1995年に起こった大災害、阪神・淡路大震災。その復興支援に対する被災地からの恩返しとしてスタートしたのが、チャリティー音楽フェスティバル「COMING KOBE」だ。
2019年で15回目の開催となった同イベントは、国内有数のチャリティーイベントとなった。いったいどのようにして歩みを進めてきたのか。今回は、COMING KOBE運営の中核を担う「株式会社パインフィールズ」の打ち上げに潜入し、実行委員会の村上さん、哲平さんにお話を伺った。
Photography_Shimpei Hanawa
Interview & Text_Chihiro Yuki
Edit_Momoka Oba
COMING KOBE19を振り返って。
――まず『COMING KOBE19』を振り返って、お二人の今の気持ちを聞かせてください。
村上 : 終わった!
哲平 : 越した!乗り越えた!
村上 : そんな感じです(笑)。
――やっぱり大変でしたか?
村上 : そうですね。初めて松原不在で迎えるカミコベだったので、運営チーム、ブッキングチームともに大変な思いをしたところはあると思います。2016年にガンが発覚、そこから3年かけて、松原の仕事を僕らもできるようにしてきました。時には判断を仰ぎながら、松原なしでも開催できるように準備してきたんです。けれど、COMING KOBE19開催の1ヶ月半前に、彼は亡くなってしまった。自分たちが進もうとしてる方向が正しいのかどうか、司令塔を失って迎える開催には、過去にない大変さがありました。
――松原さんの不在以外のところで、前年までと変わった点はありましたか?
村上 : 今回は、過去15年間、一度も使ったことのない会場(神戸空港島多目的広場)での開催となりました。なので、前年までの運営スキームが使えません。来場者の安全などを考えると、規模を縮小せざるを得ない面がありました。
哲平 : 例年のカミコベには約140組のアーティストが出演してもらっているのですが、今年は30組ほどの出演にとどまってしまったんです。すでに内定していたアーティストにお断りの連絡をしなければならなかったのは、ブッキングチームとしても心苦しいところでした。好意と理解で成り立っているカミコベなのでなおさらです。
――先ほど、「来場者の安全を考え、仕方なく規模を縮小した」と伺いました。ということは、来年、再来年を見越した上で、今回は新しい会場での開催となったのでしょうか?
村上 : そうですね。あの会場をきちんと整備すれば、2,3万人は収容できるはずです。来年以降の規模拡大を考えて、今年はあの会場を選びました。
神戸に音楽フェスを作りたかった。
――今年で15周年を迎えたCOMING KOBEですが、始まった2005年頃は、まだ音楽フェスも今ほど一般的ではなかったと思います。震災との関連で考えると、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットの影響も憶測してしまうのですが、もともとCOMING KOBEはどのような想いから生まれたんですか?
村上 : 神戸に音楽フェスがなかったというところが最初のモチベーションだったと聞いてます。企画から実現に向かう中で、神戸市の人たちと協力することになり、それなら被災経験のある街から発信するイベントにしよう、と今の形になりました。
――音楽フェスを一から作ろうと考えたとき、有料のイベントにするという選択肢もあったと思います。あえてチャリティーイベントの道を選んだのには、何か理由があるんですか?
村上 : 来てくれたお客さんに「なぜこれが無料で開催されているんだろう?」と考えてもらうことが大切だと、松原がよく言ってました。僕自身も、出演者、裏方、運営責任者という色んな立場を経験して、松原の言葉の意味をとても実感してます。何かを考えるきっかけになっていくことが大事なんですよね。
――なるほど。そうなると、今後もチケットが有料になる可能性はない?
村上 : そうですね。『カミコベ』の名の下に開催するならば、有料化はないと思います。もしそうなるのであれば、イベント名が変わるのではないかと。
お酒を飲んで歌って踊って、打ち上げは大盛り上がり。
――より多くの人にリーチするイベントであったほうが、チャリティーの目的にかなっているとも言えます。無料である理由にはそういった意図もありますか?
村上 : 松原はそれも考えていたはずです。過去の出演者で言うと、泉谷しげるさん、円広志さん、宮根誠司さんなんかは、音楽フェスのターゲット層じゃないところにもアプローチできる人選だったと思います。誰でも楽しめるイベントにしたいという意図が見えましたね。
――今回の会場にも用意されていたトークステージは、そういう方向性なんでしょうか?
哲平 : そうです。「SRC ひとぼうトークステージ」は、「人と防災未来センター」と一緒に作り上げているステージです。「アーティストと一緒に震災にまつわる話をしよう」そういうコンセプトなので、震災にフォーカスしているカミコベにとっては大切なステージですね。
――意識したり、参考にしてるフェスってありますか?
村上 : 運営の面ではいろんなイベントを参考にしてます。実際にほかのイベントに参加してみて、「あ、こうやってお客さんの動線をコントロールしてるのか」と、気付かされることも多いですね。でも、個性という意味で意識してるイベントはありません。僕たちのイベントはチャリティーとボランタリーで成り立ってるので、比べようがないところがあります。そこを比べだすと切なすぎて(笑)。まったく違う競技で頑張っているんだ、と思ってやってます(笑)。
若いバンドのステップアップを応援する、カミコベ実行委員会の想い
――実際にイベントに参加させていただいて、神戸に縁のある出演アーティストの多さに驚きました。やはり神戸との関係性も選定基準にあるのでしょうか?
