(当記事が公開される、2017年1月20日の19時~20時頃にかけて、焚吐がツイキャスを行う予定です。池袋をテーマとした新曲の制作の様子を読者の皆様にお伝えします。ぜひ、御覧ください)
※上記のツイキャス埋め込みは、モバイル向けに最適化しています。PCからご覧の方は、こちら
焚吐(たくと)、十九歳。
東京で生まれ、池袋で育った彼は12月に行ったデビュー一周年を記念するツイキャスで「池袋」をテーマに新曲を制作することを発表した。
ミーティアでは、「池袋」をテーマとする焚吐の新曲制作に密着。数回に分けて、連載をお届けする。
第三回では、焚吐と共に、池袋のシンボルである「いけふくろう」のある公園に向かう。「池袋」をテーマにした楽曲の制作にあたり、歌詞に入れて欲しいワードの募集をファンの方々から行ったところ、「ふくろう」というワードが多かったからだ。こうしてファンの声を誠実に取り入れる姿勢が、いかにも焚吐らしい。
「いけふくろう」のある公園へ向かいながら、オーディションを受けることになった経緯や、昨年の夏に行った60本もの弾き語りライブのこと、さらには「池袋」のどんな部分からインスピレーション受けているのかまで、様々な話を聞いた。
また、記事後半では、完成したデモ音源のイントロ部分と歌詞の一部を、ミーティア限定で最速公開!
どんな曲になるのか、あれこれ想像を巡らせてもらいたい。
Interview_Arato Kuju & Sotaro Yamada
Edit_Sotaro Yamada & Arato Kuju
Photo_Hiroyuki Dozono
デビュー前に通っていたカラオケ店を後にし、「次はどこに行きましょう?」と聞くと、焚吐は迷いなくこう言った。
「いけふくろうのある公園に行きます」
いけふくろうとは、池袋にある、ふくろうの形の石像のことだ。元々は1987年にJRが国鉄から民営化した記念に池袋駅構内に設置されたもの。現在は池袋近辺に複数の「いけふくろう」がいる(ためしに探して回ってみるのもいいかも)。
「歌詞に入れてほしいワードをツイキャスで募集したときに、最初にいただいたワードが、ふくろうだったんです」
そう嬉しそうに語る焚吐の表情は、さっきまで話していたいじめの辛さをまったく感じさせないほど明るかった。
調べてみると、いけふくろう像には「人が幸せと待ち合わせる」という意味があるらしい。それを知って、焚吐がファンの方々に導かれていけふくろう像に向かうのは、とても象徴的なことだと思った。
今回の新曲は、ファンと焚吐が互いに「幸せと待ち合わせる」ような曲になるのだろうか。
音楽は「救い」のようなものだった
――高校生の頃はタワレコ池袋でよくCDを買っていたそうですね。街で遊ぶ機会も増えたんじゃないかと思うんですけど、当時の焚吐さんはどんなふうに池袋で過ごしていましたか?
焚吐:池袋って一人遊びが出来る街だと思うんですよね。一人で散歩したり。一人ラウンドワンもしたことありましたね。……でも、一人ラウンドワンは止めた方が良いです(笑)。高校生の頃に一回やったんですけど、ちょうど店から出る時にクラスメイトと偶然会ったんですよ。それがもう恥ずかしくて!
――(笑)
焚吐:池袋ではよく、一人で映画館も行ってましたね。映画館の出口で擦れ違ったクラスメイトからは、「え、一人で映画?」みたいな反応されましたけど……(笑)。でも、「一人で映画見て、何が悪いんだ」って感じですよね。
――焚吐さんって、学生時代バンド組んだりはしなかったですか? 学生の頃って、バンドやるとモテたりしますよね。
焚吐:一回だけ、バンド誘われたことあったんですよ。高校一年生の時に音楽発表会のような場があって、僕は弾き語りを披露して。そしたら「良い声だから、うちのバンドのボーカルになってくれ」と声を掛けられたんです。でもちょっと食い気味に、0.5秒くらいで断りました(笑)。
――早っ! 即答じゃないですか(笑)!
焚吐:自分と、周りの音楽への意識の違いに戸惑っていたというのがあって。それに人と関わるのが怖かったというのもあります。友達じゃないのにバンドを組む、ということへの違和感もありますし。それでずっとバンドは組まないで、いままでやって来ました。
――どうして人と交わることに恐怖を感じるのでしょう?
