TwiGy 『十六小節』
日本のHIPHOPの顔ともいえるZeebraと同じく1971年生まれ。日本語ラップの歴史を語る上で欠かせないラッパーがいる。彼の名前はTwiGy(ツイギー)。
HIPHOPシーンの旗振り役を担いシーンの隆興と自身を重ね合わせてきたZeebraに対し、TwiGyはHIPHOPのメインストリームとは距離を置きつつも常に日本語ラップの進化を牽引してきた。
デビュー当時から独特のフロウを持つ高音&高速ラッパーとして知られていたが、さらに倍速のラップや逆にメロウでスロウなラップなど曲ごとアルバムごとにラップの技術を更新してきたTwiGyが昨年2016年6月、語りおろしの自伝『十六小節』を上梓した。
フォントを変換させた少年時代
小児喘息を患い体が弱かった幼少時代のTwiGyは両親が共働きだったため祖母の家によく預けられていた。芸術家だった〈おばあちゃん〉の指導のもと工作や絵を描くことが好きだった少年に影を落とす出来事が起こる。
小学六年生の三学期、畑に囲まれた三重の田舎から都会の名古屋へ引っ越しを余儀なくされ、「伊勢弁のやんわりとした言葉、やんわりとした生活」を奪われたのだ。
名古屋に馴染めないと感じつつも「伊勢弁で考えていることを、名古屋弁に変換して言葉にするように」なっていく。これをTwiGyは「フォントを頭の中で変換するという作業」と呼び、言葉をどう発すれば伝わるのかという「RAPの原点のひとつ」だったと振り返る。
方言から方言への言葉の変換が、言葉の音を意識するきっかけになったというのは、メッセージ(意味)より音の聞こえ方を重視するTwiGyのラップと結びついているように思える。
(代表曲のひとつ、『七日間』。PUNPEEがリミックスしたこともあり、再評価されている)
「ユナイト」の歴史
中学1年生のときに映画『BREAKIN‘』(邦題『ブレイクダンス』)を通してHIPHOPに出会い、のめり込んでいくTwiGy。
「俺の世代、1971年生まれは、俺がそう思っているだけかもしれないけど、ばっちり「そこ」に当たったんだ。(中略)事実としてHIPHOPに出会う、全部のタイミングがばっちりあった世代なんだよ。だからZEEBRAもいるし、YOU THE ROCK★もいて、Boss The MC(ILL-BOSSTINO)もいる。(27p)」
ばっちり「そこ」に当たったTwiGyはHIPHOPに魅かれた理由をこう説明する。
「HIPHOPはそういうコンペティションな部分があるじゃん。すごくバトルな側面というかさ。だけど、俺が見ていたところ、一番最初に感じた部分はそこじゃないんだよ。バトル一辺倒なものではないというか。そっちの部分の方が俺の中では大きかった。
そっちの部分というのはなにか?それは…………ユナイトでしょ。(p28)」
ユナイト(Unite)。
結びつける、団結させる。
小学6年生で転校し自分の居場所を失ったと感じていた少年を引き付けたのは、HIPHOPの人と人とを結びつける力だったのだ。
本書『十六小節』はTwiGyがHIPHOPから受けた「ユナイト」の歴史を綴ったものだと言ってもいいだろう。
高校1年生のとき名古屋で後にDJとなるHAZU(現・刃頭)に出会い1987年BEATKICKSを結成し、スティーヴィー・ワンダーやデ・ラ・ソウルのライブツアーに帯同。
上京しMUROと共に今も続く伝説的HIPHOPグループMICROPHONE PAGERの活動を始め、『病む街』(1995年)などを発表。
(MICROPHONE PAGER『病む街』。今も色あせないクラシック)
盟友YOU THE ROCK★らと共に日本語ラップのクラッシックLAMP EYE『証言』(1996年)に参加、その後LAMP EYEを原型としたカルト的人気を誇る雷(現・KAMINARI-KAZOKU)クルーが結成されTwiGyはオリジナルメンバーとして参加する。
(LAMP EYE『証言』。証言4をZeebraが、証言5をTwiGyが担当している)
TwiGyの「ユナイト」の歴史は、そのまま日本のHIPHOPの創成期の歴史と重なっている。
本書には当時のクラブやスタジオで撮ったスナップ写真が多数収められている。だぼだぼのトレーナーに身を包み真剣な表情でマイクを握る姿。ハンドサインを決め仲間たちと共にカメラへ笑顔を向けている写真。ニューヨークをお手本に日本のHIPHOPを手探りで作り上げていこうとする熱が文章からも写真からも伝わってくる。
私自身もそうだが、日本語ラップの冬の時代と呼ばれた90年代初頭を知らない者にとって、これは当時を知るための貴重な歴史書となっている。
ソロ活動
そういった「ユナイト」を経て、TwiGyはクルアーンなどに影響を受けた自身の宗教観を織り込んだソロアルバム『AL-Khadir』(1998年)を発表する。セカンドソロアルバム『SEVEN DIMENSIONS』(2000年)にはタイトルの上に“FORWARD ON TO HIPHOP”とTwiGy自身の手で付けられている。
自分のラップが進化を続けていることに対する強烈な自負を感じた。
本書は2006年『Twig』を発表した頃の話までしか収められていないが、TwiGyはその後もジャズの手法を取り入れたり若手ラッパーを起用したりと新たなチャレンジを盛り込んだソロアルバムを数年おきにリリースし、多くのフィーチャリングに参加している。
「HIPHOPが俺のフッドなんだ。(p247)」
フッドとは近所や地元、ストリートを指すスラング。
小学六年生のとき居場所を奪われた少年が仲間と作り上げた帰る場所。それが日本のHIPHOPだったのだ。
(2015年に発表された、TwiGy×Beat Studies『音楽』MV。心地よいグルーヴ感)
TwiGy:
1971年三重県生まれ。80年代後半からラップを始め、日本のHIPHOPの歴史に名を残すユニットMICROPHONE PAGER 、雷の両方に名を連ねた唯一のラッパーでありリヴィング・レジェンド。98年ファーストソロアルバム『AL-Khadir』をリリース。以降ラッパーとして曲のリリースやコラボレーションを行うのみならずDJ TOOTHACHE名義でDJとしても活動。2015年、活動の拠点を福岡に移し、福岡を拠点とするプロデューサーMoitoと共に『Suck My Trap』を発表する。
書籍情報
Twigy『十六小節』
日本語ラップを変革したラッパー、ジャパニーズ・ヒップホップ界のレジェンド、TwiGyがはじめて明かす自身の歴史。
日本のヒップホップ界のオリジネイター、TwiGyが初めて語りおろす自身と日本語ラップの誕生ヒストリー。
その小学校時代からヒップホップとの出会い、ニューヨークライフ、伝説のMICROPHONE PAGERから、ソロ活動へ現在に至るまでの軌跡をたどる。
TwiGyの百花繚乱日本語ラップ談義!
単行本(ソフトカバー): 254ページ
出版社: Pヴァイン (2016/5/31)
(Amazonより抜粋)
Text_Madoka Mihoshi
Edit_Sotaro Yamada
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