「青森県在住の秋田ひろむを中心としたバンド」。
この情報以外のプロフィールを一切公表せず、本人の姿すら明かさずに活動しているバンド・amazarashi。
しかしその歌詞に投影された独特の世界観が口コミ等で話題になり、2016年2月にリリースされた『世界収束二一一六』はオリコンアルバムウィークリーチャート4位にチャートインするなど、リスナーの数を増やしつづけている。
そして2016年10月15日には、幕張メッセイベントホールにて全方位から観覧可能な360°ライブ「虚無病」が開催される。
これはギター/ボーカルの秋田ひろむ自身が書きおろした小説『虚無病』と緊密にリンクした、まったく新しいライブの試みである(小説は10月12日にリリースされるミニアルバム『虚無病』初回生産限定盤に付属)。
すでにSOLD OUTとなっている本公演は、日本全国27ヶ所の映画館で生中継されることが決定している。
amazarashi LIVE 360°虚無病 ライブビューイング開催情報
http://liveviewing.jp/contents/amazarashi360/
そこで、来る10月15日の単独ライブ「虚無病」にむけて、amazarashiの魅力をより多くの方々に知ってもらうべく、MEETIAでは今週から数回にわたってamazarashi特集を組むことにする。
とりわけ秋田ひろむの紡ぎだす「言葉」にスポットを当ててゆくつもりだ。
TVアニメ『東京喰種√A』のエンディングテーマとして話題を呼んだ『季節は次々死んでいく』のMVは、9月11日現在YouTubeで2000万回近く再生されている。
この曲がきっかけでamazarashiのファンになったリスナーも多いだろう。
若い女性がひたすら生肉を貪るその衝撃的な映像もさることながら、「忌まわしき過去」に足引きずられながらも生きて、生きつづけようと抗う力強い歌詞もそれに劣らず非常に魅力的だ。
たとえ「陽は射さずとも」、「それでも途絶えぬ歌」を歌いつづけようともがく秋田ひろむの言葉には、人を惹きつける力がある。
絶望に曝されながら絶望に反逆しつづける彼のこのような言葉の力は、2010年にメジャーデビューした当初より連綿とつづいてきた、amazarashi最大の特長といっていいだろう。
あの悲しくも美しい『無題』(2010年)をもう一度聴いてみよう。
絵描きの不遇、成功、挫折、そして再生を歌ったこの『無題』は、amazarashi自身の物語に容易になぞらえることができる。
だがそれは、amazarashiがこの絵描きと同じように徐々に世間に認知されはじめたからではない。
そうではなく、この絵描きにとってもamazarashiにとっても、「変わってくのは いつも風景」である点において、彼らは一致しているのだ。
amazarashiは変わらない。
なるほどその歌詞には肯定的な言葉が増えたかもしれない。メロディはよりポップに鮮やかになったかもしれない。しかし、「虚無主義に抗え」というその根っこの部分は決して揺らいでいないのだ。
彼らのディスコグラフィーを少しでも振り返ってみれば、そのことはすぐに明らかになる。たとえば『逃避行』(2011年)はどうだっただろうか。
僕等を走らせるなら きっとなんだっていい
恩義でも逃避でも 世間体でも逆恨みでも
問題は僕等がどこまで行けるかって事 僕等がどこまで戦い続けるかという事
たとえ「僕等」がどんなに否定的なものに囚われていて、そこから逃げつづけていたとしても、それによって「僕等」が「生かされてる」のなら、「死に場所を探す逃避行」はすでに「生きる場所に変わっ」ているのだ。
どこからどこへ行くのかは問題ではない。必死に走る者はいつだって前を向いているはずだから。
また、『雨男』(2014年)は次のように歌いあげる。
心が潰れた土砂降りの日に すがるものはそれ程多くない
だからあえて言わせてくれよ 未来は僕らの手の中
いま「僕ら」が手にしているのは僅かなものだけかもしれない。
しかし、だからこそ、待ち受けている未来は大きいはずではないか。年少の者にこそより大きな未来が訪れるように。膝から崩れおちた者にこそ立ちあがる喜びがあるように。
そして、現時点での最新アルバムである『世界収束二一一六』に収録されている1曲『エンディングテーマ』では、死の淵にある男が自分の人生を振りかえる。
失い続ける事で 何かに必死になれる力が宿るのなら
満たされていないってのは 幸せなのかな だとしたら 今の僕はきっと幸せなんだな
なのに
心が痛いよ 涙が止まらないよ
「失う事に慣れたりしなかった」誇り高い者たちは、何かを失うたびに、心を痛めて涙を流しつづけるのだろう。
しかし、「だからこそ」なのだ。
彼らは泣きながら、「生きて 生きて 生きていたい」と歌うのだ。
その生きようとする力こそが幸せだと、「それでも途絶えぬ歌」を歌うのだ。
勢いを増す向かい風にいまだ倒れないこの精神と、それを表現する多彩な言葉こそ、amazarashiをamazarashiたらしめる核である。
amazarashiの公式ホームページのなかで、そのバンド名の由来を秋田ひろむは次のように説明している。「日常に降りかかる悲しみや苦しみを雨に例え、僕らは雨曝だが『それでも』というところから」名付けたと。
http://www.amazarashi.com/bio/
「僕らは雨曝だが『それでも』」というこのスタンスこそが、amazarashiの誕生した理由であり、そしていまなおamazarashiが歌いつづける理由でありつづけている。
文:小澤裕雪
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