焚吐、十九歳。
東京で生まれ、池袋で育った彼は12月に行ったデビュー一周年を記念するツイキャスで「池袋」をテーマに新曲を制作することを発表した。
池袋ほど、人や世代によってイメージが異なる土地も珍しい。
ある人にとっては「池袋」は埼玉を始めとするベッドタウンと東京都心の中間地点であるだろう。
また別の人にとっては、「池袋」は「池袋ウエストゲートパーク」に描かれるような、カラーギャングが行き交う危険な土地であるだろう。
そして、また別の世代の人間にとっては「池袋」は、パルコやアニメイト、ニコニコ本社、乙女ロードが存在する「サブカル」の街でもあるだろう。
2020年の東京五輪開催を控え、少しずつ再開発が始まっている東京。
焚吐の目に、いまの池袋の街はどのように映っているのだろう。
また、彼にとって、自らが育ってきた「池袋」とはどのような街なのだろう。
池袋をテーマとする新曲は、街を描くと同時に、焚吐の半自伝的楽曲に仕上がる可能性がある。
そこで、MEETIAでは「池袋」をテーマとする焚吐の新曲制作に密着。池袋で過ごした焚吐の幼少期から現在、未来に渡るまでインタビューを敢行。
更には焚吐の新曲制作の様子をツイキャスを通じて、読者の方々にお届けする。またレコーディングにも潜入予定だ。数回に分けて、連載をお届けする。
初回は焚吐と共に彼が初めてギターを買った池袋の楽器店を訪問。同じ店内に存在していたというギター教室や「生まれて初めて作った曲」の思い出を振り返っていく。
Interview_Arato Kuju & Sotaro Yamada
Edit_Arato Kuju
Photo_Hiroyuki Dozono
取材日当日。焚吐と筆者は、池袋にて待ち合わせをした。焚吐の服装は最近のトレンドでもある、ややオーバーサイズ気味でダボッとしたシルエットの黒のアウターと、スキニーパンツ。靴で差し色に使っている赤が非常に印象的だった。
焚吐の足は非常に細く、それでいて背がすらっと高いためその身体が繊細な作り物のようにも見える。正直に言って、筆者は待ち合わせ場所に彼が姿を見せたとき若干の緊張を覚えた。
少し時間が経つとちょっとずつ打ち解けてきたのか、彼は色々な話をしてくれた。
この日、たまたま通りかかったアニメグッズの専門店の前にはこの冬、大人気となったアニメ『ユーリ!!! on ICE』のパネルが出ていた。「見てましたか?『ユーリ!!! on ICE』」と聞くと、彼は楽しそうに頷いた。
焚吐は、ミュージシャンである以前に、シャイな一人の男性なのだ。
焚吐はまず最初に、彼が小学四年生の時に初めてギターを買った楽器店、そしてギター教室を案内してくれた。
――先日のツイキャスで、「池袋」をテーマに新曲を制作することを発表されました。池袋は焚吐さんにとって、縁の深い土地だそうですね。
焚吐:そうですね。生まれが東京で、池袋には本当に小さなころからしょっちゅう来ていて。東京生まれ、池袋育ちです。
――焚吐さんが一番初めに、親にギターを買ってもらったという楽器店とギター教室を紹介してもらいました。どちらも、かなり思い出深い場所ですよね。
焚吐:(ギターを始める時)まず、教室の体験レッスンに行ったんですよね。ちょうど今日、撮影で行った楽器店の上の階に僕が通っていたギター教室もあるんです。親が調べてくれたんですよね。池袋なら交通の便も良いし、「この先生は良さそうだよ」と教室を見つけてくれて。
体験レッスンは、もう初回にしてグッと来て!先生と一時間くらいお話しして「ドレミはこうやって弾くんだよ。ちょっと弦を押さえてみて」と教えてもらうような、簡単なレッスンだったんですけど、「これはやるべきだ!」と思って。その日の内に、ギターを買ってもらったんです。
――小学四年生でギターにグッとくるのは、結構渋い感じもしますね(笑)
焚吐:野球が本当に嫌いだったんですよ!そこから抜け出したい、って気持ちもあったとは思うんですけど……(笑)
――解放感があったんですね。
焚吐:(無言で頷く)
――あははは!
