2016年12月10日(土)~2017年1月9日(月・祝)にかけ、hmv museum(HMV&BOOKS TOKYO 6F)にて開催中の、SKY-HI初の展示『SKY-HI MUSEUM OF CREATIVE WORKS』!
SKY-HIの活動を振り返る年表から、新曲『Double Down』のMVのセット、更にはラジオブースまで盛りだくさんの展示の開催にあたり、MEETIAではSKY-HI本人を直撃!
展示の見どころからストリートアートへの思いまで、話を聞いた。
(『SKY-HI MUSEUM OF CREATIVE WORKS』)
Interview_Arato Kuju & Sotaro Yamada
Edit_Arato Kuju & Michiro Fukuda
そういう計算みたいなものっていうのは、本来は不必要
――『SKY-HI MUSEUM OF CREATIVE WORKS』が12月10日から開催中ということで。SKY-HIさんにとって初の展示だと思うんですけど、行うことになった経緯を教えて頂けますか?
SKY-HI:これに関してはね、「こういうのどうですか?」ってお話頂いて。「いやいや、そんな別にミュージアムなんてやって振り返るほどのものないでしょう」と思ってたんですけど――。こういうのがあって、こういうのを作って、ってやってもらったら、わりかし積み上げはあって(笑)。
スタッフ:最初はもうちょっと趣向は違ってたんですよね。最初の発案は、衣装とかをメインでどんどん(会場に)置いていこうってなってたんですけど、それよりももうちょっとクリエイティブなことやってます、っていうのを分かってもらいたいなっていうことで今回の展示のような方向性になりました。(本人には)「こういう言葉を、展示に出そうと思うんですけど」っていうところを確認してもらってっていう感じですね。
SKY-HI:なるほどね。そういう感じです(笑)。ここ十年何をしてきたか、とか、俺がどういう人間か、とかが意外と詰まってる。もう、全部。真面目なのがバーッとある分、ラジオは砕けててよかったね。
スタッフ:ラジオブースを会場に作って。本人と、SKY-HIダンサーズの人に来てもらって和気あいあいと喋りました。「2016年どんな年でした?」「2017年は?」とか。
――仲いいですよね!ダンサーズの皆さんとすごく。
SKY-HI:そうですね、バックダンサーだと思ったことはやっぱりないですからね。メンバーですからね、完全に。
――今回の展示のロゴ、ロビー・ザ・キャットのビジュアルを興味深く拝見しました。顔の左がペンキで覆われている一方で右は綺麗で、二面性を強く感じさせる仕上がりだと思います。
「音楽を創作・制作して自ら届けるというクリエイティブな面と表現者の面をこのロゴで表現しています」と公式サイトにはありますが、「クリエイティブ」であることと「表現者」であることは、SKY-HIさんにとって必ずしもイコールではないのでしょうか。
SKY-HI:どうなんでしょうね。んー、必ずしもイコールではない、とは思いますけど。
熱心なファンで居てくれれば居てくれるほど、俺の深いところまで汲み取ってくれようとするしその「奥深さ」みたいなのは丁寧に作り込む必要があるけど、ぱっと見た人からするとクリエイティブな面、いわゆる今回のミュージアムで作り込まれたような部分っていうのは、別に一切関係ないっていうか――。
昔、ファレル・ウィリアムスが『Happy』のタイミングで来日してMステとか出てるときに、ちょうどそういう話になったんですけど。
若い女の子が、「ファレルはシンガーだと思う」って言ってて。我々からしたら、ファレルの歌が上手いなんて思ったことは一度もなくて、ただファレルの曲をファレルの言葉でファレルが歌うから意味があるわけであって。それはクリエイティブが内側にあるからこそ、表に出る表現する人間としての――。
(Pharrell Williams『Happy』。「Who’s watching this in December 2016」というコメントに「I am」「Me」と沢山コメントがついている)
だから、その“表現する人間”っていう言葉が何ならあんまりしっくりこないかな。「表現する」っていうと言葉の中に何かを演じるようなニュアンスが含まれると思うんですけど――、「パフォーマンスする」とか。でもそういう計算みたいなものっていうのは、本来は不必要っていうか。もっと純粋に、ただモノを作ることと、作ったモノを丁寧に手渡すこと、みたいなことを考える必要のほうが大事だから。
クリエイティブが無いと、表立って表現をするという行為はない、と。だからニコイチっていうよりは、「クリエイティブがあるから、それを人前で発するときに“表現している人間”だって取られる」だけであって。
(『SKY-HI MUSEUM OF CREATIVE WORKS』ロゴマーク)
――今回の展示の目玉のひとつが、『Double Down』のMVのセットだと思うんです。純粋にあのペンキとか水しぶきとかを浴びながらの撮影ってハードだったんじゃないかと思ってて。
SKY-HI:ね。ハードでしたね。体力的にもそうだし。ハードはすごくハードだったんですけど。監督のスミスにも「大変だと思うけど、日高くん自分で言い出したんだから頑張ってね」って。
――(笑)
SKY-HI:突き放してね(笑)。でもペンキはね、やり直しが利かないからいいんですよね。
(SKY-HI『Double Down』MV。SKY-HI MUSEUMにはMVのセットが展示されている。)
――ペンキを浴びてるカットは一発撮りだったんですか?
