『悪と仮面のルール』が1月13日に公開された。まずは予告編をチェック。
(映画『悪と仮面のルール』予告編)
あらすじはこちら。
11歳の久喜文宏は、この世に災いをなす絶対的な悪=“邪”になるために創られたと父から告げられる。やがて、父が自分を完全な“邪”にするために、初恋の女性・香織に危害を加えようと企てていることを知り、父を殺害して失踪する。十数年後、文宏は顔を変え、“新谷弘一”という別人の仮面をつけ、香織を守るために殺人を繰り返していた。そして、文宏の過去を知る異母兄の幹彦や日本転覆を企むテロ組織が香織を狙い始めたと知った文宏は、ついに自身の背負わされた運命に立ち向かうことを決意するが――。
(映画『悪と仮面のルール』オフィシャルサイトより引用)
中村文則とは?
2002年に『銃』で新潮新人賞を受賞し、作家デビュー。2005年には『土の中の子供』で芥川賞を受賞。ドストエフスキーなどロシア文学の影響を感じさせる硬派な純文学作家だが、エンタメの要素の強い物語展開やミステリーの手法なども得意とする。
2010年に大江健三郎賞を受賞した『掏摸(スリ)』は、『The Thief』と題されて英訳され、ウォール・ストリート・ジャーナル紙で2012年のベスト10小説に選ばれた。2014年にはノワール小説への貢献で、アメリカのDavid L. Goodis賞を受賞。
又吉直樹や若林正恭などが『アメトーーク!』の「読書芸人」で絶賛して話題になったことでも有名。代表作は『銃』『何もかも憂鬱な夜に』『教団X』など。これまでに『最後の命』が柳楽優弥主演で映画化されている(2014)。
中村文則的世界を体現する玉木宏
原作は文庫で389pもある長い小説なので、映画にする際には多少内容が削られるのが普通だが、本作はおおむね原作通りに作られている。話の展開、主要人物、セリフにいたるまで、原作のテーマや良さを最大限に活かしたいという作り手の思いが伝わってくる。そのため、原作ファンは安心して観られる映画であるかもしれない。小説のセリフをそのまま映画のセリフにすることには賛否両論があるだろうが、少なくとも、そのことによって中村文則らしい雰囲気が担保されている。
ただし、一点だけ原作通りに映像化することが難しい点がある。それは、一人称で書かれる際の心の声。小説では、主人公である文宏の心の声が読者をリードしていく。たとえば次のように。
だが、父は間違っていた。僕は、もう既に『邪』だったのだ。ラジコンを持って行ったのは、父を欺くためだった。僕は父をどこかに消すことを常に考え、その計画をずっと、毎日のように夢想し続けていた。
(中村文則『悪と仮面のルール』p17-p18)
このように、小説では「僕は〜」という書き方で主人公の考えや強い自我が語られる。
これを映画にする際には普通、ナレーション・モノローグ・字幕といった手法が使われるが、それだけで映画が作られると、なんとも味気のない説明だらけの作品になってしまう。本作『悪と仮面のルール』でもナレーションは用いられるが、その回数は多くない。説明過多になったり物語のリズムが損なわれたりしないように配慮されているわけだ。
ではその分、どうやって中村文則的世界が示されるかというと、玉木宏の細かい演技なのだ。
玉木宏の表情が微妙に変化するとき、あるいはまったく変化しないとき、観客は、主人公・文宏の心の声を聴く。玉木宏のタバコの吸い方、手の震え方、歩き方、声の出し方、目線などのこまかな違いが、”仮面”の下に隠された本当の心を伝える。言葉にされないぶん、むしろ、文宏のかなしみはより強調されるかもしれない。
善でもなく悪でもなく、愛でしかない
整形して顔を変えた文宏は、別人になる=仮面を被ることによって本当の心を隠す。しかし、仮面があることによって、抑えられていたはずの真の感情があふれ出てくるということがある。
十数年隠し続けた感情の一部は、ラストシーンで感動的に放出される。ラストにおいてすら、この主人公は仮面を外さないわけだが、その仮面の下を伝う涙は観客の涙を誘う。
ここでまったく脈絡のない映画を唐突に引き合いに出すので恐縮だが、2005年に日本で公開されヒットした『私の頭の中の消しゴム』という韓国映画のもっともかなしい場面で、主人公のチョン・ウソン(他の代表作に’17年『アシュラ』など)が黒いサングラスをかけるシーンがある。チョン・ウソンは自分の泣き顔を隠すためにとっさにサングラスをかけるわけだが、『悪と仮面のルール』のラストシーンは、『私の頭の中の消しゴム』のもっとも強烈なシーンのかなしさに似ている。”隠す”という行為が、より本質的な人間の感情を露出させるわけだ。
本作は、あらすじにもあるように、ヒロインのために殺人を繰り返す男の話であり、善や悪とは何なのかという問いを突きつける。原作者の中村文則が文庫版のあとがきで記している通り、「人を殺すとはどういうことか」というテーマを考えた作品でもある。
しかし、善悪とは絶対的なルールではなく相対的な基準であり、ある点から見れば善であるものも、別の点から見れば悪になる。その逆もしかり。
ではこの映画は何についての映画なのか? ひとことで言えば、「愛」についての映画だと言える。
愛した者を守るために悪になる……。
またもや唐突に他の作品を引き合いに出すので恐縮だが、「君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる」と歌う中島みゆき『空と君とのあいだに』的な愛の物語だと紹介した方が、しっくりくるような気がする。しかも、主人公たちは「空と君とのあいだには今日も冷たい雨が降る」という歌詞通りの人生を歩んできたのだから、なおさらだ。
というわけで、映画『悪と仮面のルール』は、簡潔に言えば、中島みゆき的な愛の要素に満ちた映画です(?)。
UruによるED曲『追憶のふたり』にも注目
最後に、主題歌について。本作のED曲はUruの『追憶のふたり』。
この歌は、単なる映画の終わりに流れる音楽ではなく、実は、作中のある人物の視点から歌われている。
これが、ものすごくグッとくる。ラストシーンの感動と余韻をさらに広げ、観ている者の胸に滲むように広がっていく。
だから、エンドロールに表示される歌詞を見てほしい。この歌詞と歌込みで映画『悪と仮面のルール』は完結する。
映画自体はかなしいが、映画と主題歌が完璧に噛み合った幸福で稀有な例。
(Uru『追憶のふたり』映画『悪と仮面のルール』ver.)
作品情報
『悪と仮面のルール』
監督:中村哲平
脚本:黒岩勉
出演:玉木宏、新木優子、吉沢亮、中村達也、光石研、村井國夫、柄本明
原作:中村文則『悪と仮面のルール』
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