焚吐:ギターって指、怪我出来ないじゃないですか。野球やってると、危ないですよね。(辞める)口実にも出来る。小四だったんですけどね、小賢しい……(笑)
――通っていた小学校には、あまり音楽の話が出来る友達は居ませんでしたか?
焚吐:居なかったです。ギターやってる人自体は一人居たんですけど、でも割と珍しかったですね。
――小学校で音楽やるというと、ピアノのイメージがあります。中学でギター始める人は多いですけど……。確かに周りの人からしたら、珍しい存在だったかもしれないですね。
楽器店の前を後にした頃には、時計の針はランチタイムを回っていた。焚吐と筆者は一緒にレストランに入り、少し遅めのランチを食べることにした。
焚吐が注文したのは、ハンバーグと数種類のフライが載ったプレート。ライスとスープのセットだった。
「ひょっとして……、痩せの大食いですか?」と聞くと、彼は首を縦に振った。この日入ったレストランの近くにはプライベートでもよく買い物に来ては、食事をして帰るのだという。
ランチを食べ進めながら、彼は音楽との出会いや一番最初に作った曲の思い出を語ってくれた。
――聴き手として最初に音楽と出会ったのはいつごろでしたか?
焚吐:普通にテレビで流れているものを聴いていたりして。両親はそれほど音楽を好んで聴く感じでもなくて、でも家にある数少ないCDも聴いたりしていました。小さなころはポケモンが好きで、観てました。アニメソングは本当にあなどれないです。特に(ポケモンは)エンディングに沢山名曲があるんですよね。
一番最初にきちんと音楽を意識して聴いたのは、Mステ(※テレビ朝日『ミュージックステーション』)の年末特番にYUIさんが出演していたときで、ギターを始めて一ヶ月くらいの頃でした。
――それって何歳くらいの時のことですか?
焚吐:九歳で、小学校四年生でした。元々、少年野球をやっていたんですよね。実は僕、長嶋茂雄さんと同じ誕生日で(笑)。2月20日生まれなんですけど。誕生日が同じという理由だけで、野球をやり始めて。それをどうしても辞めたくて、ギターをやり始めて。それからひと月くらいして、観たのがMステでした。YUIさんは歌を発信するというより、自分の思いが先行していて。「伝えたいことがあるから、歌を歌っている」姿が格好良いんですよね。それを見て「こういう風になりたいな」と思いました。
――教室は、マンツーマンのレッスンだったんですか?
焚吐:そうです、マンツーマンでした。
――クラスメイトのような存在は居なかった。
焚吐:居ませんでしたね。ただ、中学校に上がってからすごく仲の良い友達が出来て。そこでギター教室を紹介して、同じ先生に習うようになったんです。のちのち話そうと思うんですけど、その友達が僕がいままで生きてきた中で一番苦手な奴に……(笑)
――え!?どういうことですか?もう聞きたくて、仕方ないです(笑)
焚吐:(静かな微笑み)
自分の味方は、自分しか居ない~一番最初に作った曲の思い出
――池袋のギター教室では、他のアーティストの方の曲をカバーしたりしましたか?
焚吐:一番最初はYUIさんの曲をカバーしました。ただ、ギターのレッスンを始めてから一ヶ月くらいで、自分の曲を作り始めましたね。「シンガーソングライターになろう」と思ってから、すぐ曲を作り出したので、カバーをばんばんやるというのは無かったです。
――ギターを始めたばかりの人って、コードの押さえ方が覚えられないとか、テンポに合わせて弾けないとか詰まるポイントがあると思うんです。焚吐さんはどうでしたか?