SKY-HI:そう。ペンキはしょうがないじゃないですか。落としてもう一回、っていうわけにはいかないから。三十分~一時間くらい掛かっちゃうもんね、全部落としてもう一回髪の毛セットして、っていうと。
ミュージックビデオ、今回は“疾走”していなきゃいけなかったし、“人生”を歌ってなきゃいけなかったから、やり直しの利かないペンキみたいなものがそこかしこから飛んで来て傷跡を残していく、っていうのは非常に大事な要素だったから。だからこそ「……やるか」って(笑)。
――水しぶきを浴びるSKY-HIさんは非常に格好良いと思うのですが、その印象をペンキを浴びることで自ら壊している印象もあって。ある意味では、アヴァンギャルドな感じがしましたね。
SKY-HI:しました? 前衛的ですね、確かに。壁がねもうそれでしたもん、アートでしたね。元々ね、好きなんですけど、そういうぶちまけられたペンキとか。多分一種のデストルドーな気がする。破壊衝動な気がしますね、俺の場合は。多分、だから探したらありそう、そういうフェチシズム。あの『Double Down』の壁、部屋に欲しいんだよね、(展示で)使い終わったら。
スタッフ:使用しているのはもちろん、本物のペンキで。今回、衣装とか展示してるんですけど(ペンキを浴びて)カッピカピでしたからね(笑)。あの状態で固まっちゃって。
SKY-HI:よくやったね、そこまで。
――そういうビジュアルとかアートワーク面で、影響を受けた人とかっていますか?
SKY-HI:あー、部屋にはね、バンクシーの絵は飾ってある。バスキア、ラメルジー。
――ストリートアートがお好きなんですね。
SKY-HI:そうですね。ぱっと出てくるのはそこらへんな気がする。
(バンクシー『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』予告編)
――SKY-HIさんが考えるストリートアート、例えばバンクシーでもいいですけど、魅力ってありますか?
SKY-HI:魅力ですか?日常の生活から生まれるところに、身近さゆえに崇高さがあって、リアルゆえにファンタジック。その感じがすごく好きですね。なんか無駄にスタートから、「この絵はすごく高いんです」って言われて見せられるとか、「歴史的な文化的価値があるんです」っていったものを見るとか、それはそれでひとつの価値観なんだけど、自分の生活にはそんなに響くことって少ないかなって思うんですけど。
やっぱり、ああいうもの(ストリートアート)は日常から発してる分、どんなに素敵なアートでも、最終的に栄養にすると自分の日常に還元される感覚はすごくある気がします。
――日本ってストリートアートとかはすごく危険な印象を持たれがちっていうか。規制の対象にすらなってしまいますよね。ヒップホップももしかしたらそういう側面があるかもしれないですが。
SKY-HI:でも逆に言うと、規制の対象だから成長したところもあるから、何とも言えないですよね。
――規制自体が文化を育てていったという側面があると、SKY-HIさんはお考えですか?
SKY-HI:だって自由だったらね、そんなに大きくはならないんじゃないですか?しょうがないですよね。だから、自由を感じるのは抑圧のおかげっていうのはあるんじゃないですかね。全部そうじゃないですか。よく言うけど、「嫌なことあったら次は良いことあるよ」とか言うけど、それはその“幸せ”って自分の中で相対的に感じるものだから。普段、空気を食べてると思うんですけど、それより、普段食べてる空気よりおいしいものを食べるから幸せなわけで。普段動いてるときってエネルギー使うと思うんですけど、回復できる瞬間、眠りにつけるから幸せなわけで。そういうものはずっとある気がする。ネガティブな出来事のおかげでポジティブを見つけられる、とか。別れがあるからそれまでの時間を愛せる、とか。そういう気がする。自由を感じるのは抑圧のおかげ、っていうのはある気がしますね。
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