焚吐:やはりいじめの経験は大きくて、恐怖が「癖」のようになってしまっているのだと思います。特に小学生の頃に受けたいじめは辛いものでした。どんなに酷いいじめを受けても、そのことを誰に言うことが出来るわけでも無かったですし。だから、「モテる」ことよりも「友達を作る」ことの方が先決で。「モテるためにバンドを組む」ような発想は無かったです。音楽は「救い」のようなものだったんです。音楽の中でだけ正直で居られるような感覚がありました。
――もし自分が焚吐さんの立場だったら、作った曲を他人に聴かせることは躊躇してしまうかもしれません。自分の「救い」である表現を、他人に点数付けされるのはとても怖いですよね……。
焚吐:どれだけ批判されても構わないから、まず自分を「人間」として認めてほしいという気持ちが強かったです。僕が「人間」として存在していられる手段は、音楽しか無いと思っていたんですよね。音楽に対してポリシーを持って活動している人の中には、「自分の作品と人間性は、完全に分けて評価して欲しい」という方もいますよね。でも僕は完全に真逆で、音楽を評価してもらえれば、自分の人間性も評価してもらえているような感じがしています。「僕はこういう人となりで、こういう思いを持って音楽活動をしています」という部分が大事なんです。だからそれに対して批判的な意見が出るのは、ある意味では「苦手な友人」のようなもので仕方がないというか。人間的に苦手な人というのは、誰にだって居るものですよね。
歩くこと数分。目的の公園は、駅から大通りを越えてすぐの場所。
カオスな街の中心にあるのに、ケヤキやプラタナスの木々が目立ち、都会のオアシスといった感じだ。
時刻は昼過ぎで、柔らかい日差しと心地よい風がそよぎ、若者や、子供たちや、休憩するサラリーマンなど、様々な人が憩っていた。
焚吐にはこういう場所がよく似合う。
まずは一枚、いけふくろうと写真を撮った。
それから腰を落ち着けて、ゆっくりと話の続きを聞いた。
夢が現実に変わるとき
――所属事務所のオーディションを受けることになった経緯はどういったものでしたか?
焚吐:中三から高一にかけての時期に、通っていたギター教室の先生が「こういうものがあるよ」と所属事務所のオーディションが開催されることをチラシで教えてくれて。元々、中学三年生の時は受験で、音楽は一年くらい休んでたんですよ。だから、(オーディションは)「復帰第一弾」の活動という感じでした。そうして受けたオーディションで、たまたま通ったんです。オーディションに申し込みをしたのは、かなりギリギリの時期だったんです。先生に「オーディションどうした?」ってある日、確認されて。「まだ何もしてないです」って答えたら「え!締切明日だよ!」と驚かれて(笑)。急いで、手続きをしました。最初はデモテープ審査で、プロフィールと音源をネットとかで送るんです。二次審査は事務所のミュージックスクールで演奏するというもので、三次審査は(場所が)確か恵比寿でしたね。四次審査では、渋谷のWWWで演奏しました。漠然と「シンガーソングライターになりたい」とは思い続けていたので、他の方に自分の曲を審査されることへの抵抗は全く無かったんですけど、一方で最初はあくまで「復帰第一弾」とも考えていたんです。
――音楽をまたやるうえでの「ならし」のような感覚があったんですね。
焚吐:ただ、一次審査を通った段階で「絶対グランプリ獲るぞ」という気持ちが芽生えてきて。それまで漠然としていた夢が、オーディションを通じて初めて明確なものになったんですよね。オーディションは自分にとって、本当に転機になりました。
――オーディションを受ける前の段階で、パブリックな場所で演奏をしたことはありましたか?
焚吐:中一の時にライブハウスで演奏をしたことがありました。路上ライブは2016年の夏にやるまで、怖くてしたことが無かったですね。通りがかりの人たちは、「音楽を聴く耳」をしてその場にいるわけではないですよね。そういった方たちに向けて演奏することに、最初は抵抗感があったんです。だからこそ、池袋のパルコで路上ライブをしたのはいい経験になりました。
ここを乗り切れば大丈夫
――焚吐さんが池袋のパルコで一ヶ月に60本もの路上ライブを開催したことは、とても話題になりました。夏にあれだけの本数をストリートでやり抜くのは、相当ハードだったのではないでしょうか?