焚吐:『Go!Go!GUITAR』っていう、ギターの専門雑誌があって。その雑誌の記事を見ながら、見よう見まねでやったりしてて。コードって三、四個覚えれば、曲って作れるんですよね。C、G、Am、Bmの四つくらい覚えたら、すぐ作ってました。
――教室に通い始めて、一番最初に作った曲のことは覚えていますか?
焚吐:一番初めに作ったのは『影法師に晒して』っていう曲で、めちゃくちゃ暗いものだったんですけど(笑)音源にはしてないんですが、「こんな感じだったな」って頭の中には残ってます。作った曲のすべてを(正確に)覚えている訳では無いんですけど、一番最初に作ったものは印象深くて。「作品として残したい」という思いが当時からあったので、タイトルも付けたんです。
自分は多分、その時苛められてたんですよね。すごく内向的でもあって、自分の感情を吐き出す相手が居なかったんです。夕暮れ時に自分の影法師を見て、「(自分の)味方は、自分しかいない」と思いました。
曲を書くことで自分に向けて、自分の感情を吐き出したんです。吐き出さないと居ても立っても居られないような精神状態だったんで、その時は「自分」に向けて曲を作ってました。だから、特に誰かに聞いてもらうというのは意識していなかったです。
――当時、作った曲を家族に聴かせたことはありましたか?
焚吐:聴かせたことあったんですけど、(曲が)ひたすら暗かったので……(笑)。その時は「お前に何があったんだ?」って、心配はされました。ただ音楽をやることについては割と肯定的で、「好きなようにやったら?」という感じでしたね。
――当時は、どういう風に曲を作っていったんですか?例えば、曲が先、詩が先というようなスタイルはありましたか。
焚吐:いまでもあまり変わっていないんですけど、歌詞というよりは「テーマ」を先に決めていて。「こういうことを自分は曲を通して、伝えたい」ということを決めて、気に入った言葉や絶対に登場させたいフレーズを思い浮かべて、曲と歌詞を同時進行で作ります。
自分の中で「ルール」を決めて、作るのがやりやすくもあって。例えば、(当時)「勝手にタイアップ」というのをよくやっていたんです。勝手にTVCMの曲を作るんです。「HISのCMの曲、自分がやるならどんなの作るだろう」とか(笑)。
この失敗も将来のための足掛かりなんだ
――野球が嫌で、音楽は野球を止める口実でもあったとのことですが、もしその当時「音楽」と出逢っていなかったらどうなっていたと思いますか?もしもギター教室に通わず、野球を続けていたら何処かのタイミングで野球を好きになり、それはそれで幸せな人生だったかもしれないと思いますか?
焚吐:歩行以外で体を動かすことはほぼほぼ嫌いなんです(笑)
――あははは!
焚吐:そのまま続けていたとしても、野球を好きになることはなかったでしょうね。音楽と出会わずとも、他にやめる口実を探していたんじゃないかと思います。
――なるほど。
焚吐:ただ、音楽と出会ったからこそ学べたことはすごく沢山あって。本当に音楽を始めたばかりの頃に、ギター教室の先生に「ひとつ飛ばしに上手くなるのは無理だよ」と言ってもらったことが強く印象に残ってます。何をするにもきちんと段階を踏むことの大切さを教わりました。上手くいかないときは、「この失敗も将来成功するために必要な足掛かりなんだ」と思うようにしています。
この後、筆者と焚吐はレストランを後にし、一緒に焚吐がデビュー前によく通っていたというカラオケ店に移動した。
中学生から高校生にかけての多感な時期を、焚吐はどのように池袋の街で過ごしたのか。
どこのCDショップに足を運び、誰のCDを買っていたのか。
中学校のクラスでは、彼はどんな存在だったのか。
当時受けていたという苛めの話から、カラオケで歌っていた曲まで彼は色々な話をしてくれた。続きは第二回の更新にて。
第二回の更新から、本連載に連動した焚吐のツイキャスがスタート予定です。そちらも本連載と合わせて、お楽しみください。焚吐のツイキャスはこちら
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