自意識へのアプローチ
太宰治と尾崎世界観は、ともに強烈な自意識を持ち、それを表現することに長けてはいるが、アプローチの仕方がちがう。
太宰の場合(特に初期)は、自意識の中に深く潜ろうとする。そうして自己の内部にある古さや嘘やエゴイズムを批判する。彼にとって、世の中にある古さや嘘やエゴイズムと戦うためには、まず自分の中にあるそれらと戦わなければならなかった。つまり太宰は、自分を否定しつくすことによって世の中と戦おうとした。
対して、尾崎の場合は、自意識の中に潜るのではなく、自分から少し離れて自意識というものを見ている。そこには俯瞰の視点がある。尾崎の視点と、尾崎を見る世間の視点と、それらを俯瞰するもう一人の視点がある。そのため、作者と作品の間に距離が生まれる。
その結果どうなるかというと、笑いが生まれる。
たとえば本作『エゴサーチねるとん』なら、主人公が「表現者保護委員会」の面接官である田部井という男に会うシーンがそうだ。
田部井の言動には明らかにおかしな所があり、冷静な読者なら「お前その発言は失礼すぎるだろ!」とツッコミたくなるのだが、この主人公は田部井の言動に安心し、信頼してしまう。それどころか感激さえして、「よくぞ言ってくれた。すべて預けよう」とまで思ってしまう。
こうしたちぐはぐなやり取りがコミカルで笑いを誘うわけだが、実際に書くのは難しい。未熟な作者なら、田部井のことを悪い人間として描写しようとする誘惑や、主人公に田部井への不満を語らせるという誘惑に屈してしまうだろう。
しかし尾崎はそのどちらの誘惑にも屈しなかった。
主人公は田部井のことを最後まで「田部井さん」と呼ぶし、彼への不満を口にしない(一度だけ泣きはするが)。田部井も作中で悪く書かれるわけではないし、罰を与えられるわけでもない。作者はどちらにも肩入れしないで、離れた視点で二人を見ている。
これが「距離感」であり、笑いを生む要因になっている。
尾崎の作家としてのキャリアはまだ始まったばかりだが、今のところ、すべての小説でこうした距離感が保たれている。
このような自意識への距離感は、この国の大作家・太宰治ですら、常に維持できていたわけではない。
太宰の作品には、初期の短編『道化の華』や後期の長編『人間失格』などに顕著なように、距離感がほとんどないように読める作品もある。だから、太宰には熱烈な支持者と同時に、強烈なアンチも存在する。その自意識が鼻についてしまうのだ。たとえば石原慎太郎などは「生理的にどうも好まない」(『石原慎太郎 文学と世相』)と書いたし、三島由紀夫は太宰本人に向かって「嫌いだ」と言ったとされる(とはいえ、距離感がなくてもこれらの作品は名作であり、石原も三島も一方では太宰作品を認める発言を残しているのだが)。
作家・尾崎世界観の才能
では、なぜ尾崎には、キャリアの最初期においてすでにこうした距離のバランス感覚が備わっているのだろうか?
実に身もふたもないことを書くが、それが才能なのだ。
ミーティアでは何度か書いているが(『クリープハイプ・尾崎世界観による初の小説『祐介』レビュー:音楽の火花』や『【レビュー】尾崎世界観『最夜』(『anan 2016.8.17-24合併号』掲載)』を参照)、尾崎が書いた小説を「バンドマンの自伝」という思い込みで読んではいけない。そんな色眼鏡で読んでしまうと、彼が書くものの本質を見落とすことになる。
これは一編の、短いけれど上手く書かれた「小説」なのである。
しかも彼は、「フィクションとは何か」という本質的な問いをこの小説に含ませている。
小説の最終部、オチの部分が秀逸だ。
素直で単純でさえある主人公の短い物語に、オチのワンアイディアが見事な陰影を与え、小説全体を引き締めている。終盤まで「時に面白おかしく、時に辛辣に、あくまで一般人として安全圏で勝負する」ように本作を読んでいた読者は、一瞬でその安全圏をぶち壊され、彼と同じ土俵に引きずり込まれる。
その時、虚構と現実の壁は消え、あなたの背後に尾崎本人が現れて、ささやきかけるーーそんな錯覚に陥る。
その仕掛けを通して、言葉というものがどれほど鋭く人の心に刺さるものなのか体験させられることになる。
読後、賢い読者なら、私小説とそうではない小説の違いについて、あるいはフィクションとは何かについて思考を巡らすのではないか。
それと同時に、自分の心の内を見透かされていたような気持ちにもなる。
ダ・ヴィンチのリード文には、「短編(私小説)から、尾崎世界観という人の頭の中が、透けて見える」と書かれているが、むしろ逆ではないかと思う。
透けて見えているのは尾崎の頭の中ではなく、わたしたち読者の頭の中なのだ。
尾崎世界観はわたしたちの頭の中を見透かしている。
そして先回りして手を打ってくる。
優れた作家の素質が、すでにこの短い物語の中で芽吹いている。
Text_Sotaro Yamada
尾崎世界観の最新刊『苦汁100%』発売中
文藝春秋 1200円
ロックバンド・クリープハイプのフロントマンであり、
初小説『祐介』が話題をさらった作家・尾崎世界観が赤裸々に綴る、
自意識過剰な日々。
(Amazonページより引用)
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