哲平 : 神戸出身にこだわってるわけではないのですが、僕らが運営しているライブハウス『太陽と虎』がカミコベ出演アーティストを知るきっかけとなっているので、結果的に地元の人たちが多くなっているのかもしれません。特に、若いバンドはそういう傾向が強いですね。
――今をときめくバンドが、もう何年も前からカミコベに出演しているというケースも目立ちます。今年であれば、パノラマパナマタウンが良い例でした。彼らも3年前の2016年からカミコベに出演していますよね。
村上 : カミコベ2代目実行委員長のフージーっていうのがいまして、彼が「ええバンドおるで」って見つけてきたのが最初の出会いでした。本当は今頃、フージーも一緒にインタビューを受けているはずだったんですが(笑)。
インタビュー終了後、無事に会場に到着しました(笑)。
――もともとは3人でインタビューを受けていただける予定だったんですか?
村上 : そうですそうです。でもさっき連絡してみたらなぜか和歌山県の白浜にいるって(笑)。
――(笑)。
村上 : 今向かってるみたいなので、後ほど現れると思います(笑)。話を戻すと、実はキュウソネコカミやフレデリックも、カミコベの小さいステージを経験してるんです。今ではワールド記念ホールでワンマンをやるようなバンドですが、当時は、同じワールド記念ホールのレストランに作られた、ギュウギュウで200人くらいのステージで演奏してました。カミコベの15年には、そういうストーリーもあります。
哲平 : 太陽と虎からカミコベに出演し、少しずつ大きいステージへ上り詰めていく。カミコベがアーティストにとっての踏み台のような役割でありたいという想いはあります。
――15年の歴史を振り返って、他に印象に残っているお話はありますか?
哲平 : ここ数年だと、Hi-STANDARDが出演してくれたことが印象に残っています。あれはめちゃくちゃうれしかったですね。
村上 : Hi-STANDARDって、自分たちの主催イベントか、縁のあるアーティストの主催イベントじゃないと、呼ばれて出演することがほとんどなかったはずなんです。でもそんなバンドが、僕らが作るカミコベに出演してくれた。もちろん松原の闘病を応援するという意味合いが大きかったと思うのですが、それでも「うちの社長がHi-STANDARD呼んだぞ!」って社内でも大騒ぎになりました。
哲平 : Hi-STANDARDの出演については、他の出演者はもちろん、関係者にもシークレットになってました。タイムテーブルを組むために、「実行委員長 松原のすべらない話」って枠を用意して。
村上 : ボーカルの難波さんとギターの横山さんは他のバンドですでにラインナップされていたので問題なかったんですが、ドラムの恒岡さんにはこっそり神戸入りしてもらう必要がありました(笑)。3人揃ったら、それは「Hi-STANDARD」ってことになってしまうので(笑)。
哲平 : 松原とマネージャーさんと、入念に打ち合わせたことを覚えてます。覆面で登場してもらうとか、もういろいろ考えて。結果、到着してすぐバレてしまったんですが(笑)。舞台袖からもう大騒ぎになっちゃって、みんなライブを見たいから楽屋なんてからっぽでしたね(笑)。
『COMING KOBE20』へ向けて
――来年の開催に向けて、目標などがあれば教えてください。
村上 : 来年は、アーティストも来場者も今年より増やしたいですね!
――会場は今年と同じところになりますか?
村上 : 今のところはその予定です。ステージ数を増やして、さらに規模を大きくできたらと考えてます。
――今年よりも小さいステージが増えるということですか?
村上 : そうなりますね。組数を減らすとなるとどうしても若いバンドを呼べなくなってしまって、今年は地元の若手にあまり出演をお願いできませんでした。カミコベは本来、武道館レベルのアーティストと、昨日今日結成した地元のバンドが共存できるイベントです。来年は、その本来の姿を取り戻したいですね。
――より、若手バンドの登竜門的フェスになっていくということですね。具体的な数字としての目標はありますか?
村上 : 言おうかな?どうしよ(笑)。
――後から「やっぱ無し!」でもいいので、教えてください(笑)。
村上 : 今年の2倍の規模は目指したいです。運営面での懸念がなければ、今年のラインナップでも来場者が倍以上になるくらいのニーズはあったと思うので。
――来年は、松原さんなしで0から作り上げる最初のCOMING KOBEになりますね。
村上 : そうですね。必ず成功させなければ、と思います。
――では最後に。COMING KOBEを運営していて、一番楽しいときは?
哲平 : やっぱり当日、来場者やアーティストの喜ぶ顔を見たときです。これに尽きますね。
村上 : 出演してくれたバンドがめっちゃいいライブをしてくれて、ありがとうを言いに行ったら、向こうからありがとうって言ってくれたとき。これが最高です。「いやいや、こっちがありがとうやん!」ってなるけど、それを言うのもなんだか野暮ったいので、「楽しんで帰ってや」って伝えちゃいますね。
打ち上げに参加するという新体験のインタビューの中で感じたのは、COMING KOBE19のイベント当日にも感じた、実行委員会のあたたかさだった。
当日にインタビューをすっぽかしてしまうフージーさん、インタビュー中にお酒を注ぎに来た結果盛大にこぼしてしまう女性スタッフ、最後までインタビュー音声の録音状況を心配してくれた村上さんと哲平さん。
チャリティーという人と人の心をつなぐコンセプトを持つCOMING KOBEにとって、実行委員会が醸す人間らしさは、イベントのこの上ない魅力となっているだろう。
人の心を動かせるのは人しかいない。そんなことを再確認したインタビューだった。
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