「2019年6月5日『誕生〜始まりの心実〜』。人や、動物や、植物は、生まれます」というナレーションからライブはスタート。このナレーションが、ライブ前半の空気を決定付け、湯木慧というアーティストの世界観を強烈にオーディエンスに印象付けた。ナレーションはこう続く。「生まれたその日から、死に向かいます。そして、死にます。そしてまた何度も生まれます。何度も生まれることができるのです。生まれ変われるのです。今日もまた、生まれる日です。わたしも、あなたも。ここは、始まりの心実」
やがてやさしいギターのアルペジオが響き、『傷口』の弾き語りが始まる。キャリア初期につくられたというこの曲は「人を信じられなくなった時 一つ、信じられるような唄を」というフレーズで始まる。非常に印象的で本質的なフレーズだ。この曲をメジャー1stライブのオープニングに持ってきたことは、彼女がこれからどんな表現をやっていくかの宣言だと見ても良いのではないだろうか。
2曲目は『網状脈』。再びナレーションが入り、『嘘のあと』。さらにまたナレーションが入り、『ヒガンバナ』『流れない涙』と続く。1曲歌うごとに頭を下げ、やや遅れて拍手が起きる。
なぜ遅れて拍手が起きるのか? 彼女の楽曲と歌声に、オーディエンスが圧倒されているからだ。
音楽にはさまざまな楽しみ方があるが、湯木慧の音楽は今のところ、オーディエンスを躍らせるタイプの音楽ではおそらくない。本人が「命に向き合っていない人になんか響かなくていい」と語っているように、もっと静かに、聴く者の身体へと染み入っていく音楽であり、心の深淵に触れる音楽なのだ。だから、反応するのに少しだけ時間がかかる。人は感動した時、すぐには動けないものだ。
MCはまだない。ナレーションとSEが入り、圧倒的な迫力をともなった弾き語りが粛々と進んでいく。やや特殊な緊張感が漂っていたと言えるだろう。そしてそれらはおそらく意図的に設計されたもので、『ふるさと』『ハートレス』を歌い終わった後に流れる産声のSE(正確には、シングル『誕生〜バースデイ〜』に収録された『98/06/05 11:40』、すなわち湯木慧が生まれた瞬間の産声と、それを祝福する鼻歌まじりのハッピーバースデイの歌)からは、会場の空気はまったく異なるものに変わった。
ライブで表現された「誕生」
産声のSEが終わると、ステージと客席を区切っていた幕がさっと開く。さっきまでSEと弾き語りで構成されていた空間にはバンドサウンドの伴奏が流れ、『産声』がスタート。照明が明るくなり、客席からは湯木慧の姿がよりクリアに見えるようになった。
先ほど、ステージと客席のあいだの幕に照明が当たって光がひだをつくっていた様子を「ステージの湯木慧は、まるで水中にいるように見えた」と書いたが、なるほど、これは「羊水」の比喩だったのかもしれない。「産まれる」直前だったからこそ、MCが一切なかったのだろう。
幕が開き、光が当たるという演出は、まさに彼女のアーティストとしての「誕生」を象徴的に表していた。そしてクリアになった視界でフロアのオーディエンスを一人ひとり眺めながら歌う湯木慧の表情は、今まさに世界に産み落とされた者の驚きと喜びをたたえているようにも見えた。
『産声』を歌い終わり、ライブも終盤。ようやく湯木慧がMCを始める。その様子は、さっきまでの鬼気迫るような表現者とは思えないほど、率直でフレンドリーなものだ。ノリツッコミを入れながらのMCに、フロアからは笑い声が起き、会場は柔らかい雰囲気へと変わっていく。
「半年ぶりのライブだから、緊張しちゃう」と少し照れながら、用意したカンペに頼って、伝えるべきことを伝えていく。それはライブのコンセプトであったり、「始まり」に対する彼女の考えであったりしたが、もっとも多くの時間が割かれたのは、この場に来てくれたオーディエンスに対する感謝の言葉だった。
本編ラストは『バースデイ』。文字通り誕生を歌った、彼女のメジャーデビューシングルだ。この曲は、こんな歌詞ではじまる。
小さな手と手を握りしめて
大きな世界に産まれおちた
一人一つずつ名前を貰った
産まれて初めてのプレゼント