焚吐:よくやったな……っていう感じです。こんなに心から自分を褒めたいと思ったことは無いくらい、本当に頑張ってやり通したんですよね。同じ曲を単に60回やるだけでも大変だと思うんですけど、夏に行った路上ライブは毎回違うセットリストを用意していって。毎日のように心が折れそうになったんですよ(笑)。一番辛かったのは八月の上旬から中旬くらい、60本ライブの折り返しの頃でした。ダメージがもろに身体に出てきて。池袋の内科でニンニク注射を受けて、何とか歌ってましたね。ビタミンB2は身体の疲れに効きます(笑)。実は『トーキョー・カオスe.p.』に収録した『クライマックス』という曲は、ちょうどこの路上ライブをしていた時期に作ったんです。「まさにいまが自分の苦労の最高到達点。いまがクライマックスだから、ここを乗り切れば大丈夫だよ」という意味で『クライマックス』というタイトルを曲に付けました。『クライマックス』を完成することが出来たのは、大きかったです。曲が出来たことで、気持ちの整理が付きました。
(初めてハンドマイクを披露した、『クライマックス』MV Short Ver)
――路上ライブをしたことで、人間関係も広がりましたか?
焚吐:世界の人口って70億人居るじゃないですか。でも、自分の周りの人間関係ってせいぜい数10人ですよね。僕は元々、自分の周りの狭い人間関係の中だけに生きていたんです。でも、路上ライブをしたことで「ああ、やっぱり世界の人口は70億人なんだ」と思いました。自分の身の回りでは完結しない、広い世界があるということを実感しましたね。
最近毎日のように刺激的な出会いがあって、段々と大切な人も増えてきて、今まで人口なんて70人も70億人も大して変わりないだろと思っていたのですが、そろそろ考え直そうと思います。
— 焚吐(たくと) (@official_takuto) 2016年12月20日
その時いいと思ったものを大切にする
――焚吐さんが音楽を作るうえで、「池袋」という街から受けているインスピレーションとはどのようなものでしょう?
焚吐:池袋は、混沌としているんですよね。色んな文化、色んな思惑を持った人が池袋には集まっています。僕自身の音楽にも、一筋縄ではいかないような部分があります。「ここでいきなり転調するの?」というような変な構成があったり、曲中でテンポが変わったり。歌詞も一番と二番で同じようなことを言っていたらつまらないので、大きく内容を変えていたりもします。また、歌詞に入れ込むワードは遊び心を意識しています。テーマがシリアスであっても、シリアスになるばかりではなくて何処かに言葉遊びや、コミカルさがあるようなものにしたいと思っていて。そういうカオスな曲作りには、池袋からインスパイアされた部分が大きいと思います。曲作りをする上でまず「テーマ」を決めるとお話しましたが、一方で「決め過ぎない」ことも意識していて。行き当たりばったりで生まれて来る良いものってありますよね。そういうものも大切にしながら、作ってます。
――今回の企画で巡った池袋の街には、まだデビューのきっかけをつかむことが出来ていない若いミュージシャンが沢山居ると思います。これまでの池袋での音楽活動を振り返って、そうした方々に「これはした方が良いよ!」と伝えたいことはありますか?
焚吐:チャレンジはした方が良いと思います。「自分の音楽性はこうだ」「昔がこうだったから、いまもこうじゃないといけない」と固定概念にとらわれるのではなく、その時いいと思ったものを作っていくことが大事だと思います。
――「池袋」がテーマとなる焚吐さんの新曲ですが、最後に、制作に向けての意気込みをお聞かせください。
焚吐:いままで自分が無意識のうちに、池袋から強く受けて来た影響というものがあって。それらをこの夏に意識的に捉えることが出来たんです。池袋のカオスな面や、雑多なところにどれだけ自分がインスパイアされて来たのか、というのを自覚しながら曲を作りたいです。
実際に改めて池袋を歩いてみたことで、何かしらのインスピレーションが湧いたらしい。
このとき焚吐は、すでに新曲のメロディを鼻歌まじりに口ずさんでいた……!
完成したデモ音源のイントロ部分。思わず口ずさんでしまうキャッチーなメロディ。
次回は、実際にできあがりつつある新曲のレコーディング現場に踏み込みます!
普段は表に出ないレコーディングの裏側をお伝え予定。
ツイキャスとともに、記事の更新をお楽しみに!
SHARE
Written by