5月31日、SKY-HIの新曲『Silly Game』がリリースされた。
去る5月2日、3日には全国ツアー『SKY-HI HALL TOUR 2017〜WELIVE〜』のファイナルとして、初となる日本武道館での公演を成功させたSKY-HI。ツアーにて初披露された『Silly Game』は、アルバム『OLIVE』の音像を引き継ぎつつ進化を見せる楽曲に仕上がった。一方で、その歌詞や音像に込められたメッセージは生半可なものではない。
ミーティアはSKY-HIにインタビューを敢行。『Silly Game』に込められたポスト・パンク的アプローチへの思い、芸能界への違和感、さらには米大統領選、いまの時代におけるラッパーの役割にいたるまで。その内容はとにかく広範囲に及ぶことになった。
Photography_KOUSUKE MATSUKI
Text_Arato Kuju
Edit_司馬ゆいか
『Silly Game』はライブの音像が四分に凝縮された曲
――新曲『Silly Game』は、アルバム『OLIVE』にあったグルーヴ感やオーガニックな音像をさらに発展させた曲だと思いました。
SKY-HI:まず『Silly Game』が生まれるまでの導線としては、『カタルシス』(「死すを語る」)があったから『OLIVE』(「LIVE」と「I LOVE」のダブルミーニング)が生まれ、『OLIVE』が完成するまでの間にSUPER FLYERSが生まれました。SUPER FLYERSは本当に信頼すべき仲間で、その存在に救われた感覚があります。
人に恵まれたことで『OLIVE』を作ることができて、その完成形がツアー『WELIVE』(SKY-HI HALL TOUR 2017 ~WELIVE~)になったんです。『Silly Game』という曲は、ライブで2時間半かけてやっている音像が4分に凝縮されたような曲で、そういう曲がこのタイミングで出来たというのは、ある意味では必然だった気がします。
――『Silly Game』にはSUPER FLYERSが演奏に参加していますよね。ソロシングルであると同時に、「SKY-HI & THE SUPER FLYERS」というバンドの曲を聴いている感覚があります。
SKY-HI:彼らのことをバックバンドやバックダンサーだとは思っていないですね。仲間でありメンバーであり、バンドであり、一味。デモを渡すと、忠実にやって欲しいところはその通りにやってくれるし、逆にとんでもない足し算を投げてくることもある。他の現場であれば気後れしそうなレベルで(笑)。
たとえばブラスのアレンジ。俺は最初に三管で作ってたのに「ビッグバンドアレンジにしたい」って六管で返してきて(笑)。「ライブどうすんだよ!」って思ったけど、確かにその方がカッコ良かったからそのまま進めたら、結果、ブライアン・セッツァーみたいな仕上がりになりました。もちろん、メンバーが足してくれた要素を俺が引くこともあるんだけど、全員が作品に対して妥協がなくて、全員がクリエイティブ至上主義者です。
――みんなが同じ志で制作を進めることが出来ているんですね。
SKY-HI:まさにこれはバンドですね。今回の曲はサウンド面ではネオ80’sに寄っているんだけど、曲の二番で顕著なように、同じ年代にUKで起こっていたムーブメントや意識や音像としてポスト・パンクの要素も入ってる。そんなサウンドに対する意識も事前にメンバーと相談したりしました。メンバーの中には、レコーディング前に’80年代のプリンスを聴いて「バイブス入れてきました!」っていうヤツもいて。それって全然ポスト・パンクとは違うんだけど(笑)。
でも我々が生きているのは2017年だから、ある意味それで良いと思う。ぜんぶプリンスである必要もないし、ぜんぶポスト・パンクである必要もない。あえて言うと、上モノのシンセだけはデモの時からずっと同じものを使っているんですが、それはちょっとプリンスを意識しましたね。
パーソナルな話は社会的なことを語る上で絶対に必要
――『Silly Game』は、一番と二番で受ける印象が全然違いますよね。特に二番では、社会問題や政治の問題を想起させるワードが多く使用されています。