最初のフレーズを聴いた時に、おそらく多くのオーディエンスが、入場の際に渡された赤ちゃんが生まれた時に身につけるネームタグをイメージしたリストバンドを思い出したはずだ。タイトルからも明らかだったように、このライブは『バースデイ』という曲に至るためにすべての伏線が張られていたのだった。
そうして彼女のすべての決意は、この曲のサビの歌詞に集約される。
正しさだけが溢れる世界じゃないから
僕は真っ直ぐ真っ直ぐ前を向いてゆくよ
悲しさだけが溢れる世界じゃないから
僕は真っ直ぐ真っ直ぐ前を向いて生きてゆくよ
「バースデイ」 湯木慧 MV
ニヒリズムと綺麗事から遠くはなれて
本編が終わり、湯木慧がステージからいったんは退くも、アンコールの拍手は止まらない。ふたたびステージに姿を現した彼女の顔には安堵の色が浮かんでいるように見えた。そして、8月に東阪ツアーが開催されることや、8月7日に2ndシングル『一匹狼』がリリースされることなどが発表された。1stシングルの発売日に次のシングルのリリースが発表されることもなかなか珍しい。早すぎるそのペースに、フロアからは拍手だけでなく笑いさえ起きた。
弾き語りで『金魚』を、初めて『四谷天窓』に立った際に最後に歌ったという曲『道しるべ』をワンコーラスだけアカペラで歌い、ラストは『存在証明』。この曲も、メッセージとしては『バースデイ』と似ている。歌詞の一部を引用してみよう
誰も一人ぼっちの世界から
あたたかさを覚えてゆくんだよ
守りたいモノが増えてゆくのなら
大きく強くなりたい
(中略)
何も貫けなくなりそうで
弱い僕らのことが嫌になっても
自分で決めたこの道なんだと
明日へ一歩踏み出すのです
また明日へ一歩踏み出すのです
『バースデイ』と『存在証明』に共通しているのは、世界への視線と、それに対する明確な態度だ。
どちらの歌にも、根底には「この世界は冷たく、間違ったものが溢れている」という認識がある。しかしそれをただ嘆くのではなく「あたたかいもの、正しいものもある」と認識してもいる。そのように虚実ないまぜの世界を、まずはあるがままのものとして受け入れ、その上で前に進んでいこうという意識に貫かれている。そうして進んでいく過程で、少しずつ人は「あたたかいもの、正しいもの」を手に入れ、生き続ける意味を獲得していくのだろう。
このように、単なるニヒリズムに陥ることなく、それでいて綺麗事でごまかすこともない姿勢が、湯木慧というアーティストを特異な存在にしている。彼女の楽曲に説得力があるのはこうした姿勢のためだ。
湯木慧にとってアートとは、おそらく、明日という日を生きていくための希望のようなものなのだ。だからこそ彼女の生み出す音楽や言葉、絵画などの作品は、他の誰かにとっても「これで明日も生きていける」と思えるような作品なのだろう。
そう遠くない未来、決して少なくない数の人々が、湯木慧を「唯一無二のアーティスト」と呼ぶことになる。その誕生を祝して、本レポートを締めることにする。
ハッピーバースデイ。
<セットリスト>
1. 傷口
2. 網状脈
3. 嘘のあと
4. ヒガンバナ
5. 流れない涙
6. ふるさと
7. ハートレス
8. SE(98/06/05 11:40)
9. 産声
10. バースデイ〜EN〜
EN1. 金魚
EN2. 道しるべ
湯木慧
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誕生〜バースデイ〜
メジャーファーストシングル 『誕生〜バースデイ〜』
・初回限定盤:CD+ライブDVD+スペシャルパッケージ仕様/VIZL-1952/:¥1,800+消費税
・通常盤:CD/VICL-37474/ 予価:¥1,200+消費税
・CD(初回限定盤・通常盤共通)
1. 98/06/05 11:40
2. 産声
3. バースデイ
4. 極彩
・DVD(初回限定盤のみ)
2018年10月20,21日、開催ワンマン個展ライブ『残骸の呼吸』at四谷アートコンプレックスホール(約30分のパフォーマンス映像を収録予定)
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