SKY-HI:いまの世の中は突っ込みどころが多すぎて、それを口にするしか無いんだけど……。でも問題点をあけすけに言うことや、ただただ叫ぶことが正義であるとも思わないんです。
たとえばポスト・パンクはそうした問題に対してはシニカルでしたよね。メッセージが隠微で、鬱的でもあり、皮肉っぽい。アメリカの公民権運動とは主張の仕方が違うのが面白みでもあると思います。
『Silly Game』の一番のバースの方は、ストレートに物を言わないという意味ではポスト・パンクのアプローチに近いかもしれない。すごくパーソナルな話を曲の入り口に置いたんですよ。個人の話をしないと社会の話は出来ないから。
ただ、話を聞く側にとっては、社会の話だけされても、そんなの他人事のように感じるかもしれないですよね。例えばいきなりドナルド・トランプの話をしても、それを自分の問題とはなかなか思えないし。でも「隣の家が家事になった」とか「隣の家が夜逃げした」という話だったら? 「自分の給食代が払えない」とか「保育園に子どもが入れない」という話だったら? ミサイルが落ちてきて知人や家族が死んでしまったり怪我をしてしまったりしたら、社会問題が自分の問題になるでしょ? だから、パーソナルな話は社会的なことを語る上で絶対に必要なんですよね。
一番のバースは、「ある女優」の問題を取り上げた
SKY-HI:一番のバースは最もパーソナルな社会問題で、「ある女優」の問題を取り上げたんです。本当にこの部分は、彼女についてひたすら書いたと言ってもいいくらい。あまりにも彼女が可哀想過ぎて……。彼女の置かれた環境はあまりにもひどいものだったし、その状況に対して彼女が起こした反応に、俺はシンパシーを感じたんですよね。
正直、俺もいま芸能に反吐が出そうになっていて、本当に気持ちが悪いと思っています。芸能は嘘・偽り・裏切りのオンパレード。この前、有吉さんとマツコさんのテレビをたまたま見ていたんだけど、番組でもちょうどそんな話をしてた(笑)。あとね、カンニングの竹山さんは月に一度、一人でキャンプに行ってはずっと火を見ているんだって。
――へえ!それは心身のリセットのための時間ですね。
SKY-HI:そういう時間が無いと芸能の世界に居続けることはもう無理ですよね。特に最近はそのことを強く感じます。それは昔からあった問題で、俺が生まれた年にはアイドルの岡田有希子さんが自殺をしているんだけど……。芸能界の問題がいま改めて表面化しているのかもしれない。
「ある女優」さんが起こした行動に対して、俺は「芸能は嫌になるよな。分かるよ!」と本当に強く思うんです。報道を受けて、芸能界の大御所の方たちが「芸能界では最初のうちは給料五万円で当たり前。俺らの若い頃だってそうだった」という趣旨の発言をしていましたよね。仮にも業界では大きな権力を持っている人たちのはずなのに、平気でそういうことを口にする。一人の女性を、誰も守ろうとは思わない。
――「死ぬほど辛い」と口にしている人間を言論がさらに追い詰める事態が起きてしまっていますよね。
SKY-HI:うん。彼女の話は自分に重なるようで、すごく悲しくなりました。自分の境遇がたまたま似ているからこそ近しいものを感じたというのもあるけど。でも、社会に出ている人であれば組織やグループに属するし、何かしら今回の出来事に近い感情を抱くことはあるはずですよね。組織に馴染めなかったり、同調圧力の強いLINEのグループに入ってしまって、既読付けたら返さないといけなくて無視すると苛められるとか。そういう状況は「内戦」だと思うんです。
『Silly Game』の二番では戦争の話も出てくるけれど、それと等しいレベルでの「個人的戦争」「個人的内戦」だと思う。毎年何万人もの人間が平気で自殺しているという点では、日本は世界的に見てかなり大規模な「個人的内戦」が発生している国だしね。こうした話をした上で、二番では社会の話をしたかったんです。個人が居ないと社会は成立しないから。
――個人の集合体が社会ですからね。
SKY-HI:そうそう。それ忘れがちですよね。そのことを忘れるのは危ないと思う。
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